松井英介医師と健康ノートについて

日本の市民、特に子供たちを被曝から守るために尽力され、日々、活動されていらっしゃる松井英介医師については、「ちきゅう座」で何度かご紹介させて戴きました。

2013年4月17日、松井先生は、低線量内部被曝から子どもたちのいのちと権利を守るために、「脱被曝を実現する移住法」制定への提言をなさい、『「脱ひばく移住法」制定のために、さまざまな分野の人びとの知恵を総結集して、全国的な大市民運動を起こすことを呼びかけます。』と、日本市民に訴えました。(https://chikyuza.net/archives/35733)

 

IPPNWドイツ支部のアレックス・ローゼン医師は、松井先生に宛てた最近のメールの中で、「あなたが取り組んでいる重要な仕事が影響力を発揮し、日本の公衆の原子力に対する見方を変えていくことに寄与してくれることを心から望んでいます。……アレックスより」と、松井英介先生の活動貢献ぶりを称え励ましています。

 

健康ノート

今年の2月10日、松井英介先生は様々なエキスパートや市民の方たちと協力し合って、内部被曝からいのちを守るための冊子、「健康ノート」を発行しました。光栄にも、私は松井先生から冊子を贈って戴きましたが、実際に「健康ノート」を手に取って見ますと、冊子の中身は放射性降下物/放射線や内部被曝などに関する有益な情報で詰まっていて、この冊子を作成するために、おそらくは多大な努力/労力が費やされたのであろうということが容易に想像できます。松井英介先生、その他の医師達、教育者達、市民達は、「健康ノート」を作成することを長い間目論んできましたが、冊子出版に至るまで、およそ2年間かかったそうです。
福島原発事故後の行動や心身の変化を記録するために「健康ノート」は作成されました。そして、長期に及ぶ放射線の影響を考慮し、健康管理や病気になったときの診療、因果関係の証明に「健康ノート」を生かしていくのだそうです。「健康ノート」の中で、肥田舜太郎先生は「上手な生き方と健康法」について、こう書かれて被災者を励ましていらっしゃいます。:『…健康で長生きしようという大事業をやるのですから、「ただ」ではできません。「もとで」が要ります。それは、あなたの「決意「と「努力」です。……低線量内部被曝の生き証人として生きつづけ、原発 事故を起こした東京電力と日本政府の責任を問うこと、そして核による支配をなくすことです。私たちに続く子や孫の未来のためです。…』

 

健康ノートを受け取ったローゼン博士の反応

出来上がった「健康ノート」を松井先生は、アレックス・ローゼン先生にも贈られています。

「健康ノート」を受け取ったローゼン先生は、松井先生に下記のメールを送っています。

 

「昨日、健康ノートがこちらに届きました。とても印象的な冊子を送って下さって有り難うございます。すでに、日本人の友人と一緒に、健康ノートに目を通してみました。友人が所々を訳してくれたのです。立派な健康ノートを作成することを成し遂げられたことを祝福します。あなたが、このような重要な仕事に励まれているということを知ることができ、嬉しく思います。

では、ごきげんよう! これからもあなたと連絡を取り合っていくことを望んでいます。……アレックスより」

 

刊行にあたって

「健康ノート」の刊行にあたって編集に携わった方たちが述べています。:

 

3.11東電福島第一原子力発電所大惨事から3年、私たちは大きな転換点を迎えています。

人類史上初めての4基原発同時大災害。ウラン235とプルトニウム239燃料はメルトスルーし、自然生活環境に放出された膨大な量の各種人工核物質の処理方法は、まだ見つからないままです。事故原発の収束はまったく見えず、放射性物質は、大気中へ海へと出つづけ、自然生態系に大きな負荷を加

えています。

この大惨事によって、住む家を追われふるさとに戻れない人たち、放射能の危険から逃れ全国に避難した人たち、危険と知りながら留まらざるを得ない人たち・・・。多くの家族や地域社会は分断・破壊され、誰もが困難と苦悩を抱え、先の見えない不安な日々を送っています。

しかし、事故を起こした東電を中心とした原子力産業と、国策として原発を推進してきた日本政府は、自らの責任はタナに上げ、あろうことか、国内で原発再稼働・新規建設と、世界各国への原発売り込みに奔走しています。

最大の問題は、原発被災者のいのちを守る抜本的な施策には、まったく手をつけないまま、空間線量年20ミリシーベルト以下の地域への帰還を強いていることです。

人類がつくり出した人工の放射性物質による被害の予防・診断・治療は非常にやっかいで、大変な手間とひまがかかりますが、子どもや孫、未来世代のために、これを避けて通ることは許されません。いのちを守るための国連機関・WHO-世界保健機関は、原発推進の国連機関であるIAEA(国際原子力機関)に手足を縛られ、「証拠がない。がんが少し増えただけだ」と言い、原発災害と向き合って来ませんでした。

しかし、私たちは知っています。広島・長崎、第五福竜丸事件やマーシャル群島の被害、チェルノブイリ原発事故をはじめ世界各地の核災害では、明らかに多くの、人類と自然にとって取り返しの付かない被害が出ていることを。

 

今回3.11.大惨事を受け、私たちは、自らの健康をしっかり捉え、記録し、将来へ向けて生き抜くために、「健康ノート」をつくりました。市民と医師や教育者など専門家との共同作業は、初めてのことでもあり、随分時間も経ってしまいました。この「健康ノート」は、自分のための記録であると同時に、家族、地域、友だち仲間の記録です。個々人の枠から一歩前へ、子どもたち次世代の健康を勝ち取る大きな営みだと考えています。そのことに、「健康ノート」の記録が役立つよう、願っています。

2014年2月10日

「健やかに生きる 健康ノート 内部被曝からいのちを守る」編集委員会一同

 

 

「健康ノート」について 中日新聞の記事 (2014年4月3日付)

 

医師ら出版、放射線量など記録

発症時、因果関係証明に活用

原発事故受け「健康ノート」

 

全国の医師や内部被曝の影響を考える市民団体、母親らが、福島原発事故後の行動や心身の変化を記録する「健康ノート」を作り、出版した。放射線の影響は長期に及ぶとされるため、健康管理や病気になったときの診療、因果関係の証明に生かす。

 

数年後に何か症状が出たとき、ノートの記録が証人になる」。放射線科医で、岐阜環境医学研究所( 岐阜市)所長の松井英介さん(76)は言う。

ノートは「カルテ編」と「資料編」 (いずれもA4判、72ページ  ) カルテ編には震災後の避難行動や体と心の症状、検査結果、放射線量測定など8種類の記録用紙がある。資料編は原発事故の時系列の推移や天候、空間線量など当時の状況を詳細にまとめ、記録をつける参考にする。

利用者は福島県だけでなく、宮城、岩手両県、関東で局地的に放射線量の高い「ホットスポット」が近くにある住民や、放射線の影響に不安を抱く全ての人を想定している。

震災2ヶ月後、福島県から小学生の子ども3人と岐阜市に避難してきた契約社員の男性(34)は最近、ノートの記入を始めた。避難前の自宅周辺は原発から離れていたが、昨夏、病院で受けた甲状腺の検査で3人に嚢胞(体液の入った袋状のもの ) が見つかった。「どう変わっていくのか予想できない。原発が原因なのか、違うのか。将来はっきりさせるためにも記録を残したい」

ノートにはもうひとつの目的がある。同意を得られた購入者から、カルテ編にある事故後の病歴や体調などを記入する問診票のコピーを送ってもらい、放射線との因果関係を調べる。データ化し、今後の対策に役立てる。近く専門のホームページを作り、参加を呼び掛ける予定だ。

松井さんは「放射線の影響はいつ、どうでるのか分からない。記録を残し、データを集めれば汚染の程度と発病の関係の解明にもつながる」と話す。

震災翌年に東京で開かれた反原発団体の会合で、幼い子のいる母親が原発版の健康手帳を要望。松井さんらがチェルノブイリ原発事故の健康被害を追った海外ドキュメンタリー映画のDVDを販売した収益金やカンパの一部で作った。福島県内の自治体では、事故後に独自の健康手帳を作り、住民に記録と経過観察を呼び掛けている。

浪江町は事故の翌年に「放射線健康管理手帳」を県内外に避難している町民2万1千人に配布。町の内部被曝検査に手帳を持参し、職員に結果を書いてもらう。「きちんと記録をつけることで、検査を受ける動機づけにもなる」と健康保険課の安部靖課長補佐。手帳紛失による100件以上の再発行申請があり、町は紛失後も過去の検査結果を町民が確認できるよう、データベース化も進めている。

双葉町も昨年、全町民7千人に同様の手帳を配布。ただ、町による内部被曝と甲状腺の検査の受検率は低下している。町では「健康状態への関心が事故直後より下がっているのでは」と心配している。

 

以上

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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