本書では主要各国のサイバー空間への関わりの具体的事情が細目にわたって検証されている。本書を企図した著者の執筆動機の一端は著者が主催するブログにディスインフォメーションを巡って表明した以下の所説に込められている。
「ソーシャル・ネットワーク・サービスを提供する側が独断と偏見に基づいて、プラットフォーム上の情報監視を強化してその一部の情報を遮断することはできますが、AIを利用した自動監視システムのようなものでは迅速で的確な判断ができるとは思えません。ディスインフォメーションか否かの判断に政府が関与するようになると、既得権力者が圧倒的に優位に立って、不都合な情報を軒並みディスインフォメーションとみなして削除・ブロックさせる事態も考えられます。いずれにしても、ディスインフォメーション対策を講じる必要はありそうです。今後、ますますディスインフォメーションによって情報を操作し、特定の政党や候補者を優遇したり、あるいは毀損したりして、投票活動に影響をおよぼそうとする動きが広がると予想されるからです。その意味では、高校や大学あたりでしっかりディスインフォメーション対策を教える必要があると感じています。」(塩原俊彦「21世紀龍馬会ブログ」、2019.10.22:https://www.21cryomakai.com/%e9%9b%91%e6%84%9f/826/)
本書の全体構成は以下のとおりである。
序章:サイバー空間と国家権力
1章:米国
2章:ロシア
3章:中国
4章:日本
終章:歴史的位相を問う
構成内容ではとくに序章と1章に力点がおかれ、全体で262ページのうち、序章には73ページ、1章には48ページが割かれ、この二つの章で全体のおおよそ半分を占めている。
本書は事実経過の丹念なフォローに根ざしており、各国のサイバー空間をめぐる立法措置、政治的背景などについて詳細にわたる綿密な検証がなされ、著者の事実探求への凄みある筆致力量には驚嘆せざるをえない。書名からもわかるように、どちらかといえば分野として専門研究者向けで、一般読者にはやや難解な本である。しかし叙述は平明で著者の意図が一般向けであることが分かる。
そもそも「サイバー空間」という用語は安全保障用語であり、正確に定義しようとすれば複雑で分かりにくいものだとのことである。とりあえずは、「サイバー空間とは、デジタル情報を伝達・交換・共有するネットワークである」とする「安全保障用語」(http://dictionary.channelj.co.jp/2018/18101202/)にしたがってこれを理解していく。サイバー空間には各国の国家権力が干渉・進出して互いに支配拡大を図って現在では群雄割拠の状況にあるというのが本書であり、ことが経済的側面ばかりでなく軍事的側面も持つことから、サイバー空間の地政学と名付けてもいい内容となっている。
サイバー空間は長く米国が支配していて、これへの国家規制も最初に手を染めたのは米国である。すなわち、著者はインターネットをはじめとする現代の技術の多くが米国軍事技術開発の恩恵に浴しているという事実から出発している。米国はサイバー空間の生みの親であり、ハード面でもソフト面でも世界をリードしてきており、それが現実政治世界の覇権を担保してきていた。これにならって各国は米国に追随し、それぞれ情報機関が政府の諜報活動を隠密裏に行っており、通信傍受の面では政府主導で他国にたいするサイバー攻撃を仕掛け合っているのが現状である。こうした流れを受けて、各国は国家によるサイバー空間への干渉を広く認めようという意向にあるが、一連の先進国とは別に、米国とロシアだけはサイバー空間をめぐる国家の立ち位置を巡って対立していると著者は指摘している。
スマートフォンなどでは端末から端末まで暗号化が図られているが、国家が民間企業にたいしてこの暗号解読をめぐって圧力をかける事例が上げられている。電信、無線、電話の発展過程で問題となった暗号化を含めた技術発展が国家主導の内外治安維持と権力拡大の問題に深く関連していることを著者は注意喚起している。
内外の治安維持と権力拡大という点では、例として上げるならば米国による国境を越えたサイバー攻勢であろう。2003年ジョージアのバラ革命、2004年ウクライナのオレンジ革命、2005年キルギスのチューリップ革命、2010年から2012年にかけて生起した一連のアラブの春の諸革命、これらの政治劇の裏には米国の資金援助があったばかりでなく、米国による広汎なSNS利用・操作があった。また、目下話題になっているファーウェイ問題にしても、実は中国製IT機器に依拠した通信網を米国が構築してしまうと、通信傍受の面で米国に生起する事象が中国に情報流出する危惧から発しているのは疑いない。安価で優秀なファーウェイ製品の使用禁止措置で当面不利益を被るのは米国民間企業であろう。IT関連製品の多くは国際分業によって生産されているのであるが、米国はそれを毀損してまでも守りたいものがあるからである、と著者は指摘している。
他方、囲碁の世界で人間に勝ってからにわかに注目されるようになったAIについても所論が及んでいる。AIによって健康管理・医療、財務運用、自動運転など人間の能力を補佐、代替が可能になったのは事実であるが、サイバー空間の支配にAIが応用される可能性は十分にある。しかしAIは意識を持たず倫理に対してもまったく埒外にあるから、AIによる判断の正当性を明確に裏付けることが出来ず、ある種のブラックボックスになっていると著者は指摘している。客観的にはアルゴリズムに基づくAIの指示が優先され、人間の主体性が減退する。これを利用して権力は自分に有利なアルゴリズムの設定が可能となるからだ。名前,性、住所、誕生日、顔、指紋などが電子登録されれば、中央集権的監視体制の構築が容易になる。こうした様々な不安定な可能性を背景として、各国はプライバシーの尊重ならびに民主主義的公明性の担保と、監視国家化への危惧との微妙なバランスのなか、国境を容易に越えるサイバー空間の支配を巡ってしのぎを削っているというのが建前であろうが、実は各国は必要となれば諸個人のプライバシー侵害も躊躇わないことが暴露されている。底辺の民主主義の脆弱な中国は、国民統治の道具としてサイバー空間の中央集権的統制が容易であり、また事実その統治網を強化発展させている。これに対して米国は他のヨーロッパ諸国とは異なり、もともと民間重視の建前が強く、電信通信網の中央集権化が構造的に未発達で、国家主導でファイバー網を整備している中国に対して現状は大きく遅れをとっている。しかも中国は他方で、内燃機関たるエンジン開発では出遅れていたが電気自動車(EV)に特化した発達をしやすい環境にあると言え、有利になっている。EVに集中的に投資してAIを利用した自動運転型EVの開発が着々である。既存のエンジン車の販売が減ってもあまり痛手は受けないという事情から、中国ではカーシェアリングも急速に拡大している。アリババやテンセントといった中国のテック・ジャイアンツは自らEVを主導し易くなっていると著者は指摘する。けだしAIは集権的権力と親和性を持ち、国家主導による発展の可能性が大なのであり、中国のこの面での優位さは否めず、今後ともこの分野での中国産業発展の可能性が確実であることを示している。こうして中国国力増大の潜在的可能性はここでも顕在化する。著者が意図したかどうかは別として、本書が読者に中国の威力を強く印象づける作用を発揮していることは本書の持つ別の側面かもしれない。
その他本書は内容構成に示した各国について、そのサイバー空間への関わりなどの背景にある法整備や諸措置について、また派生する多面的な項目についての詳細にわたる事実経過をあますところなく網羅している。本書をサイバー空間にかんする辞書として位置づけることさえ可能である。
断りとして付け加えるならば、本書はカタカナ用語が頻繁に使用されており、評者のように手持ちの携帯電話がスマホではなく、いわゆるガラ系であってネット環境やIT関連の用語に不慣れな向きには、ひどくとっつき難いことも事実である。たとえば「ブロックチェーン」とか「ハッシュ関数」とかの用語であるが、それらの意味内容についてこの面に暗い読者には必ずしも十分な説明がなされているとは言えず、部外者には甚だ不親切な叙述になっているという誹りは免れないかもしれない。
以上、IT素人にはややもすれば難解な本書ではあるが、サイバー空間の地政学というまったく新しい地平に登場した本書の意義は大きく、人類の直面する新しい歴史的位相がどういうものか、その全体像に迫る好著であることは間違いない。本書は今年8月に出版されたものだが、いまだに全国紙や主要定期刊行物に本書の書評が掲載されていないことは日本の知性にとって極めて大きな失点であるという念を強めている。
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