書評 『ナワリヌイ』プーチンがもっとも恐れる男の真実

『ナワリヌイ』ヤン・マッティ・ドルパウム、モルヴァン・ラルーエ,ベン・ノーブル 熊谷千寿(訳)

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ナワリヌイは弁護士でロシアの政治家である。プーチン体制に反対する反体制の政治家でもある。2020年の8月20日に飛行機内で毒殺に見舞われる。この事件では一命を取りとめ、ドイツで治療をしていた。2021年の初めに帰国命令がなされ、2021年の1月17日に帰国するも、空港で拘束され、収監されている。彼は横領罪で有罪とされ執行猶予中であったが、これは取り消され収監されたのである。政敵に対する毒殺や暗殺はプーチン政権ではしばしばみられるものである。報道機関への脅迫や選挙での不正などプーチン政治の専制的性格を示すものである。プーチンは自己の政治を民主的独裁というが僕らにはなかなか理解しがたいものである。中国の習近平が「民主的な国際秩序を作る」としてロシアのウクライナ侵攻(侵略)に理解を示し、擁護するのと同じである。西欧流の民主主義と違った民主主義というのだろが、これは別に内容を示したものではなく、首をかしげるものだ。戦前の日本の軍隊は世界で最も民主的な軍隊と

いわれたが、疑問のあるものだった。民主主義とか民主的とかは余程注意しないといけない言葉である。いずれにしてナワリヌイはプーチンの体制に反対し、プーチンから恐れられている男だと言われる。それゆえに彼の言動はわかりにくいプーチンの政治を映す鏡であると言われる。

 

今回のロシアのウクライナ侵攻は侵略戦争であり、その点は誰もが認めるものである。これは帝国主義の戦争であるなどいくつもの評があるが、わかりにくい戦争であることも確かだ。普通は、大義らしきものは言われるのだが、それはない。大義なき戦争であることはプーチンもわかっているのか、これを戦争とはいわず、特別作戦とか軍事作戦という。日本が中国大陸での侵略戦争を事変と称したことが想起される。大陸での戦争を日本が事変と呼んだのは、第一次世界大戦後の戦争批判の高まり(反戦条約、パリ条約ができる)をかわすためであり、これは後にヒットラーが導入し、戦争批判をかわす抜け道になった。プーチンはそれを真似ているのだろうか。誰の目にも侵略戦争であることは明瞭なのだが、この戦争の理由はわかりにくい。NATOの東方拡大がロシアの安全保障上の脅威であるといわれるが、たとえこれがあったにしても、現時点でなぜこのような行動をとったかの説明としては納得ができないものではない。現実性をみとめられるような理由ではないのだ。ウクライナ東部のロシア系の住民の保護というのはこの行為に対する批判の高まりにたいして出てきたもので一種の後づけという印象を免れない。

 

僕はロシアが外から侵略されるというような安全保障上の危機を感じたということではなく、プーチンの国家統治の危機があって、それを乗り切るための方法として戦争を取ったのではないか、と直観した。2024年の選挙もあり、終身大統領を目指すこともあるが、これまでの政治では乗り切れないという不安があって戦争の道を取ったという認識をした。この直観は間違ってはいないと思うが、裏付けが難しいと思ってきた。それはプーチンの政治的方向がつかめにくいということもあった。彼の政治理念、あるいは政治戦略をもう一つ明瞭にできないということもあった。あるいは20年に及ぶプーチン政治が続いてきたこと、そこでの危機の問題が明瞭にしにくいと思えることもある。

『ナワリヌイ』はその分かりにくいプーチンの政治を映す鏡としてあるという解説ではないが、それを期待して読んだのだが、期待にたがわずプーチン政治を認識させてくれるものであった。少なくとも、多くのヒントがちりばめられていることは疑いない。前号で紹介した『ウラジーミル・プーチンの大戦略』と併せて読めばいいのかもしれない。

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ナワリヌイは1976年生まれであり、現在は40代の半ば過ぎの反体制派の野党指導者である。本書によれば、彼は2000年にリベラル派の野党のメンバーとなり、2007年から企業の不正などを追及するやプーチン政権の汚職を追及する活動を展開し、2019年ころまでは若者たちに人気のプロガ―としてしられるようになっていたとある。汚職を追及する反汚職活動家であった。社会的活動家だった。ちなみにプーチンは2000年の初めにエリチィンから大統領に指名された。最初に大統領に就任したのは2000年の5月であるが、憲法で連続3回目の立候補が禁じられていたために一旦は大統領から退き、2012年に復帰した。一貫して大統領であったわけではないが、最高の指導者として君臨し続けてきた。

ソビエト連邦国が崩壊したのは1991年である。1991年にエリチィンが大統領になるが、エリチィンは1991年にベラルーシとウクライナとロシアをロシア連邦からの離脱とそれぞれ独立国家になることに合意し、ロシア共和国を成立させた。これはスターリン政治からの改革と離脱を志向したゴルバチョフ改革の帰結だった。

 

エリチィンは計画経済から市場経済への移行と西欧型の民主政治への移行をしたのであるが、経済的にはソ連型インフレ(ハイパーインフレ)を招き、ロシア経済をドン底状態に陥れた。また、議会側と大統領側の対立とクーデター騒ぎもあって不安定な政治状態を生み出し続けた。また、チエチエン戦争での敗北もあり、ロシア国家を苦境に追い込んでいた。このエリチィンの時代は社会主義権力の時代からから離脱とその改革が目指されながら、経済的にも政治的にも成功せずに不安体な状態を現出させたといわれている。

 

2000年のはじめに大統領になったプーチンは1990年代の経済的、政治的混乱をどう安定させるかの課題を担ったと言える。ロシア国内では旧体制の復帰を望む共産党の勢力も強かったのであるが、プーチンは旧ソ連の社会主義の復権を目指さなかった。彼はボルシエビーキを批判し、保守主義を宣言していたからである。彼はエリチィンの国家社会主義から資本主義への急激な移行に対して国家要素、つまり、国家資本主義の方に修正を加えたと言える。これは彼が経済に対して国家統治を重要視する考えによるのだが,計画経済から市場経済への移行についてはエリチィンの取った道を継承しつつ、修正を加えたことなのだ。他方で政治的には官僚統治を西欧的民主主義の移入で変えようとしたエリチィンの国家改革を継承しつつ、修正しようとした。これは国家主義的修正だった。

長らくロシアを支配してきたのは「プロレタリア独裁による統治」とそのもとで一国社会主義(国家社会主義)を進めることだった。これはスターリン主義(起源はレーニン主義)で社会主義といわれるものだった。この後に、経済的には国家資本主義へという道と民主独裁という政治の道を取ろうとしたのがプーチンの路線だった。このプーチンの路線というか、政治は1990年代(エリチィン時代)の経済的・政治的混乱を安定させた。ロシアの反体制政治家でプーチンの片腕となり大統領理にもなったメドヴェージエフはプロセスを『プーチンの謎』として書いている。これは2000年の8月に出された本だが、ここで注目しておいていいのはプーチンの謎と言われるように彼の政治思想は謎のように思われていたことだ。これは彼の軍事的戦略(国家的戦略)が秘されていて、周辺の人にも彼の政治的存在は謎とされていたということだ。プーチンそのものがプーチン党(統一ロシア党)のイデオロギーであると言われてきたものであり、今回のウクライナ侵略もプーチンの意思だと言われていることだし、わかりにくいと思われる由縁でもある。

 

このプーチンの政治を批判し、ある意味で最大の政治的敵対者となったのはナワリヌイである。彼は「西欧化を目指す。つまり民主主義と法の支配」を志向する。その点では社会主義をめざす反体制の政治家ではない。その意味では彼のイデオロギー的立場は大きな意味でのリベラル派であるが、内容的にはそれゆえに明瞭ではない。彼に様々な評価があるのはそのためである。彼は民主主義派の英雄でもあるが、一方で扇動家、また差別主義者という批判を課せられる。彼の像は複雑であると記せられているが、そうならざるを得ないと思う。それには二つの理由が考えられる。その一つは現在の体制(資本主義)を超える社会のビジョンを描くことが困難であること。もう一つは現在の政治体制をこえる政治的ビジョンを描くことが難しいなことである。かつてなら社会主義(政治・経済)は反体制理念たり得たし、それなりのビジョンも描けたかもしれないが、今はそうではない。とりわけ「プロレタリア独裁による統治」という社会主義政治のビジョンは完全に破産した。ロシアのような旧社会主義国では西欧の民主主義や市場経済などがかつてなら反体制の理念たり得たろうが、今はそう簡単ではではない。市場経済や民主主義が不十分であれ、取入れられそれを経験してきたのだかである。ナワリヌイがイデオロギー的にはそれが曖昧で複雑になるほかないのは、世界中の反体制運動家が遭遇していることでもある。

 

僕はもうだいぶ前だが、吉本隆明と中上健次が左翼性とは何かをめぐって論争をしていたことを想起するのだが、左翼性とは反体制性、あるいは反権力性というのと同じことである。それは明瞭なイメージを持てない状況にあるのだ。

イデオロギー理念よりも具体的な経済や政治の動きの批判から出発するということがナワリヌイの活動であり、反体制的行動である。彼の政治内容が複雑でいろいろ変わると言われるのは彼が統治権力の動きに合わせているためであり、権力の動きが変わるからである。反汚職活動家として、抗議者として、クレムリンに対する批判者としての彼の行動は理念ではなく、現実意識から出発する(そうするほかなかった)彼の軌跡をあらわしている。「はじめはただの投資家だった」「ナワリヌイはロシアの企業の内情をのぞいて活動家になった」「それはそのうち信念になった」。企業の汚職の摘発から。汚職を権力保持のシステムに組み込まれた構造の批判に発展させたのである。彼は巨大な権力の裏側を暴くことにになった。彼はプーチンの党(統一ロシア党)を「詐欺師と泥棒の党」名付けて挑むようになり、統治の内実を暴かれることにプーチンは恐れるようになる。

汚職の問題はロシアの官僚制権力と深く結びついた事柄であり、根の深い問題である。プーチンの政治が共産主義批判にもかかわらず、引き継いだ形のスターリン型の独裁(専制)政治はロシアの伝統的な官僚政治であるが、それは汚職と結びついていたのである。最近、ネット上で、強い軍隊と言われたロシアの軍隊がウクライナの人々の抵抗のもとに弱さをさららした原因として、汚職による軍隊の力の脆弱化が指摘されていた。

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「ナワリヌイを有名にしたのはプーチンが大統領に復帰することを決めた2011年から大統領選挙のあった2011年の抗議行動だ。プーチン政権の腐敗ぶりや下院選挙の不正を追及し、プーチン政権の与党の統一ロシアを『詐欺師と泥棒と党』と激しく非難。この支持の広がりもあり、政権にとって危機感をもたらすものだった。プーチンは「プロレタリア独裁による統治」にとってかわる民主主義や法の支配がロシアではなかなか根付かなく、政治的混乱を招くことをエリチィンの時代に知ったのだと思うが、そこで彼がとったのは国家主義的統治である、これは国民主権や法の支配という民主主義の根幹を除いた民主主義を取ったことであり、彼がいう民主的独裁である。習近平がいう民主主義も同じものだ。この独裁は行政独裁ということをイメージすればわかりやすいかもしれないが、彼が批判するナチズムの政治を想起してもいいと思う。政敵の暗殺や毒殺による排除、言論統制と脅迫、選挙の不正(野党は絶対に勝てない選挙)などの政治、つまり統治方法は独裁政治であり、全体主義(国家主義の過激化したものである)であり、民主政治とは矛盾するものである。これは自由の欠如からくるものであり、自由なき民主主義なら取る形態の一つと言える。これは法の支配についてもいえる。プーチンの取っているのは法の支配ではなく、「法による支配」である。「法の支配」は法が権力を支配(制限に含めて)するものだ。「法による支配」はそうではない。そこでは「法」は権力者の道具であり、法の解釈では権力者に優位に解釈されるものだ。プーチン政権下で法はどのように機能しているかこの本でもうかがえるが、中国での法の現状もこうしたものとして理解できる。「法の支配」と『法による支配』の違いは重要なことだ。

 

ここで問題はなぜにプーチンの政治が支持を得るかということである。この一つは国家権力の暴力的支配である。自由な批判や犯行を暴力的に封ずることが一つ考えられる。プーチンは国家権力とは別の暴力装置(ナチズム下ではヒッラーの親衛隊)に匹敵するプーチン親衛隊を持っていると言われるが、暴力的支配(そのための恐怖も含めて)と、そのための装置を持っている。彼が陰に陽にこの暴力を駆使することは明らかだし、それで彼が恐れられていることでもはっきりしている。だが彼の支配力はそれだけではないと思う。ヒットラーも天皇制もまたスターリンも、暴力支配だけでなく、民衆の支持をえていたということがある。ナショナリズムを組織し、それによって支持を得ていたということである。独裁政治が国民的支持を得てきた場合の秘密と言っていいが、そこで重要なことは戦争が媒介していたことである。戦争は一般に指導者の支持をたかめるというが、権威主義的な指導者の支持をたかめる。それは軍政(軍の政治)に起因することであり、権威主義(独裁政治)の支持に結びつきやすいのである。

 

プーチンのその権力保持のために人心掌握に力を注いでできたということであるが、そのためには戦争がうまく使われてきたということがある。

例えば、チエチエン戦争をうまく使ってきたということである、この本で言えばクリミア合併がナショナリズムを高め、プーチン支持を高めた記述がある。

チエチエン戦争について詳細は述べないが、これをプーチンはナショナリズムの喚起のためにやり、自己の政治的支持につなげた。この本でも彼の人心掌握に戦争(第二次世界戦争-彼らには祖国防衛大戦争も含めて)がどのように使われてきたかの記述がみられる。ここにプーチン政治の隠された秘密があるように思える。プーチンのロシア帝国復活という政治構想(戦略)には彼のナショナリズムの復活が張り付いているのであり、そこにまた戦争は張り付いてもいる。これは今回の戦争の拝骨をなすものだが。両刃の刃ということもある。その賭けに出ざるを得ない政治状況があったと僕は推察するが、それはナワリヌイ等の存在や支持の広がりに危機感を抱いていたともいえる。長く続いた独裁権力には鋭敏な危機感があり、戦争は麻薬のようなものであることを知っていたのだろうが、それに踏み切った背景をこの本は教えてくれる。

初出:出版人

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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