はじめに
朝鮮半島が南北に分断されて70周年に当たる本年、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では盛んに記念行事が開催された。筆者は本年、北朝鮮を10月20~24日に訪問、韓国へも計4回にわたり往来した。だが、ついに南北朝鮮が共同した記念行事を見ることはなかった。
本稿は朝鮮分断70周年に当たる2015年を終えるに際し、北朝鮮と韓国の情勢、南北関係と各国をめぐる国際関係、そして日本と朝鮮半島の関係について、順に本年の問題を中心に論述してみたい。以下、敬称は全て省略し、情報源については可能な限り記述するものの、人権問題が絡む場合は隠匿することをお断りしておく。なお、引用した韓国や北朝鮮の新聞は全て本年の電子版である。
1. 北朝鮮の情勢
昨年12月の張成沢粛清の衝撃の中、新年を迎えた北朝鮮では恒例の金正恩による年頭の辞が発表された。彼は軍事と経済を同時に発展させる「並進路線」に従い、「科学技術の力で全ての部門を速やかに発展させ、人民の楽園を築くことはわが党の決心であり意志」と強調した。そして「意義深い今年、人民生活の向上において転換をもたらさなければならない。農業と畜産業、水産業を3本の柱とし、人民の食の問題を解決し、食生活水準を一段と高めなければならない」(『朝鮮新報』1月3日付の邦訳)と明言した。
このように、北朝鮮では経済停滞の中で人民が食べる問題を何とか克服する取り組みが本年の最重要課題であったと言える。1956年と前後して北朝鮮では、旧ソ連邦や中国の農業集団化を手本として、現在に至る効率の悪い経済システムを構築した。この経済システムにより経済成長が止まった後、いわゆる「千里馬運動」を唱導して人海戦術で対処しようとしたが、結局この経済システムの弊害を取り除くことは不可能であった。
そこで、ここに来て金正恩は、大胆に資本主義的な手法を導入し、農業セクターでの自由化に踏み切ったのである。つまり、小規模な農民組織による営農、納税後の余剰生産物の自由処分、そして農民市場の全国的な承認は、農民の生産意欲を引き出し、農作物の流通を促進して、旱魃による被害が大きかったにも関わらず、結果として「人民の食の問題を解決」するのに大きく寄与したと言えよう。
一方で北朝鮮は、6者協議の無条件開催を求めつつも、潜水艦発射型弾道弾(SLBM)など核とミサイルの開発をネタとして外交政策を展開し続けた。先の牡丹峰楽団の北京公演では、舞台の背景に映し出されたミサイル発射の映像に中国が不快感を示したことで、どうやら金正恩の指示で公演を中止させたようである。だが、10月の70周年記念行事に出席した劉雲山は、記念行事で北朝鮮が断行すると予想されていた核実験なりミサイル発射なりを中止させるのに成功した。中朝関係の位相をよく示す事件であったと言える。
実際に筆者が訪朝した際に感じた印象、すなわち中国人旅行者による訪朝は、板門店の案内将校が「中国人は難しい」と慨嘆する程度に、北朝鮮が統制できない人数に達している。日本では爆買いが流行語大賞になったように、今や中国との関係は、単に政府間だけでなく民間レベルにおいて、北朝鮮にも甚大なる影響を与えている。
多くの観察者が証言しているとおり、中朝の経済交流は既に、張成沢の粛清で悪化した以前の水準にまで回復している。ホテルの豊かになった食事、平壌市内を走る車の量、そして街を行く人々の華麗な服装や持ち運ぶ物品の多さは、中朝関係の改善が背後にある事実を示している。まもなく鴨緑江新橋が開通して、さらに物資と人が往来するようになろう。この点は最近、韓国政府の統一部長官も素直に認めた(『ハンギョレ』12月17日)。
こうして金正恩は、人民生活の問題を解決してみせることで、自らの権力基盤を固めるのに成功したと一旦は見て良いと思われる。多数の粛清や国外逃亡の話も、彼の政権が弱体ゆえではなく、この体制固めの過程で起こったのである。したがって、彼が来年の早い時期に訪中するかどうかに関わらず、北朝鮮情勢は引き続いて比較的に安定的な推移を見せるであろうし、米国の出方によっては6者会談が開催される可能性もなしとしない。
2. 韓国の情勢
北朝鮮と同様に韓国でも最高指導者の権力が強化されて、野党の指導者である文在寅が指摘したように、朴僅恵による「新独裁」の観を呈するようになった(『ハンギョレ』2015年12月16日)。顧みると本年の韓国は、昨年4月の歳月号沈没事件の余波の中、鄭烘原の引責辞任後に総理が決まらず、李完九の総理指名(1月)から辞任(4月)、そして黄教安の総理就任(6月)まで国政の空転が一年以上も続き、この間にマーズ(Mers)処理問題で観光客が激減する等、後進国に特有な構造的な政治経済的諸問題が噴出した。
幸い「選挙の女王」と言われる朴僅恵のカリスマ性が4月の補欠選挙を勝利に導き、さらに新政治民主連合が共同代表だった文在寅と安哲秀、2人の内紛から事実上の解体状態に陥った。そこで朴僅恵は、本年後半になると歴史教科書の国定化を推進させて、これを強引に政府が確定告示した(11月)。また、労働法案の処理や中韓FTAの国会批准を急がせる余り、ついに「職権上程」により強引に国会で通過させようとまで企図するに至った。国会議長の鄭義和が、この企図に頑強に抵抗しているのが現状である。
総じて韓国内の情勢は、民主主義と人権を蹂躙するかのような諸事件が相次ぎ、例えば従軍慰安婦の問題では『帝国の慰安婦』著者の朴裕河を検察が「名誉棄損」といった容疑で起訴する、覆面をしてデモ行進する行為を「仮面禁止法」という日本では考えられない法律で取り締まろうとする等、学問や言論の自由を抑圧する方向が強まっている。
いつもの話ながら、歳月号で政府の方針に反対する人々を「従北勢力」と規定して、北朝鮮の手先であるかのように非難する発言や、旧統合進歩党を北朝鮮寄りの反体制勢力と規定して、これを裁判所で解党する決定を下す等、韓国が昨年から示している分断構造を利用する手法は、ますます鮮明に目につくようになった。また、実際には無罪判決が出たものの産経新聞記者の記事を大統領に対する名誉棄損として処罰しようとした、まるで旧刑法の「不敬罪」を彷彿とさせる政治裁判などは、韓国政治の後進性を露骨に示しており、その背後には北朝鮮と同様な独裁政治を伴っている。
この独裁政治から来る経済的な困窮は、高学歴社会の韓国で大卒の就職率が昨年は約64%と低迷し、経済協力開発機構(OECD)構成国中で自殺率が第1位である(『ハンギョレ』11月18日)ところに如実に表れている。そこから「ヘル朝鮮」とは、韓国で民衆が朝鮮王朝を想起させる地獄のような暮らしを揶揄して放った批判ながら、南北間の経済力格差を勘案すると、南北を区別することなく通用する批判であると言っても過言ではない。
この独裁については、正に対立と分断を国内政治に利用して、国内の反対勢力を軍事分界線の向こうにいる実際の敵対勢力と同一視しながら抑圧し、自国の統治を行おうとする旧態依然とした南北に共通の政治スタイルである。この「対立の相互依存」構造と筆者が呼ぶ、南北朝鮮に共通の弱小国政治こそ、本年あらためて我々が目にすることになった、あたかも韓国内で北朝鮮の手先が活動しているかのような主張であった。
したがって、南北朝鮮の情勢を眺める時、その本質的な同質性は否定しようがない。分断70周年を回顧すると、このような同質性は朝鮮戦争で南北各国にビルト・インされて以来、現在まで今後の情勢を見定める指標(Merkmal)となっている。つまり、韓国は自由主義、北朝鮮が社会主義といった区分は、共に儒教文化を基礎に持つ独裁の分立にとっては、誤解を導くだけの皮相な見方に過ぎないのである。
ここから結論的に述べて、南北朝鮮の関係は別に対立しているわけではなく、互いに分断と軍事的対峙を利用しながら、政治外交関係を継続しているに過ぎないのである。分断70周年に当たり、明確に「対立の相互依存」構造の持つ今ひとつの側面、すなわち筆者が「協力的な分断」と呼ぶ政治外交スタイルが、本年ほど誰の目にも明らかになったこともなかった。次に、この南北関係を少し具体的に論じていこう。
3. 南北関係と各国をめぐる国際関係
南北朝鮮は本年10月、いわゆる「木簡地雷」爆発による韓国兵2名の負傷事件に端を発した軍事的な緊張エスカレーションを通じ、あたかも戦争再発の一歩手前まで行く観を呈した。だが、この事件で在福岡韓国総領事館の友人が筆者に語った言葉どおり、もう「何も起きないだろう」ことは、日本国内でも多くの人たちが気付いていた。どれほど強硬な言葉や激烈な姿勢を見せられても、韓国にしろ北朝鮮にしろ再び朝鮮戦争を繰り返すことはないと一般には観察されていた。
南北関係にあって本年に特徴的な話は、朴僅恵が「来年にも統一が起きるかも知れない」と発言した点である(『ハンギョレ』8月18日)。その妥当性はともあれ、彼女なりに目算があって言った話であり、それは北朝鮮が体制として崩壊するという意味ではない。その含意は、上で述べた「協力的な分断」構造において、いつでも南北朝鮮が実施的な協力に移行できると考えているのである。つまり、対立か協力かは、ひとえに南北朝鮮の最高指導者たちの胸先三寸であって、あとは各国の国民にどう対立と協力を説明できるかという名分を立てる作業が残るのみである。
今回の戦争騒ぎで多くの識者が語ったように、南北朝鮮間で軍事的な比較を行っても、ほとんど意味がない。なぜならば、中国が戦争を望まない以上、北朝鮮が戦争を再開する恐れはないし、万が一それを敢行しても、米韓両軍が容易に鎮圧してしまうであろうことは火を見るよりも明らかだからである。少なくとも韓国にあっては、誰も北朝鮮の核開発を恐れていないどころか、いずれ北朝鮮の核武器が体制崩壊によって韓国の手に入ると豪語する者もいるほどである。
そもそも金正日が核開発を試みたのは、在来式武器では韓国にさえ太刀打ちできないと悟ったからであった。言うまでもなく、米国の武力に北朝鮮が対抗できるはずもなく、いみじくもオバマ(Barack Obama)が本音を語ったとおり、放置しておけば北朝鮮は自滅すると米国は考えている(YouTubeとのインタヴュー、2015年1月23日)。
だが、事態はそれほど簡単ではない。本年の戦争騒ぎで明らかになったように、南北朝鮮は外見上、意見対立→非難の応酬→軍事的な事件が勃発→軍事的な緊張のエスカレーション→チキンゲームによる戦争騒ぎ→一触即発直前の和解→長々しい対話→一時的な協力のポーズ→再び意見対立→・・・・・と堂々巡りを繰り返すのである。もちろん、事前に水面下の相互了解があるのかも知れないが、外部から観察する限り、このようなサイクルを無駄に続けるに過ぎない。それは、いかにも徒労でしかないように思われるかも知れない。
しかしながら、この緊張と和解の南北関係を支えているのが、北東アジアにおける米中関係である。米国は、北朝鮮の存在が中国と直接対決せずに軍事的プレゼンスを維持できる口実になる。また中国も、北朝鮮がいればこそ朝鮮半島をテコにして日米と対峙できるのである。ロシアにしても、南北朝鮮と国交を結んでいる影響力を使って、米中関係に口を挟めると言える。南北朝鮮が分断を意図的に続けている関係は、周辺諸国にとって望ましいばかりか、どの国もISIL台頭や難民急増といった世界的な新情勢に対応するためには、朝鮮半島で不必要な変化を起こしてほしくないと考えているだけである。
4. 日本と朝鮮半島の関係
同じように日本も、朝鮮半島での変化は困るのである。本年の特徴的で愉快だった点は、韓国も北朝鮮も日本の植民地統治から解放されて70周年に当たって、少しも日本政府の言うとおり動かなかったので、安倍政権が大弱りしたことである。どちらも日本の植民地統治の清算を強く要求し、従軍慰安婦に加えて北朝鮮は強制連行なども補償せよと主張した。本年の訪朝時に受入団体である朝鮮対外文化連絡協会(対文協)の幹部は、長々と自国の被害について、そして日本の加害責任について我々に演説するという有様であった(開城へ向かうバスの中で、10月22日)。
まず北朝鮮との関係について言えば、非常に険悪な状況で本年が終わりそうである。昨年9月に拉致調査を含めて在朝日本人について包括的な調査を行うと立ち上がった特別調査委員会は、既に調査を終えたにも関わらず、その調査結果報告を公開できないでいる。その理由は公然の秘密ながら、ひとえに日本政府が調査結果に難色を示しているからである。結果が公開されれば、日本国内の世論は猛反発、日朝間の会談どころではあるまい。
北朝鮮は元々、特別調査委員会の立ち上げにより安倍政権がもっと柔軟に出て来るはずだと踏んでいた。ところが、安倍政権は一強多弱の安定的な権力基盤を得ると、北朝鮮を正面から相手にする必要を余り感じなくなり、制裁の継続はもちろん拉致問題をテコにして、北朝鮮の人権問題をEUと一緒に国連に持ち出すようになったのである。
しかも、中韓が接近する中に日韓関係が悪化したこともあり、中韓と関係を修復する前の北朝鮮は、複雑な立場に直面して日本と容易に妥協することが出来なくなった。説明は要らないであろうが、日本と接近すれば中韓の反発を買うだけでなく、日本からも値踏みされて、お目当ての経済協力式の補償金も減額される恐れがあったのである。
日朝関係の改善は、このように北朝鮮が韓国、中国、ロシアと良好な関係を維持してこそ可能である。どの一国たりとも日朝関係の改善に反対すれば、北朝鮮のような弱小国は、その反対を押し切って関係改善に乗り出すのは難しい。外交の優先順位に置く相手の位相は、日本と北朝鮮では全く異なっていることを認識させる一年でもあった。
次に韓国について言うと、朴僅恵政権で長官を経験した旧知の教授は本年9月、次のようにソウルの職場で語ったことがある。「朴僅恵は、戦略的に慰安婦問題を持ち出した。本年を睨んだことであり、これは彼女が親日派の父親を持つため韓国内で批判を受けないように、また中国と北朝鮮政策で共同歩調を取れるように意図的にやったことだ。米国との関係は、韓国にとって基軸であって、これがブレることは絶対ない。朴僅恵が中国を何度も訪問すると言っても、それは彼女の独特なパフォーマンスであり、中国もよく分かっていることだ。韓国政府は、米中間でバランサーの役割が出来るとは考えていない。」
つまり、日韓関係は韓国の戦略的な思惑から日本が翻弄されたと言うべきであり、安倍総理の「談話」とは余り関係なく、中国を先にして関係改善が図られたところからも、この背景が分かる。ただし、中韓が結び付けば、どれほど日本に脅威かは本年の経験から明白になった。米国が仲介に入ってくれなければ、安倍政権としても立つ瀬がなかったはずである。いわば米国頼みの外交政策は、本年の経験から限界がはっきりと見えたと言うべきであろう。
慰安婦問題が来年に持ち越されただけでなく、特別調査委員会の報告も、いつ出るか分からない。安倍政権が長期にわたるであろうという観測が出る中、日本と朝鮮半島の70周年が依然として植民地統治の清算という次元で足踏みをしている現状に鑑みると、政府レベルの関係改善に先んじて今や民間レベルの大胆な関係構築が必要だと筆者は感じざるを得ない。韓国とは既に友好親善の強い絆が多数あるので、これから構築すべきは北朝鮮との実質的な交流の絆である。
おわりに
筆者は本年の訪朝に際し、対文協の幹部に平壌に日本料理屋を開設したい意向を伝え、これに賛同と協力を得た。未だ計画段階に過ぎないけれども、来年から3年を目途に博多長浜ラーメン店を開き、この経営が軌道に乗れば順次、提供する品目を増やしていき、最終的に総合的な日本料理店としたい。5~10年が成否の分かれる目安であろうか。
平壌の資本主義化は、我々が予想したよりも急速に進んでいる。対文協の幹部は、その資金について約3千万円と明言したくらいである。「ウリ(我々)式」社会主義の北朝鮮が全てカネの世界になるのを残念に思う諸氏もおられるかも知れないが、現実は正直であるし、ヒト・カネ・モノ・情報が動かなければ、友好親善など絵に描いた餅であるし、血は通わない。特にカネが動かないと人は動かないし、そこにイデオロギーは全く不要である。
最後に、分断70周年を送るに先立ち、本稿は読者諸氏に訴えたい。すなわち、朝鮮戦争を通じて分断は「対立の相互依存」構造を形成したが、韓国の「包容政策」により「協力的な分断」構造へと部分的に移行し始めた。これにより、今や分断は南北朝鮮の為政者たちが意図的に続けているのであり、我々のような外部の者が「対立するな」とか「統一しろ」とか言う必要は無い。韓国人と朝鮮人の関係は、彼らに任せておけば良い。
本年まさに流行した歌は、アナ雪で流れた“Let it go”であった。南北朝鮮の関係を眺める場合、我々が心得るべきは正に、やりたいようにやらせれば良い、という要諦である。もちろん、南北それぞれと友好親善を促進するのに、何ら憚ることは無いのである。もしも我々に出来る手助けがあるとすれば、さまざまなルートを通じて日朝と日韓の友好親善関係を促進し、その動きが政府間の和解と協力を引き出すように仕向けることである。筆者は、先に述べた日本料理店の計画が、それに先鞭を付けると確信している。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3168:151220〕