著者の山本義隆は、六〇年安保闘争を大学一年生の春に経験し、そこで味あわされた思いを抱き続け、研究生活と共に一九六〇年代を通してベトナム反戦運動などを闘った。一九六六年、日本物理学会主催の半導体国際会議が米軍から資金を提供されていたことが明るみに出ると、山本は物理学徒を組織して糾弾し、翌一九六七年、日本物理学会に、「軍からの援助や協力関係を一切持たない」ということを決議させた。そして、東大闘争が勃興すると、新進気鋭の物理学者でありながら、京大での湯川秀樹の下での研究から離れて東京に戻り、東大全共闘代表として闘争の先頭に立ち、闘い抜いた。また、あまり知られていないことだが、七〇年代の東大臨時職員の闘争も担ったのである。
筆者は、二〇代より、そのような著者・山本義隆の謦咳に接し、以後、半世紀近く、同じ職場で教職を担う幸運を得た。そして、その間、数年間にわたる『東大闘争資料集(全二三巻・別冊五巻)』の編纂や、山﨑博昭プロジェクトによるベトナム戦争証跡博物館に於ける「日本のベトナム反戦闘争とその時代展」の開催などで行動を共にした。
そこで筆者が見たものは、資料集の編纂に際し、何千枚のビラを一人でコピーしている著者の姿や、展示に際しては、気付かぬうちに一人で大量の写真パネルを器用に制作して皆を驚愕させた様子であった。世間から「カリスマ」のように見られた人は、実はシャイで気さくな一番の「縁の下の力持ち」であったのだ。
そのような著者が、物理学者の立場や科学史家の視点により、現在・未来の危惧として警告を発し続けている問題が、原子力開発と核武装である。
本書では、核エネルギーの発見から原爆製造、「原子力発電」と通称される核発電のメカニズムと問題点が、物理学の基礎的な解説を通して分かりやすく我々に説明される。先ず日本では、核エネルギーのことを、物理学的には不正確な「原子力」と言い換えられていることが知らされる。次に、核分裂を瞬時に行わせるものが「原爆」といわれる核爆弾、制御しながらゆっくりと行わせるものが「原発」といわれる核反応炉であるにもかかわらず、「原爆」は核兵器と呼称するが、「原発」は核発電といわずに「原子力発電」と称していることが指摘される。すなわち、わざと「核」と「原子力」を使い分け、両者が違うものであるかのように印象付ける、そんな日本政府や御用学者たちの欺瞞性にも、本書は改めて気付かせてくれる。
原発は、どのように処理しても最終的に残される、人間の手にあまる「核のゴミ」という根本的な問題を抱えている。その問題についても、現在、日本で標準的な規模である100万KWの原発が、一日で広島の原爆の約三個分、一年間で約千個分の「死の灰」を生み出しているという現実を、具体的な数字で突き付ける。
「核のゴミ」の中で最も危険なものが、使用済み核燃料といわれている。その使用済み核燃料を再処理して、燃え残りのウランと生まれたプルトニウムを抽出し、そのウランを改めて濃縮して原子炉に使用しする方法が「核燃料サイクル」である。戦後の日本は、使用済み核燃料の再処理とともに、高速増殖炉の開発による「核燃料サイクル」の完成を目指してきた。つまり日本は、「核燃料サイクル」の確立そのものを第一目的として核発電に取り組んだのである。
使用済み核燃料の再処理は、危険性を増幅させ、「核のゴミ」を増加させる。一方、再処理に於けるウラン濃縮やプルトニウム抽出は、原爆製造に直結する技術である。しかし、そのような軍事的な意味をもつ技術であるにもかかわらず、日本は、核兵器非保有国で唯一アメリカに再処理を認めさせた。もちろん、アメリカ以外の国々が認めたわけではない。
とはいえ、日本政府が国是のように推進してきた高速増殖炉の建設は、「もんじゅ」の破綻という惨憺たる姿を晒して頓挫した。それにもかかわらず、なお岸田文雄政権は、アメリカでの小型高速炉開発に協力するという形で、「核燃料サイクル」の延命を模索している。
頓挫しているくせに日本が「核燃料サイクル」の建造を断念しない理由は何か。ひとつには、「核燃料サイクル」が核兵器製造に直結する技術であるからである。日本政府は潜在的核武装能力を維持・温存したいのである。
もうひとつには、「核のゴミ」の処理という喫緊の課題を、「核燃料サイクル」ができるまでと誤魔化し、「先送り」を可能とするという欺瞞を押し通すためでもある。つまり、「核のゴミ」問題に直面するのは、「核燃料サイクル」が完成し、再処理工場が稼働してからであると称して、実現不可能と想定される「核燃料サイクル」が完成する時点まで、「核のゴミ」の処分問題を「先送り」できるからである。これらの欺瞞を本書は丁寧に論証してくれる。
また、このような現在の日本の原子力政策の出自を、本書は、近代日本の科学技術と軍事との関係として歴史から読み解いていく。そこでは、資源小国であるとの強迫観念を持った日本帝国主義が、資源の確保を目論んで満洲を侵略し、傀儡国家「満洲国」を捏造したこと、及び、「満洲国」に派遣された革新官僚の岸信介が、仮想敵国であるソ連のスターリンの「五カ年計画」を模倣して「満洲産業開発五カ年計画」を作成し、総力戦体制の雛形を創ったことが論証される。
そして岸信介が、その総力戦体制の雛形を日本に持ち込んだこと、及び、行政権を有する政府が国会の立法権を奪う授権立法である、悪名高いナチス・ドイツの「全権委任法」を模倣した国家総動員法を、一九三八年、総力戦体制の構築を図る近衛文麿内閣が、日中戦争の長期化を背景に制定したことが例示される。なお、国家総動員法とは、国防を目的に人的・物的資源を統制・運用する権限を、政府(内閣)が、帝国議会を経ずして、天皇の勅令を用いて行使することを可能とする、「帝国議会の自殺行為」とまでいわれた授権立法である。
一九三六年の二・二六事件を機に、「飢えた農村を救え」との主張を掲げ、財閥やブルジョア政党を攻撃した、いわゆる「下からのファシズム」は鎮圧された。その後、陸軍統制派のような軍事官僚や、革新官僚といわれた岸信介などのテクノクラート官僚が権力を掌握していったが、著者は、このような日本のファシズムについて、テクノファシズムであると分析する。そして、国内的には、国家総動員法と電力管理法により構築された総力戦体制による高度国防国家の建設と、対外的には、「八紘一宇」を掲げてアジア侵略を推進するウルトラナショナリズムが、日本のファシズムの実相と捉える。
更に著者は、戦前の総力戦体制で蓄積されたノウハウや人材が、戦後の復興や高度経済成長政策に継承されていると考察する。そして、電力に於いては、敗戦後、GHQが、「民有官営」により国家の電力管理を担った日本発送電株式会社を解体したものの、やがて戦後日本は、核発電の国家管理により、電力の一元的国家管理を自らの手に取り戻したと分析する。
このように戦前との継続性を有する戦後日本の行政権力は、資源小国打開の手段として「核燃料サイクル」に固執した。一方、国家主義的な政治家たちは、疑似核武装としての「核燃料サイクル」の建設に邁進した。
国家主義的な政治家たちは、核兵器保有が大国の条件と思い込み、「核燃料サイクル」完成のための高速増殖炉の開発に駆り立てられた。そして、政治家たちの動機の根柢には、大国主義ナショナリズムの変種である「核ナショナリズム」が存在した。本書では、このような戦後日本の実態が提示される。
一九四八年一二月二三日、次の天皇である皇太子明仁(現在の上皇)の誕生日に、東条英機らA級戦争犯罪人七名が処刑され、その翌日、岸信介らA級戦争犯罪人容疑者一九名が釈放された。一九五二年にGHQより公職追放を解除された岸信介こそ、日本の原発政策を推進した人物であり、原子力開発を潜在的核武装と考えていた。一九五六年、原子力委員会が設立されたが、初代委員長は、内務省の警察官僚として関東大震災の際、朝鮮人虐殺の流言流布を主導したといわれる正力松太郎で、岸と同様にA級戦争犯罪人容疑者であった
原発政策を推進した岸信介は、核開発による潜在的核兵器生産能力が、一九六〇年の新日米安保条約締結を巡る交渉において、アメリカへの切り札となる考えた。このような岸内閣に対し、日本共産党は、「反米愛国」を掲げ、民族主義的な反米闘争により広範な支持を集めようと策動した。しかし著者は、日本共産党と異なり、「60年の安保闘争で、当時の全学連を指導した共産主義者同盟が、岸政権による安保改定を『日本帝国主義の自立過程』と分析した」ことを高く評価し、当時の六〇年ブントの認識の妥当性を指摘した。
二〇一二年、民主党政権の野田佳彦内閣により原子力基本法は改正されたが、その際、原子力の開発・研究が「我が国の安全保障に資することを目的」と明記された。「安全保障」とは軍事を意味する。岸信介の「原発によって核保有の潜在的可能性を高める」、原子力の「平和利用ということは軍事利用と紙一重」という「ホンネ」が、民主党政権によって法的に規定されたという、よくできた「お笑い」であった。
本書は、核発電の根本問題を、「核燃料サイクル」の現状や「核ナショナリズム」の在り方から提起し、このような、現在の核発電の惨憺たる在りようを、近代日本の科学技術と軍事という歴史的視点から分析する。その際、資源小国という強迫観念を抱く日本帝国主義が、国家総動員法を制定して総力戦体制を構築し、軍や革新官僚が、如何に経済を統制し、戦時下の電力国家管理を完成させていったかを論証する。また、戦後日本の原子力開発の歴史と現状については、核技術とナショナリズムの関係、原子力ムラと原発ファシズムの実態、岸信介の潜在核武装論から論じられる。そして、高速増殖炉を巡る神話や「核燃料サイクル」という虚構について明らかにされる。
その上で、「核技術の維持と核分裂性物質の備蓄をはかる潜在的核武装論を放棄することによって、核ナショナリズムの克服を明確に示さなければならない」、と述べる著者は、その際、「日本が原水爆禁止の主張の普遍性・正当性をあくまでも主張し、世界にそれを納得してもらい賛同を得るには、かつての日本の戦争責任をはっきりと認める」ことを表明しなければならないと明確に語っている。
本書により我々の眼前に提示された重要な現在的課題は、著者・山本義隆の、つねに「科学者の社会的責任」を自らに問い続ける物理学者としての倫理と深遠な学識・識見や、科学史家としての透徹した歴史への分析視覚をもって説明される。そして、六十年安保闘争から全共闘運動を担った社会運動家としての批判的視座に裏打ちされ分析される。
また、物理学者・科学史家である山本義隆によって分析された軍や革新官僚によるテクノファシズムの実相、及び、その戦後への継承の帰結として具現化された、戦後の核開発や潜在的核武装、及び、「核燃料サイクル」という迷宮の現状への究明は、日本ファシズム研究にも大きく貢献している。
福井紳一
予備校教員。早稲田大学アジア太平洋研究センター特別研究員、立教大学講師など歴任。
専攻は「日本」近現代思想史。著書は『戦後日本史』(講談社+α文庫)、『戦中史』(角川書店)など。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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