東京都知事選における勘違いと不備

東京都知事選を戦う野党各党と、候補者自身でさえも、何か大きな勘違いをされておられるようです。 その一部を先の拙稿で書いたのですが、根本的な処で、自らの誤謬を認識されておられないようですので、念のために続編を投稿します。

そもそも、野党各党も、候補者御自身も、憲法上の地方自治を正当に理解されておられるのでしょうか。 私には、野党各党も候補者御自身も、参議院選挙の敗北の腹いせに都知事を取りに行っている、としか観えません。

東京都と言う地方自治体固有の行政課題なり、問題点を理解した上で、住民自治の観点に立ち、住民自身の要求を受けて、その各種要求を政策化し、実現するために都知事を目指す、即ち、憲法を地方自治に生かす観点が窺えません。

前世紀には、一時期、革新自治体で中央を包囲する、と言われた程に、全国各地に社共共闘で、続々と革新自治体が出来ました。

この時期の社共共闘では、主に高度経済成長における負の遺産である公害対策や、大規模開発に伴う義務教育施設新規設置・拡充、道路・橋梁等の公の施設整備等の都市問題への対応・解決を迫られた地方における行政施策が課題になり、大規模開発では、開発事業者から「開発協力金」を徴収し、建設予算に充当する等の対応をし、また当時は、これ等大規模開発とともに、公害等の行政法未整備で法的解決が不可能な問題では、所謂、「要綱」を整備し対応する行政指導に依る「要綱行政」で課題解決に挑む等の諸工夫で革新自治体の存在価値が高まりました。

翻って、今回のように、国政選挙の代替に、地方選挙で、中央の課題を主に取り上げるのでは、そもそも、筋違いであり、何のために地方自治があるのかを問わねばなりません。

バブル崩壊後の地方では、経済疲弊のために財政悪化に陥り、また人口減のために衰退する一方であり、東京都のように恵まれた条件下にはありません。しかしながら、その都にあっても矛盾を内包していること自体には変わりはありません。

生活苦でも削減される一方の予算配分の煽りで生活保護の手が伸びていない世帯も多いことでしょう、都内再開発では、大企業優遇の陰では、無視され冷遇される住民も多数です。 オリンピック関連予算は、豪壮ですが、一般の都市施設整備と更新は、充分でしょうか。 また、各地で大地震が生起していますが、都内で起これば対策は充分でしょうか。 高速道路は、整備されたのでしょうが、都内一般道路の渋滞は、解消されましたか。 例えば、幹線道路の交差点における右折車線は整備されているのでしょうが、一般市街地の道路では、右折車線の整備は充分でしょうか。 また、歩道整備は、充分でしょうか。 ハンディキャップのある人も都内の移動に支障はありませんか。 保育所へは、希望すれば全員が通所出来るのでしょうか。

理論的な野党共闘の有り方については、澤藤藤一郎氏と、醍醐聡先生との間で、論争(意見の交換)があり、ちきゅう座で両論を読めますが、論理では、醍醐先生の御指摘が正統と思われます。 しかしながら澤藤氏の言われる切迫感も理解出来ます。 ただ、私は、地方自治体選挙での住民感情を勘案すれば、中央での選挙結果のつけ回しをするのは、選挙戦を戦う上においても得策では無いと思います。

地方には地方の課題が存在するのです。 そして、中央では敵味方の関係も、地方では、時には、味方同士になる場合もあることを指摘したいのです。 即ち、前稿(東京都知事選での現実)でも、一部は触れましたが、中央では敵対する政権を構成する政党・政派でも、地方では、課題に依れば協力を得られることがあるのです。

そして最後に触れなければならないのが、地方自治体労働者(地方公務員)の果たす役割です。 嘗ての革新自治体では、自覚的な自治体労働者が先進的役割を果たして、足許から革新自治体を支えました。

不詳、この私もその一員でした。 自分で言うのも可笑しいですが、自治体問題も専門的に学びましたし、実務の報酬で頂く給料等も、眼中に無い程に当面の課題を解決するために働きました。 勤務していた自治体の首長は、朝の通勤時間帯にすれ違う折に、頑張っているな、と一言を掛けてくれるので、余計に頑張るのでした。 勿論、選挙の折には、法の枠内で戦いました。 余談ですが。ある時の選挙時に、候補者の街宣車が通りかかり、自分が乗っているのが公用車であるのを忘れて、応援の警笛を鳴らしてしまい、後で後悔した程です。

今回の選挙に止まらず、今世紀の地方自治体選挙では、自治体労働者の声が聞こえません。 自治体労働組合も弱体化しているのが理由でしょうが、当該自治体に働く労働者の協力が無ければ、如何に首長が革新的でも限界があります。

この限界は、一般には余り意識されてはいませんが、私には、決定的では無いものの、必要な側面を欠くもの、と思われてなりません。