ハマスのイスラエル奇襲から9カ月。中東から流れてくる悲惨なニュースに日々苛まれ、抉られていた心が、すっかり鈍感になってしまった感がある。そんな世界の空気がまだ戦々恐々とした今年はじめ、イランの友人から驚きの情報が飛び込んできた。2月4日から日本人のビザなし入国が解禁になったというのだ。長年の経済封鎖により疲弊した経済の持ち直し政策の一環として、外国人ツーリストの召致に力を入れるためビザ免除国リストが大幅に拡大、アジア、アフリカ、中東地域の32か国以上が対象となっており、日本は西側諸国の中で唯一のリスト入りだった。
強権政府の理不尽な圧政と、武器の輸出入やテロリストの暗躍による国際地政学上の悪名の高さ、長年の宿敵イスラエルがパレスチナ問題で大炎上している現状に、いったい市民はどんな本音を抱いているのだろうか? 政府が海外からの観光客を誘致しようとしているなら、外人は多少髪の毛が見えても文句は言わないルールになったのだろうか? 好奇心に駆られて初のビザなしイラン旅行を試みることにした。
拍子抜けの入国審査、不愉快な出国審査
イスファハンが40年ぶりという異例の寒波に襲われた2月末。イスタンブールとイスファハンを結ぶトルコ航空深夜フライトは往復とも満席だった。深夜2時の入国審査所。さてどんなことが起こるのか。こわごわとブースにパスポートを差し出すと、官吏は日本パスポートを見て頬をこわばらせ、「No visa? 」と一言。「No!」ときっぱり言い放つと、圧をかけるように「No ? No ?」としつこく、だがちょっと不安顔で質問してくる。どうやら「日本人はビザなしで入国できるようになった」ことを知らないらしい
しばらく私をにらんだ末、やおら立ち上がり、事務所に走って行った。待つこと数分。戻ってくると態度が一変している。
「OK, Welcome ! Enjoy !」にこやかにパスポートを返してきた。イランの入国スタンプがあるとアメリカやイスラエルに行けなくなるので、一言頼めば入国スタンプを押さずに返してくれる、というネットの噂も本当だった。彼はスタンプには手も触れなかった。おまけに事前の調べでは「イラン国内で有効の旅行保険加入書類の提出が必須」とのことだったのに、差し出した紙は目もくれず押し戻され、結局拍子はずれなほど簡単に入国できてしまった。首都テヘランから入国せず、深夜の地方空港に直接乗り込んだのが幸いしたのかもしれない。(写真 イスファハン空港内部、柱の一本一本に豪華なイスラム装飾が施されている)
拍子抜けのヒジャブ(ベール)事情
氷点下の翌朝。全土に敷かれた公共の場所でのヒジャブ着用義務の厳しさに、街行く女性は皆すっぽりベールをかぶっている、という光景を覚悟して街に出た。「ハロー!ウェルカム!」最初に人懐こく声をかけてきたジニさん
は16歳の女子高生、ジーンズにバックパック、かわいいオレンジ色のニット帽姿(写真)。外国人と見ればみんな声をかけてくるよ、という噂は本当だった。滞在中、老若男女、誰彼となくハロー、ハローと声をかけられる。街ゆく若い女性は皆ふんわりと上着のフードをかぶったり、きれいな柄のスカーフをかわいらしく巻いたり。おしゃれにカールした栗毛や金髪の前髪を上手に見せている。もちろん典型的な黒ずくめの、目の上まですっぽり隠すスタイルの人もいたが年配の女性が多く、渡航前にYoutubeで「ヒジャブの正しい被り方」まで学習していった私は、すっかり拍子抜けしてしまった。中心部に軒を並べるおしゃれなブティックを見て回ると美しいスカーフが山ほど売られている。思わず3枚も購入し、滞在中から着回して楽しんだ。街歩き中ずっとフェルトやニットの帽子をかぶり、屋内ではそれを脱いでいた友人のシーリーンは、「何か言われたらかぶればいい」というスタンス。結局2人で一週間歩き回って「何か言われた」のはたった一度、5つ星ホテルの広大な吹き抜けロビーにあるカフェに座った時、注文を取りにきたウェイトレスが申し訳なさそうに小声で「ヒジャブをお願いします」と囁いてきた。(←写真 おしゃれなカフェで談笑中の美しいマダムたち)
それでも一カ所だけ取り締まりが厳しいところがあるという。なんとそれは走行中の車の中。完全にプライベートな空間なのに、街中いたる所にある監視カメラが車内の女性を撮影し、被っていないと家に警告書が送られてくるそうだ。1回目、2回目の警告の後、3回目の罰則はなんと「車両没収」とのこと。シーリーンはすでに2回警告を受けているそうで、「ごめんね、被っておいてね」と最初に注意された。
さて、ヒジャブを着けると当然、顔だけが露出する。するとその部分を「盛る」のは女性にとっての重要関心事! ということでイラン人女性に大流行りなのが美容整形手術とお化粧。1週間のイスファハン滞在で鼻に絆創膏を貼った女性を5人も目撃した。あれはDVでも受けたのか、と尋ねると「あぁ、あれは整形手術したのよ。みんなやってるわ。鼻が高すぎるとかわいくないからね」とこともなげに答えたシーリーン。そして高校生から高齢の女性まで、イラン人女性の化粧のスキルもハンパではない。もともとイラン人はコーカサス人種で非常に整った美しい顔立ちなのに、整形と化粧で盛りまくり! あちこちで思わず見入ってしまうような美形に遭遇した。うらやましい限りだ。(→写真 テラスで食事中のシーリーンの姪っ子マヤは23歳の大学生。超長つけまつげが印象的!)
厳しい“はず”のネット規制
Facebook, X, WhatsApp(Meta社のメッセージアプリ), Youtube, Instagram・・・どれもイラン政府はアクセスを禁止しているはずが、実はみんなVirtual Private Network(バーチャル・プライベート・ネットワーク)アプリをつかって自由にアクセスしている! だが、どのVPNアプリでも使えるわけではなく、特定の数社のものが必要らしい。
そしてその「使える」VPNを売ってる会社の裏には政府関係企業が絡んでいて、「結局政府は上手に金もうけしているだけだよ」。確かに、商店やレストラン、果ては国営ホテルの案内パンフレットにまで、堂々とインスタのロゴとハンドル名が書いてあったし、(↑写真 ショップ入口のインスタロゴ)バス停でも路上でも、YouTube動画に見入っている人は山ほどいた。私も街角で、フランスの友人とスカイプ通話をしてみたが、何の通信障害もなく、キレイなビデオ通話が楽しめた。
テレビ
街を行くと多くの一般家屋や集合住宅にテレビ用サテライトアンテナが設置されている。中東各国、欧州、アメリカ西海岸からの放送まで、衛星テレビチャンネルの数は数えきれない。あんな目立つもの、当局は没収しないの? とシーリーンの義弟マズルに聞くと、「そんなこともあったな、革命(1979年)の後は。でもまたみんな買ってきたよ。今じゃみんな持ってる。全部取り締まるなんて無理無理。ははは」と一笑。
トルコやロンドン、ロスアンジェルスから発信されているディアスポラ(国外移住者)のペルシア語放送には亡命ミュージシャンやアーティストが着飾って堂々と出演している。ある日のロンドンのチャンネルでは、イラン国内で投獄され、釈放後に亡命してきたという若い女優がインタビュー番組のゲストで、テヘランの牢獄での生活を赤裸々に語っていた。それにじっと聞き入るシーリーン一家。市民と政府がいかに隔絶されているかがかいま見えた瞬間だった。
緩い宗教事情
イスラム教シーア派が大多数を占めるイランではスンニ派のサウジアラビアやエジプトとは宗教事情も違っている。イスファハン中心部にあって「世界の半分」との異名を取る壮大な世界遺産、イマーム広場周辺をはじめ、モスクやミナレットはそこここに見かけるものの、街でアザーンが聞こえたことは一度もなかった。(←写真 イマーム広場のジャーメ・モスク)そしてよくアラブ世界の観光ガイドやテレビのルポで見かけるような、街角で絨毯を敷いてお祈りをする男性たち、というのもどこにもいなかった。「戒律を守り、毎日の礼拝をきちんとしている人なんかほとんどいないわよ」、とあっけらかんと言うシーリーン。彼女は親戚一同でたった一人の信者で、毎朝毎晩に家のダイニングテーブルでひとりで10分ほど、白い布を被ってぶつぶつ祈りを唱えていた。ラマダーンの断食も家族の中で1人きりなので、ラジオの時報
を頼りに自分で自分の食事を管理するとのこと。
街角には郵便ポストのような貴賤箱(写真)があちこちに立っていて、商店などの入口にも窯のような物が置いてある。だがこの経済危機の真っただ中に喜捨のできる人がどれほどいるのだろうか。
ザーヤンデ川
ザーヤンデ川はオアシスの街イスファハンの憩いの場だ。広いところで川幅300mもある。川にかかる橋のいくつかは17世紀以降の歴史的なもので2階建て、堰、屋根付き回廊など見事な工夫の施され、歩行者専用でそれ自体が観光名所と呼べる建造物。ところが私が訪れた3月、この広大な川は完全に干上がっていた。(写真 完全に干上がった川)
「流域の工業地帯に融通するため、数年前から一年のうちほとんどを上流のダムでせき止め、イスファハンの街には年に数カ月しか流してもらえない」とシーリーン。なるほど、この地方は戦闘ドローン製造の要所なのだった。この広大な川は結局どの海へ注ぐわけでもなく、100kmほど先で砂地に消えてしまう運命だ。
選挙
3月1日は国会議員総選挙の日だった。翌朝、政府は投票率41%との発表を出したが、当日、市中心部の2カ所の投票所を訪れてみたところ、どちらも閑散として投票者はごくまばら。入口に座った官吏らしき人は一心にスマホに見入っていた。一方テレビの国営放送では一日中、各地の投票所で列を作る多くの市民を映しており、終了時間の午後8時間近になって、「投票者が殺到して投票が終わりきらないので夜中の12時まで投票時間を延長します」と発表。それを聞いたシーリーンの一家は思わず大爆笑。「殺到なんかどこにもないじゃない、何とかしてもっと投票に来てもらいたいだけよ」。なぜ投票に行かないのか?と聞くと、真顔で「結果はわかっているんだから、行っても意味ないじゃない」(写真 選挙日を前にしてイマーム広場の噴水池に立ち並ぶ国旗。「うわっ、かわいくない!」とシーリーンは苦笑していた)。
この、政府と完全に隔絶した市民感情は、今回のイスラエルとの対立激化についても感じられるものだった。イスラエルがイスファハンを攻撃した金曜日の朝、慌ててシーリーンにメッセージをすると、「週末(イランは木、金が週末)はいいお天気で静かだったわ。何の音もしなかったわよ。イスラエルとイランが威嚇しあっているだけ。心配しないで大丈夫」との落ち着いた返事。VPNを介して西側の報道は全て筒抜けに市民に伝わっているが、彼らに悲壮感はない。
出国地獄
入国の簡単さとは逆に、出国時には警察によるパスポートチェック、手荷物検査、女性専用ルームでの文字通り“全身”のボディーチェック(2回も!)と深夜1時の空港で2時間以上も次々と列に並ばされた。それぞれの担当官の威圧的な態度がいかにも「外国に行こうなんて大それたことをするなら、それ相応のイジメは我慢しろ」と言わんばかり。それでもなんとか国外に出ようという乗客たちの張り詰めた空気は、旧東欧、ソ連のそれを思い出させた。経験のある方は二ヤッとすると思う、いわゆる小官吏のカラ威張りというやつだった。
===
2022年9月、首都テヘランで22歳の女性がヒジャブ(スカーフ)のかぶり方をめぐって道徳警察に拘束されて不審死を遂げ
た事件が世界に広まって世界中で大規模な抗議活動を呼び、西側世界における悪名度にさらに磨きがかかっていたイラン。多少覚悟して訪れたイスファハンの街とそこに暮らす市民の様子はそんなイメージを全く覆すものだった。圧政をかいくぐる術を心得て、時には政府を笑いものにし、西欧の使い捨て生活とは真逆にモノを丁寧に大切に扱い、大家族が助け合って暮らす貧しいながらも真心と笑顔のある生活は、1980年代の社会主義崩壊前のソ連や東欧諸国の暮らしを思い出させた。やはり、幸せは統計数字や経済的な貧富では到底推し量れないものらしい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5275:240704〕