枕を低くして

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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青が点滅しはじめたけど、ちょっと気晴らしに屋上庭園に行くだけで、急ぐわけでもなし走るまでのこともない。二三分待ってればいいだけだし、と何気なく後ろの眼鏡屋のショーウィンドーをみたら、バケットハットをかぶって、サングラスをかけたオヤジが映っていた。多分そんなもんだろうと思っていたのを、あらためて分かったというのか確認させられた。どうひいき目にみても、萎びれてジジ臭い。

 

「しょうがねぇな、オヤジ、その貧乏たらしい猫背、なんとかならねぇのか」

「後ろめてぇことなんかなんもなんだし、ちっとぁ、しゃんとしろしゃんと。ちゃんと背筋を伸ばして歩け」

と一言二言いいたくなる。

 

若いころから猫背の気はあったが、ここまでもうろくしてるとは思ってもみなかった。シェーバーだから鏡なんか見なくても髭ぐらい剃れるが、それでも鏡をみないともみ上げは剃りにくい。鏡に映った寂しくなった頭をみては、年をとったなと思っていたが、姿勢までは、よくはないだろうけど、まさかそこまでとは考えたこともなかった。

 

一昨年の夏、下らないことから腰を痛めて、それからというものどうにも腰の調子がよくない。シップをしてストレッチを始めてみたが、大した改善はみられない。一日中PCの画面を見て、あれこれしているから、どうしても前かがみになってしまう。鎌倉の大仏のようにこうべを垂れた姿勢が続くこともあってにしても、年も年だしまあこの程度の腰痛ならしょうがないうところまで一年以上かかった。

 

駅に向かって歩いていくと、途中に昔ながらの豆腐屋さんがある。見たところちょっと年上、ご夫婦で数十年なんだろう。おかみさんはさほどでもないが、ご主人は大きく腰が曲がっている。余計なお節介だが、歯医者の椅子にすわって仰向けになっても診療できる位置までは伸びないのではないかと心配になる。と人ごとのように思っていたが、なんのことはない自分もご主人の後を辿っているのかもしれない。

 

試しに、床に仰向けになって寝転んでみた。おい、そりゃないだろうと慌てた。後頭部が床に着かない。背骨も首もグキグキいっている。猫背を矯正しなきゃと体が伸びて頭が下がるのを待っていた。時間にして十秒か二十秒、だんだん頭が下がっていって、貴重品と化した後頭部の髪の毛が床に触ってきているのが分かる。そのまましっかり床に着くのを待っていた。着いたところで、ちょっと上げてはトンと下に降ろして、頭を軽くハンマーのようにして床を叩いて、うん、ちゃんと床についている。体も伸びている。できるじゃないかとほっとはしたが、それを確認しなきゃという気持ちがなんとも情けない。胸も縮こまったままだったのだろう。手を頭の上にあげて伸ばしたら、無理やり延されたということなのか、痛い。ここまで体がある曲線で固定していたとは思いもよらなかった。

 

PCの画面を見るのに疲れて本を読んでいて、思い出したかのように床に仰向けになって体を伸ばして、万歳するように両手も伸ばしているが、いつまでもそうしているわけにもいかない。一日二十四時間、ほとんどは机に向かっているから姿勢を矯正している時間などいくらでもない。どうしたものかと考えていて、はたと思いたつた。寝ているときには伸びているじゃないか。うーん、でもマットレスも十年以上経ってるから体に合わせて変形もしているだろうし、伸びてはいても床に仰向けのようにはならないんじゃないか。

 

そうだ、コロナウィルス禍による消費の落ち込みをどうのとかいうことで十万円もらったことだし、いい機会だ。マットレスを新調しようとベッド屋にいって、硬いマットレスを注文してきた。数日後、新しいマットレスが届いた。前のマットレスを持って行ってもらわなければならないから、もたもたはしていられない。マットレスというやつはなんでこんなにと思うほど重い。腰を気にしながらだからちょっと時間はかかったが、笑顔で持って行ってくれた。マットレスの交換もしましょうといってはくれたが、コロナ騒ぎのなかで二人も部屋に入ってきてもらうのも気になって、丁重にお断りした。

 

カバーをかけて、シーツを敷いて準備完了。手で押して、腰かけて、前のマットレスとどれほど違うのかと気になる。店では硬いと思ったが、大して変わらないんじゃないかと気にしながら、でも買っちゃんたんだし、これでいいんだと横になってみた。床ほどではないにしてもゴキゴキ音をたてながら矯正されているのを感じる。でも前のマットレスとの違いは分からない。使っているうちに分かってくるもんなんだろうと思っているというのか、思おうとしているのか、数か月たっても分からない。

 

新しいマットレスにして一週間ほどたったある夜というか朝方、そうだ、枕があるから頭が下がり切らないじゃないかと枕を外してみた。胸のあたりが引き延ばされるようで苦しいが、ここは我慢のしどころと収まるのを待っていて気がついた。枕がないと顎が上をむいてなんとも寝にくい。それでも時間が経てば慣れるだろうとそのままでいたら、いつの間にか寝ていた。寝返りをうってはいても仰向けの時間の方がながいから、寝ている時間だけは背筋をのばしていることになる。ただ、顎が上を向いて、口を開けて寝ているのだろう。朝起きると喉が痛い。

 

枕はどうするか?そうだことはついでと、枕も買い替えて、中身のパイプを少しずつ抜いていって、七割方抜いて薄くぺらんぺらんにしてしまった。それが去年の一〇月。気のせいでしかないんじゃないかと思いはするが、背筋が見た目には分からないだろうけど、多少は伸びたような気がしないでもない。薄い枕をすることもあるし、ええいと外してしまうこともある。枕をしたり外してみたり、薄い枕なんだし大した違いがあるとも思えないが、せめて寝ているときだけでも体を伸ばそうとしている。

 

こうべは垂れるもんだが、大仏でもあるまいし垂れたままで仏なんて薄気味悪いし、ガラじゃない。できればモアイのようにちょっと見上げて遠くを見てる感じがいいんだけど、と今年も始まった。

硬いベッドに低い枕。誰だ枕を高くしてなんていったのは。

2021/1/4

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10519:210203〕