東日本大震災から1カ月が過ぎて

著者: 三上治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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大震災と言って僕の日常生活で変わったところはない。震災に遭遇した人々の事を心に留めながらあれこれ考えて過ごしているだけである。過度の自粛は良くないし、それが波及する事態を憂慮している。だが、この大震災が僕のこころのなかの光景や時間感覚を変えてしまったことは疑いない。これはうまく説明がつかないし言葉にならないのだけれど、何かが変わってしまった。日常生活で変わったところはないと書いたが丁寧に新聞などを読まなくなったことがある。僕は熱心に新聞を読み世の中の動きを理解しようとしてきた。重要と思える記事はスクラップしてきたが、今は極一部しかやらなくなった。 

中国大陸に出征してガス隊にいた小津安二郎は当時流行の『麦と兵隊』(火野葦平)や『生きている兵隊』(石川達三)等には見向きもせずに戦争とは関係のない谷崎潤一郎等の小説を読み漁っていたと伝えられている。大震災の報道記事等よりは関係のない小説でも読んでいたい気分である。そうは言っても気になることはある。先輩の山田恭暉さんの提案のあった福島第一原発暴発阻止行動プロジェクトのことだ。原発の暴発を阻止するために専門家《技術屋》を中心にした炉の冷却機能の回復作業を担うメンバーを結集し事態に対応するという提言である。この提言に僕は賛成だし、提言が実現するために動きたいと思っている、やはりこれは時間との闘いと言う側面があり気持ちは焦る。焦ってもどうしょうもないが、そうなのである。もう一つ現在も稼働中の浜岡原発の4号機、5号機を停止させることがある。東日本大震災の余震が不気味に続く中で、東海地震がくれば危ないと言われる浜岡原発の稼働を停止し、それに備えることは火急のことである。「福島第一原発暴発阻止」と「浜岡原発稼働停止」は同じことではないが、現に進行中の原発災害に対するさしあたっての具体的な対応策と考えられる。今回の大震災が僕らに考えることを強いていることは多い。それを考えられるようになるには時間が必要である。だか、さしあたってしなければならないし、やらねばならないこともある。災害に対する救援や復旧活動の中では原発災害に対するものは特殊かもしれないが、その中でも中心的なものとして上記の二つはあるように思われる。救援や復旧活動と本格的な復興活動の中で原発に対する本格的な議論は必要だし、その今後についての構想も大事だ。だが、時間との闘いの中で急いで解決しなければならないこともある。いつも事故や災害が起こった後から言われることは多いが、それからでは遅すぎることもある。特に浜岡原発についてはこの認識を必要とするのではないか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0418:110413〕