街並みでは紫陽花が眼に入ってくるようになりました。若葉もいいですが、やはり紫陽花はいいですね。これからの時期には梅雨もあるのですが、僕は梅雨もきらいではありません。こういう季節の中で自然に触れることに、心が動いていきます。人的な世界はこころを躍らせてり、慰めたりしてくれるものが少なくなっています。こういう風にこころが変わって行くことが年を取ったということなのでしようか。そんなことをよく考えます。
昨年は戦後70年ということが話題になり、首相の談話などがとりざたされたのですが、今年は参院選挙ですね。今回の選挙は憲法改正問題が争点と言われてきたのですが、やはり直前になって消費税増税の是非というところに焦点は変えられています。早くも憲法改正のことは後景に隠された感もあります。人的な世界に関心はあって、背も向けられませんが、選挙などにはこころが冷めているところがあります。そんなこと言ってはいれない状況ですが、政治的なことへの関心と政党への関心に落差があるからでしようか。
6月はこうした中でも特別の日があります。1960年の安保闘争の頂点だった6月15日があるからです。もう50数年も前のことですが、僕には濃密な記憶としてあります。樺美智子さんのことがあるからかもしれません。
1960年の安保闘争は岸というか、権力者たちの「日本が戦争をできる国」にするという野望を打ち砕いたというか、押しとどめたということだったと思います。ベトナム戦争をはじめとする戦争への参加を押しとどめる歴史的な力として後世まで影響力を持ったものでした。今、僕らは岸の孫の安倍首相と引き続く闘いをやっています。その意味では僕の中では安保闘争は今も生きております。あの運動は地下水脈のようにあって、現在の国会周辺での「戦争をできる国」に抗する闘いに受け継がれているのではないでしようか。最近は国会周辺に出掛けてくることが多く、それは1960年の6月前後以来のことですが、この周辺に安保闘争を闘った人たちの声というか霊を感じています。声や霊に何か囲まれているという思いがしてならないのです。
またたちかえる水無月という美しい言葉が芥川龍之介にあるのですが、僕には樺さんをふりかえる言葉でもあります。彼女の遺影を拝するたびに胸をつかれます。いつものことです。彼女の生きられた時間の事が胸をよぎるからでしよう。僕は昨年、こんなことを記しました。今も気持ちは変わりません。
「樺さん、あの1960年の6月15日はこの国会の南通用門に多くの人がいました。そして、直接、現場にいた人も、こころの中でそこ加わった人など本当に多くの人がそこを経ました。そして、また多くのことを考えたのだと思います。長い歳月の中で、それは消えていったり、ここの奥深く残ったりしたものでしよう。さらに、多くの人が1960年の6月のことを語り、作品にもしました。でもそれは、どんなに多くても、人々が考えたことから見れば、極一部にしか過ぎません。多くは沈黙の中にあるのです。今は何の傷痕も残さぬよう消し去られたこの場所の背後にはこうした思いや心の疼きが残っています。そして、それはあなたへの記憶と分かちがたく結びついています。この場所に僕がくるのは、あなたに何か問いかけ、あなたの微笑み返しが欲しいからからかももしれません。そんな思いを持つ人たちとあなたにあいにいきます。」
今年もまた国会の通用門(旧南通用門)で樺さんを偲ぶ会を持ちましょう。
(文責 三上治)
今年も樺さんを偲んで国会前に集まろう。
時:6月15日(水)午後1時~
場所:国会南通用門
読経、献花、思いの語り等を行います。
主催:樺さんを追悼する会(9条改憲阻止の会などで構成されています。責任者は三上治、連絡先は03-6201-1011・9条改憲阻止の会の事務所か、090-3908-7330・三上の携帯)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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