書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」

著者: 浅川 修史 あさかわ・しゅうし : 在野研究者
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 戦前の日本経済は財閥が支配していた。三井、三菱、住友、安田の4大財閥を中心に、古河、川崎、浅野、中島、日産、大倉、野村、日本窒素などの中小財閥があった。財閥は本社(持株会社)の下に傘下の企業がぶら下がる。財閥家族が本社の株式を保有して支配する。現在、旧財閥傘下にあった大企業はほとんどが上場しているが、戦前の財閥本社は株式を公開していなかった。財閥家族が支配するためである。戦後、財閥はGHQによって解体される。戦後、財閥は傘下の企業がそれぞれ株式を持ち合うグループに姿を変えた。財閥家族は株式を取り上げられ、没落する。財閥復活を防ぐために、戦後長く独占禁止法で禁止された持株会社が復活するのは、金融ビッグバンのさなか1997年のことである。現在ではなんとかホールディングス(HLD)を名乗る持株会社が数多く存在する。ただ、これらのホールディングスは戦前の財閥とは性格を異にする。 
 この本は、4大財閥をはるかに超える規模の財閥が存在した指摘する。それが天皇財閥である。戦前の天皇家が株式、国債、土地などの資産を持っていたことはよく知られているが、著者によれば、財閥解体時の資料を基に天皇財閥は4大財閥の10倍程度の規模があったという。
 戦前の天皇は国家元首で統治者、軍隊の最高司令者であったが、同時に日本最大、世界でも有数の資産家であったと著者は指摘する。筆者は現在のサウジアラビアのサウド王家に似ていると思う。
 天皇財閥の構造は次のようなものだ。天皇家が財閥家族に相当する。持株会社はないが、本社に相当するのが職員6000名を数えた宮内省である。天皇家が保有していた株式は、日本銀行、横浜正金銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、南満州鉄道、日本郵船、東京電燈、帝国ホテルなど。天皇家は日本最大の金融王であり、地主でもあった。
 江戸時代に公家の取り分を入れても10万石に押し込められていた天皇家が、日本最大の資産家になったのは明治維新以後のことである。国から与えられる収入を株式や国債に投資することで天皇家は資産を増やす。日本が強国になるのに比例して、天皇家の資産も増える。
 天皇財閥は日本が版図を台湾、朝鮮、満州に広げる中、海外展開も積極的に進める。朝鮮銀行は日本統治下の朝鮮の中央銀行である。中国、満州にも進出する。朝鮮で事業を経営する東洋拓殖株式会社の株式も天皇家が保有する。
 中華民国との戦争で日本は大陸に軍隊を送り込むが、そのとき軍事物質の調達に使用されたのが朝鮮銀行券である。日本銀行券でなかったことが注目される。
 日本には朝鮮銀行を使うことで、戦争の進展に伴うインフレ(通貨の減価)が日本銀行券に波及するリスクを遮断する狙いがあった。
 1930年代以降、日本は大陸進出を拡大する。満州、華北、さらに上海へ軍隊を進める。ところが、この路線が大陸に利権を持つ英米と衝突する。英米のトラの尾を踏んだことで、日本と英米が戦争に突入する。そして敗戦。天皇財閥もGHQによって解体された。
 著者はこの歴史の流れから、天皇財閥の海外進出における「判断ミス」を指摘する。
 天皇財閥を筆頭にする財閥解体によって、日本は法人資本主義の時代に入る。オーナー(家族)のいない資本主義である。
 ところで、莫大な財産を没収された天皇家だが、昭和天皇の遺産が20億円と報道されたように一定の財産を保有している。最近では東京電力の株価下落によって天皇家も損失を被ったと一部でささやかれている。戦後になっても昭和天皇が株式にご関心を持ち、投資関係の情報にご興味があったという「風説」がしばしば聞かれる。この本でも昭和天皇がソニーにご関心を持っていたことが、他の本からの引用という形で指摘されている。
 「昭和天皇はソニーに興味をお持ちくださって、葉山の御用邸に行かれるとき、うちの工場(注 ソニーのこと)がだんだん大きくなるのを見ていらっしゃって、<田島の会社(ソニー)はまた大きくなったね>って、いつでもお話になったそうです」
 天皇財閥の総帥だった名残なのか。

 天皇家が大財閥だったこと、敗戦が「経営判断ミス」だったこと、戦前から米国のロックフェラー家と親交があったこと、など興味深い指摘が多い。ただ、天皇財閥が戦争とどう関わったか、という分析は弱い。戦争へと主導したのが、軍部なのか、官僚なのか、それとも天皇だったのか。著者の分析はぼやけている。もっと深い分析が欲しいところだ。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
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