書評『コロナ時代のパンセ―戦争法からパンデミックまで7年間の思考』辺見庸・著     毎日新聞出版・刊

 「わたしたちのアタマは日に日に幼稚になっているのではないか」と問うのは、作家の辺見庸である。人としての怒りと恥、言葉の芯の欠如を悲嘆する。
 本書86編は、2014年から21年の時代・社会・政治・人間・生活にたいする思考と自省の集大成なのだ。文章はのびやかで、しかも厳密である。
 「貧窮者や弱者の存在をこれほどまでに『見まい』、『感じまい』としている時代がかつてあっただろうか」。カフェの窓からよく見かけていた人がポツリと消えていった。ゴム草履をはいた白髪の老女。夏でも黒い手袋をつけた中年女。おもそうな荷物ごと、彼らはどこかへ。さびしい。仔細はわからない、いや、彼らを正視せず、なにも問うたことがなかったと、辺見庸はみずからを反省する。
 人間が排斥される危機の時代にある。だがわたしたちは、本質的で哀しいことから眼をそむけようとしている。無宿者の風景を描く筆に、わたしは人間存在へのやさしいまなざしを感じる。
 前政権は戦争権限を掌中にしたが、「戦争と戦争誘導行為こそがもっとも責められ、さいだいげんに抵抗されるべき悪の暴力である」と著者はいう。「コロナの災禍は〈人間とはなにか〉という、最も根源の問いをつきつけてやまない」とも。
 かんがえぬいた自問自答は、じつにきびしい。怒りもつよい。わたしは共鳴しつつ多くを学んだ。
 脳出血で倒れてから15年になるという。後遺症の不自由なからだをひきずって同居犬の食事の準備をするなど、本書には日々のくらしも書かれている。
 さらに、出会った人物、船戸与一、西部邁などへの印象批評も感銘ふかい。自身の内面も浮上させている、その視力はスゴイ。
 (2021年6月19日付「信濃毎日新聞」より転載しました)

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