『それからの帝国』佐藤優著(光文社)
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長期戦になるという予測はあったものの、解決の見えない果たしない戦争に入った感のするウクライナ戦争である。当初、電撃的な攻撃でウクライナに傀儡政権を打ち立てるとしたプーチンの誤算については誰もが認めるところだ。そして、ロシアが勝利するとは誰も思わなくなったことも確かだ。しかし、プーチンがひとむかし前のような、古典的な戦争をなぜ始めたかについてはわからないという印象が薄らいだことはない。ロシアでのプーチンの統治権力維持に危機感があって解消のために戦争をはじめたというのが、僕の直観的な認識であ『』情報はすくなくないのだが、納得できるものが少ない。これは信頼に足りるロシア社会と国家についての専門的な分析が少ないからだ。ロシアについての専門家と言われ、テレビなどに何度も登場した人たちのコメントは聞いているが、もう一つという感想を免れない。
僕と学生時代は安保闘争を共に闘い、その後ロシア(当時はソ連)に留学していた石井紘基という男がいた。彼はロシアから美しい女性を連れて帰ったが、ロシアの官僚社会という認識をもってもきた。そしてロシアを鏡として日本の官僚制についての批判と改革運動をしていた。彼は右翼のテロで倒されたのであるが、僕はロシアについてのすぐれた認識者だと思っていた。時折、朝彼が学習していた三軒茶屋の茶店で話をしたが、彼の話は興味深かった。彼が生きていたらウクライナ戦争についてどんな評をするのか、と思う。惜しいことにもう彼はいない。今、ロシアについての分析や評をする人として注目しているのは佐藤優である。ウクライナ戦争についても彼の分析や評を注視してきた。彼は『ウクライナ「情報」戦争』を昨年の夏に出しているが、最近のものに『それからの帝国』がある。こちらはウクライナ戦争の分析というよりはその主体であるロシア、とりわけプーチン政権の思想と行動を分析し取り出してしいる。プーチン政権のわからなさに言及する上で、『それからの帝国』は格好の本である。
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「それからの帝国」は佐藤優が外交官として旧ソ連(ロシア)に赴任し、そこで親しく付き合ったロシアの知識人であるサーシャことアレクサンドル・カザコフとの関係を軸にした、ロシア社会の探索である。以前に、佐藤は「自壊する帝国」を表しているが、これはその続きと言えなくもない。サーシャはかつてソ連の反体制活動家であり、ラトビアをソ連から独立させるための人民戦線の指導的メンバーでもあった。「さらにその後、サーシャには大きな人生の転機があった。2014年以降、ウクライナ東部ドネック州の一部を実効支配したザハルチェンコ「ドネック人民共和国」首長の顧問に就任したのだ。そして2018年にザハルチェンコが暗殺された後は、モスクワに戻り、クレムリン(ロシア大統領府)との関係を深めた。そして、プーチン大統領を強く支持する知識人の一人になった。サーシャの考えはアレクサンドル・カザコフ(佐藤優監訳/原口房江訳)『ウラジミル・プーチン大統領の大戦略』(東京堂出版2021年にまとまっている。この本のロシア語版は2020年に刊行され、ロシアの政治エリートに強い影響を与えた)(『それからの帝国』、佐藤優)。
サーシャの本について僕は以前に、書評をしたことがある。なかなか、分りづらいプーチンの思想を明らかにしているところがあって、興味深かった。プーチンの思想と行動には賛成ではないし、反対なのだが、彼が何を考えているのかは幾分かはわかったと思った。『それからの帝国』はサーシャの考えに基づいてのプーチンの思想と行動の解明というとことがあるのだが、その実体を知るという意味での貴重な本だと言っていいと思う。
佐藤とサーシャのイラク戦争についての考えは正反対であり、対立している。
「ウクライナ戦争に関するサーシャと私の立場は、正面から対立している。私は今回の事態は、ロシアによるウクライナの主権と領土の一体性を毀損する侵略と考えている。サーシャは、ウクライナと連携した西側連合による侵略を防止するためには必要不可分な「特別軍事作戦」と考えている。私はロシアもウクライナも武器を置いて即時停戦を考えている。サーシャは、最低限としてロシアがウクライナから併合した4州(ルクハンクス州、ドルネック州、ザボロジュ州、へルソン州)に加えドニブロべトウンク州を実効し、ロシア軍が駐留するモルドバア共和国の沿ド二エステル地方を連結してウクライナを黒海から切り離すことがロシアの安全保障上不可欠なことと考えている」。(『それからの帝国』)
佐藤のウクライナ戦争についての基本的見解はウクライナ側の侵略に抵抗する立場を支持する人たちの一般的考えであり、サーシャの考えはプーチンのつまりはロシア政権の考えである。ウクライナ戦争については、ロシアの侵略も悪いが、ウクライナの側ももう一つ支持できない、何故なら背後に西欧やアメリカのロシアの安全保障を脅かす動きがあるからだという、中間的な考えがある。
佐藤の考えは多くの左翼(旧来の左翼)が中間的であるのとは違っているように思う。停戦の提起であるが。即時停戦は市民派から提起されているが、僕はこれには賛成ではない。これが現実的でないということもあるが、ウクライの側からの停戦要求が優先されなければ、停戦は不可能と考えられるからだ。ここでサーシャのいう停戦条件をウクライナ側が受け入れないことは明らかだし、受け入れるとしたら軍事的敗北を承認することだからだ。これは現実的には深野なことである。僕も一刻も早い停戦を望むが、それはウクライナの側の提案においてである。
(3)
戦争には政治的理由、利益上での理由に価値観的側面があると言われる。この転位ついては、ロシアのウクライナ侵略が西側(アメリカ含む)との戦争であるとプーチンによって語られることから、浮き出てきたことである。プーチンの侵略の意図が安全保障が脅かされるからという説明では納得がいかないということがある。安全保障上で必要という大義が、説得力がないということに起因している。これはプーチンのわからなさと関係していることでもあるが、それなりに興味を喚起させるところだ。
「もっともこの戦争がウクライナをめぐる地域紛争ではなく、ロシアVS(ウクライナを支援する)西側連合との価値観戦争の性格を帯びている点では私とサーシャの認識は一致している。ウクライナ侵攻にはロシアのプーチン大統領が踏み切った背景には、彼独自の価値観がある」(『それからの帝国』佐藤優)
この中身として佐藤はサーシャの書いた『ウラジミル・プーチンの大戦略』が引用されているのだが、その前に、この議論に立ち止まってみよう。プーチンがウクライナ侵略に踏み切った不思議さにおもいを巡らせるとき、プーチンの価値観(文化的価値観)というのは興味深いし、視線がそこに向かうのは自然だ。
ここでの議論を最も精力的に展開しているのはエマニエル・ドットである。彼は『第三次世界大戦はもう始まっている』など著書もあるが、あるところでこういっている。
「今、人類は大転換を迎えている。英米主導の近現代が、深刻な危機にさらされていいます。私はプーチンのようにそこにサタニズム(悪魔崇拝)を感じるわけではありませんが、英米型の個人主義が一つの限界を越えてしまったという認識です」(『文藝春秋百周年記念号』
ドットは西欧近現代の個人主義が限界を越えてしまったという、プーチンはこれを西欧の悪魔崇拝という。西欧近現代の価値観が没楽しているとか、限界に達している考えは歴史上、何度もあわわれてきたものだし、いつもそれなりに興味を引くことである。西欧の没落、西欧と東洋の対立は近代思想として繰り返しあらわれる構図である。ドットの場合は独自に人類学的思考があるのだが、プーチンのいう価値観が曖昧であり、その価値観が西欧との対立を導くものであるというのは曖昧である。価値観とういうのは曖昧なところの存在を持つものであることは間違いないが、そうであるがゆえにドットの分析や認識には新鮮さがあるのだが、曖昧であり何を言っているのかわからないところがある。多様性の評価に発展して西欧の個人主義や自由はプーチン的な価値観で否定されるものではない。プーチンはロシア文化の特殊性をいう、その尊重を言う。その発言とウクライナ侵攻はどう結びつくのか。そこには矛盾しか見えない。
「プーチン氏はキリスト教(ロシア正教)的価値観に基づき聖戦を展開しているのだ。主敵は、ウクライナの背景にあるアングロ・サクソン(アメリカ。イギリス的価値観だ)これは佐藤の要約だ。もちろん彼がこれを正当なものとしてみとめているわけではない。その立場はわからない。プーチンがロシア正教的な価値観で西欧キリスト教的価値観に対立している、宗教戦争だということになる。これは太平洋戦争が西欧的価値観に対して、天皇制的な価値観から挑んだものであるという見解を思い出す。アジア主義も含めてそういう側面があったことは認めるが、それを過大評価してはいけないと思う。プーチンの言動を鏡にすればそれがみえてくるというべきだろう。
やはり、プーチンの考えとしてはユーラシア主義と帝国の建設ということが注目される。プーチンはソ連崩壊後のエリチエン政権下でのロシアの再建をめざした。これは安定化が含まれているが、この『大戦略』の中で政治的強国化が志向された。社会の混乱を収めるには政治的強国化が不可欠だが、それは国家の帝国化である。彼はレーニンを批判するが、スターリンはロシアの強国化をはたした存在として評価する。彼の目指す抵抗は西欧流の帝国ではない。西欧型の帝国は国民国家と植民地によって構成されるものであったが、植民地の独立と帝国主義批判で解体を余儀なくされた。中枢に忠誠を誓う国家の連合というのがこの帝国の内容とされる。その時に、中枢国と他の国家は主権が尊重される関係にあるというが、それはどこに保障されるか。西欧型の帝国は国民国家において主権在民的な支配(統治形態)を取ったが、植民地にそれを適用はしなかった。
だから、植民地国家が国民国家的な統治を要求したときに、民族独立としてそれを認め、自己解体を余儀なくされた。西欧近代の帝国化の敗北を超えて帝国を創り出していくことは矛盾というか、難問が多い。その中で西欧近代の帝国ではなく。近代以前のプレ帝国(王権的な帝国)のところが、議論されている箇所は興味を引いた。帝国化は民族問題などの矛盾を引き起こすことは疑いないし、その意味でソ連帝国の時代でラトビアの民族独立運動の話などが興味深い。サーシャはかつてラトビアの民族独立運動の指導者だったが、彼がプーチンの帝国化の賛成者になっていったところは検討してみたいと思った。何故なら、ロシアのウクライナ侵攻は古くて新しい民族問題であり、ロシアの帝国化が導いた必然とも理解できるからからである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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