9月になり早、10日が過ぎました。
2014年度も残すところ今月を入れて4ヵ月です。本来、一日も無駄にせず全力で事に当たらねば変わるものも変わらず、そして、情熱も論理も広がっていかないものです。
後半に書き込みをしていますが、10月3日、植草一秀さんの講演会があるようです。
主催たる月刊「日本」は、保守主義的雑誌の様ですが、『日本の独立』や植草ブログからはにわか読者の僕としては納得するものが多い様に感じていますので、紹介します。
1-0同時代人物批評から組織化、連帯は如何にして可能か?
雨宮処凛さん
憲法学習会のご案内(弁護士・中山武敏)
https://chikyuza.net/archives/47151
福島みずほ(社民党)さん
吉良よし子(日本共産党)さん
ちきゅう座の中でも繰り返し上がってきている名前、著名人は何を目指しているのか?どの様な連携が可能になっているのかを模索しつつ、分りやすく展開したいと思います。
様々な学習会から抗議行動へ市民に連続した問題意識として何を伝えたいまたは、諦めず共有してほしいとしているのかそれを明確にしていかなくてはならないはずです。
雨宮処凛公式ホームページ
http://www3.tokai.or.jp/amamiya/
本来、インターネットがこれだけ普及しているのだから「非正規労働者労働組合」を立ち上げる事は、可能なはずです。
本来、インターナショナル組織を目指しているのだから会社内部のみにとどまらない連帯を呼びかけてしかるべきであるはずなのですが、
雨宮処凛さんが、カリスマ的位置づけにあったとしてもそれを抜け出して、組織化する知恵を本来、ちきゅう座などで展開してゆくべきなのですが、組合組織もよりより大きな御用組合に吸収され陰に隠れてしまうジレンマがある事の根底を考えていかねばならないはずです。
1-2「人間不信社会」を如何に乗り越え連帯されるのか?
本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(63)
https://chikyuza.net/archives/47034
居場所のなくなった子供たちの問題と「酒鬼薔薇聖斗(サカキバラセイト)事件」。
しかし、それよりもはるか昔に以前からカミュの「異邦人」があり、「太陽が眩しかったから殺した」誰の理解も求めない人生と死、不条理文学。無名な一演劇青年を世界的にした。
戦争の傷跡がまだ癒えていない時代だったから、「100万人を殺せば英雄、一人を殺したなら殺人者」その虚無主義の流れは延々と続いて来た権力への不信、人間や社会への不信としての自立として拒絶としてレールを逸脱する最終的抗議の場としてあった様に感じる。
現代を描写した現在、脱原発の旗手たる菅原文太さんの「仁義なき戦い」の監督の遺作、「バトルロワイヤル」は、「みんな仲良くの教育上の建て前から殺し合う競争社会」への本質的現代性を描いた作品で人気を博した。
以前紹介していた「悪の教典」は、上記の二番煎じ的作品であって教師の側が弱者、生徒を餌食とする描写は、まさに、いじめや差別に、葬儀ごっこへと加担する教師、自殺へと追いやる社会の本質的粗描性を持っていた佳作。
文学は、衰退し、人間の厚みも信頼もないコピー文化である資本主義の中でのささやかな抵抗とSOSを聴きとらねばならない。
それが、「オウム事件」や「佐世保殺人事件」に代表される《人間不信社会》として連帯を阻むべき資本主義的情報操作性でありメディアの独占支配構造の根幹にある事をこれまで、主題的に考えていかねば共同体もコミューンもない事を問わねばならず「言葉狩り問題」として整備されていない故に、「教育格差絶望社会」は、人々を孤独な牢獄へそして、半野生へと回帰させられている問題があります。
また、それぞれの組織も孤立を余儀なくされ、硬直化と教条の中で、魅力を失っている双方の問題をどうにかしなくては問題は先に進まない事がわかります。
しかし、資本主義も銀行も貨幣も本来、「信用」から開始されてしかるべきですが、そこから崩壊しているのは、インターネット貨幣ビットコインの例もあったように、弱い立場の人ほど詐欺やカルト、新興宗教の商法の餌食として購買の段階でも搾取となっている現状があるからです。
資本主義社会は、カジノの様にゲーム理論的に捉えるべきか?
全ての人に平等に公平に分け与えるなら最初から宝くじなど買う必要もない。
多くの人のお金を集めて、数人の入賞者で分け与えるから10億円を獲得する人もいるのだと諦めるべきであるのか?
そのような「人間不信社会」の被害者である底辺についても更に、「内ゲバ」「近親憎悪」としての弱者の連帯を阻む構造について打開していくならここにある問題は、解決されるはずであり、
《資本の独り歩き》《利子が利子を産む負債社会》へとメスを入れられるはずである事に早く気が付いて処方箋を打たねばなりません。
かつて、映画『ラストエンペラー』の文化大革命の描写の中で、さんざん、権力王朝に利用されてきた溥儀が、「また利用するつもりだろう」と言ったように、猜疑心が、資本主義の「信用」も社会主義の「連帯」も破壊している根幹にある事、それを、哲学も学問も教育機関たる組織も自問しなくてはならないのが、評議会の第一議題であり、それを、乗り越えてこそ資本中心主義から人間中心主義の幸福や社会主義と言う真の信頼にも到達出来るはずなのですが、絶望的な道のりでも決して諦めてはいけない道程であり政治的目標であり、生きている事そのものの哲学だからです。
否、資本主義も「信用」が、中心課題であると述べていますが、しかし、「退廃資本主義」としての詐欺商法、教育格差剥奪絶望社会は、「牢獄」「収容所」へと変えてしまっている社会であり、それを、「憲法未満」「民主主義未満」の実態としてこれまで説いて来たものの中心だったわけです。
では、同じ貨幣を使用しながらちきゅう座、アソシエーション左翼は何ができるのかを具体的に仕上げていかねばなりません。
何か学ぼうとするなら図書館でもインターネット「ちきゅう座」の様な良質な場が確保されているなら可能であり、そこを出発点として、一体、何が出来るのか?
無料で有志が書き出しているものと100万部売り上げている本では、「広報」としてやはり違うでしょう。
更に、巨大産業と化しているマスメディアの害毒、テレビ朝日や読売新聞に対して、戦車に、竹やりで向かうようなものかもしれません。
資本=会社組織へ対して、人=組合としての戦いをするのが社会主義であるのですから、人徳でありソクラテス的「誠実」から「貨幣以前」の内的本質的問いを設定していかねばならないはずです。
あるハードロック評論家が言っていたのですが、「学歴は必要ないが学問は必要だ」
「学」の本質を伝えていくのが、哲学であり、弁証法的対話でもあったわけですが、その「先験的」「直観」の段階の整備から根底を説く師やカリスマ的段階はやはり必要でしょう。
それが、瀬戸内寂聴さんや雨宮処凛さん、福島みずほ(社民党)さん、吉良よし子(日本共産党)さんの同時代カリスマ性であるのだとしたなら、更に、非正規労働組合、連合や共産党の硬直化した「人間不信」に切り込む力と連帯は何として可能なのかを最大限議題に乗せて、「貨幣以前の先験的直観的学の整備」なるちきゅう座的前哨戦を大いに活用していかねばなりません。
具体的インターネット戦略が必要なわけです。
憲法学習会のご案内(弁護士・中山武敏)
https://chikyuza.net/archives/47151
路上でも学習会的連続性の展開は可能であり、
人命が大事、平和が大事、政治に声を届ける事、民主主義を守ることが大事と言うことは建前として誰もがわかっていながら自身たちの利害の一致している代表者を国会に送り込むことも出来ず官僚の傀儡政権である自民党長期独裁を許している事、政党政治が崩壊しており、正規労働者の御用組合は、根底的国民単位である非正規労働者の域にまで行きわたっておらず政党政治が何ら機能していない危機に対してその場その場ではない連続性が必要なはずでありながらそれをなさずに来た公的独裁官僚の教育行程へとアウトサイダーを引き戻す事の中で無策なままに「社会」や「自治」の側としての「言葉」を鍛えてこなかった怠惰のつけが今に来ているのではないでしょうか?
教育を私物化する安倍政権 -教育委員会制度の変更について-
https://chikyuza.net/archives/47221
教育問題を更に、主題化して体系的に広報していかねばなりません。
暴動のススメ(その2)
副題:自由を求める天安門暴動は日本にこそ必要である
日本の被抑圧者たちがより一層、悲劇的なのは本当の意味での暴動や連帯の仕方さえ知らされていない知恵も知識も剥奪されていることではないでしょうか?
日本は、自由主義の国ではなく、自由主義幻想、自由主義信仰の国としか言えないこの事を嫌と言うほどに徹底的にいずれ書き出していきたいと考えています。
a.植草一秀氏について
月刊「日本」主催
【月刊日本講演会】強欲資本の手先に成り下がる安倍政権(講師・植草一秀)
クリックするとPDFファイルが開きます
下記の通り、月刊日本講演会を開催致します。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。
『月刊日本』講演会の御案内
強欲資本の手先に成り下がる安倍政権
講師◎植草一秀(うえくさ かずひで)
戦後一貫して日本の支配者であり続けたのは、米国・官僚・大資本です。
この米・官・業による日本支配を側面支援してきたのが利権政治家であり、権力迎合の御用報道機関であるマスメディアです。
私たちは、目の前にある現象の背後にある本質を掴まなければなりません。
いま目の前には、株価上昇によるアベノミクスの甘い幻想が広がっています。
「大企業の賃上げ交渉で久しぶりにベースアップが実現した」との情報に踊らされ、人々の暮らしが良くなるような錯覚に取りつかれています。
「TPP参加によって日本が繁栄する」と美辞麗句を並べられると、ついその言葉に乗せられてしまいます。
しかし、これらは全てトリックであり、幻想なのです。
植草さんは、これらトリックと幻想を剥ぎ取り、真実を白日の下に晒します。
●日 時/十月三日(金)・午後五時開演(四時三〇分開場)
●会 場/衆議院第二議員会館一階・多目的会議室
※第二議員会館一階の玄関ホールにおいで下されば、係の者がご案内します。
●会 費/無 料
※出席ご希望の方は、下記までお電話ください。 ☎03-5211-0096
植草氏は、毎日ブログを更新しているようです。内容を読んでいると日々の時事について的確なものがあり、一人「ちきゅう座」的内容であるのが驚かされます。
「日本の独立」と「日本の社会主義」を語る事は、同じ位相にあるようにも感じました。
民主党を批判する御用連合古賀会長の笑止千万
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-4ee9.html
民主党を引っ張るもの連合労組を引っ張る真の反自民党としての政党政治の確立、利害を代表する非正規労働者にも訴ええる模索をここにも感じるものがあります。
9月8日
滋賀知事選・名護市議選と打倒安倍政権の勢い加速
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-fec2.html
9月7日
全米OP錦織選手の躍進支える強固な「意志力」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-020a.html
9月6日
トップの自己中心主義が国・企業をブラックにする
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-0aec.html
暴動のススメ(その3)
武田明・熊王信之両氏の憲法問題の論争について考える
https://chikyuza.net/archives/47219
法律論的補完ありがとうございました。
語説の通りです。
イデオロギーとしてのマルクス主義を色眼鏡で見てはいけないのは、民主主義の思想をロック主義、ホッブス主義、ルソー主義と呼ばないのと同じ問題の様に思います。
民主主義から社会主義へ論理学的に体系的に語るにはアソシエーションでありながらマルクスが既に語っているものを新しく語り起こす手間を省いているだけに過ぎません。
いずれ、マルクスから離れても社会主義論は、可能である事を説明していかねばなりません。
イデオロギーとは、時代の色眼鏡でしかない事を感じています。
問題は、何が、論理学的であり、合理的科学的であるのかと言うことです。
憲法論議の補遺
https://chikyuza.net/archives/47245
《「ブルジョア憲法」である日本国憲法》
《例えば、こうした観点からは、岡本磐男氏が言われる「熊王氏は、日本国憲法における国民主権は「人類普遍の原理」である点を力説されており、これに私も異存はない」との立場は、ブルジョワ民主主義の規定を絶対視するものであり社会主義国家樹立の折には清算され、「プロレタリアート独裁」、或は、用語を替えて「人民主権」が規範化されることになるのでしょうが、現代のマルクス主義の立場は違うのでしょうか。》
これが、違うと繰り返しています。以前のマルクスの立場、共産党宣言の立場からも違うと述べています。
ブルジョワ憲法、近代革命(ブルジョワ革命)から社会主義革命は、否定の上に社会主義革命を行うのではなく二段階革命の立場であると繰り返し述べています。
憲法学習会のご案内(弁護士・中山武敏)
https://chikyuza.net/archives/47151
左派が、憲法未満状況に対しての徹底履行、護憲として論陣を張っていることにも矛盾を感じません。
これも繰り返しになりますが、脳内で一人で議論していて決めつけから始めているのです。それでは対話が成立しません。
大前提は、二段階革命とは何か?ここから始まった議論だと言うことです。
人民主権も国民主権も言葉上のものとしか感じられません。死語を操っているだけで本質的な相違ではない様に感じられます。
「鈴木安蔵氏の憲法学」については、議論とは独立して時間の許す方が取り上げ吟味すると良いのであって、今回の議論主題とは無縁ではなくとも遠いもののように思えます。
司法試験にはマルクスも社会主義も出ては来ないのでしょう。それ故、頷ける限界もあるのですが、「ちきゅう座」は、その意味でも「近代の超克」の場であるのであって、定式で図るだけではだめなのではないでしょうか?
道なき道を切り開いていくのが、未来であり、社会主義への模索だからです。
書きたいものがありすぎて、ごった煮になってしまいました。
乱筆お詫びします。
画像版をどうぞ。