時間の経つのははやいものですね。ロシアのウクライナ侵攻からもうすぐ4か月近くになります。テレビや新聞の報道も一色という様相だったのですが、ここにきてそれは減っています。そうすると今度はウクライナでの戦争も遠景に退いて、日常の断片のごときものになっています。このことの恐ろしさというか、世界の構造に、これはなんだろう、という思いが募っています。
ウクライナ戦争は僕の周辺でもいろいろの議論を呼んでいます。この議論は僕には1960年の安保闘争後の議論を想起させました。あの時と違って僕らの反体制運動は社会的な力を持っていませんから、それらは小さなグループでの議論という様相をとっています。しかし、この議論は1960年代に左翼というか、反体制運動の理念の変革に匹敵するものをもたらしていくように思えます。だから、僕はこの議論についあって行こうと思っているのですが、1960年安保闘争後の議論を想起させたことが大事なことと思っています。時間を呼び戻されたような議論をみながら、僕はあの時代には見えなかったことが、見えるということもあるのです。このかつては見えなかったことが見えるということは、60年以降を生きた時間、あるいは時間の中での経験ということなのだと思いますが、僕はこれを樺さんに語りたいと思いました。
樺さんが生きられなかった時間を僕らが生きたことの意味を樺さんに伝えたいということが、少しは見えてきたということでしょうか。
紫陽花がきれいに色づくこの6月は芥川が「またたちえる水無月の…」と歌った月です、この水無月の真ん中である6月15日は僕には樺さんに会いにくる日です。かつて6月15日に樺さんと一緒に闘った友も次々に鬼籍に入っています。6月15日に国会構内にいた友も亡くなりました。国会構内にいた多くの人がすでに旅立っているのかもしれません。こんな中でいつまで樺さんにあいに来るのだ、とういう内心の声もあります。今後のことはわかりません、ただ、今年も行こうと思います。もうあすですが。(文責 三上治)