1 はじめに
山口県光市の母子殺害事件をめぐり、橋下徹大阪府知事が就任前に弁護士としてテレビ番組に出演し、被告弁護団への懲戒請求を呼びかけた事件で、同弁護団のメンバー4名が名誉を傷つけられたなどとして、不法行為に基づく損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長) は、 7月15日、橋下氏の逆転勝訴とする判決を言い渡した。
同判決に対し、橋下氏は、「表現の自由にかかわる問題では、最後に頼れるのは最高裁だとつくづく感じた」、メディアに対しても「報道の自由に携わっている人たちは、言論や表現の自由がどういうことか、もう一回検証してもらいたい」と注文をつけたと報道されている。(朝日新聞7月16日朝刊)
ちきゅう座「交流の広場」の投稿掲載記事で、 ぺンネーム・とら猫イーチ氏も同判決を評価して、「私見では、知事への賠償請求を容易に認めることは、法曹への懲戒請求を一般市民に逡巡させるに充分な事由になり、一種の治外法権を認めるに等しいと思われます。発言は、弁護士の業務に関連して、不服がある一般市民に認められている法的権利の内容を周知せしめたものであり弁護士業務に就いておられる方の発言として却って当然と思われます。」等との見解を表明されている。
とら猫イーチ氏が上記見解を形成されたのは、マスコミ等の一方的な情報を判断資料とされていると思います。
私は、第一審、二審、最高裁判決、放送倫理検証委員会の「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」( 2008年4月15日決定第4号) 等が客観的証拠によって認定している事実に基づいて私の見解を以下述べます。
2 最高裁判決も認定している橋下氏の発言内容
2007年5月27日に放送された読売テレビのトーク番組に出演し、
① 「死体をよみがえらすためにその姦淫したとかね、それから赤ちゃん、子どもに対しては、あやすために首にちょうちょ結びをやったということを、堂々と21人のその資格を持った大人が主張すること、これはねぇ、弁護士として許していいのか」、
② 「明かに今回は、あの21人というか、あの安田っていう弁護士が中心になって、 そういう主張を組み立てたとしか考えられない」などと発言した上、
③ 「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」、
④ 「懲戒請求ってのは誰で彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますんで、何万何十万っていう形であの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたいんですよ」
⑤ 「懲戒請求を1万2万とか10万とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ」
などと、本件番組の視聴者に対して、本件弁護団を構成する弁護士について懲戒請求するよう呼びかけたとの事実を上記判決は認定している。尚、橋下氏が、被告人の言い分や弁護団との接見内容等、弁護団の弁護活動の当否に関係する重要な情報を直接知り得る立場にはなく、当時、報道等により知り得たもの以上の情報を有していなかったことも認定している。これらの事実についての認定は、第一審(広島地裁) 、二審(広島高裁) の認定と同じであり、橋下氏も認めています。
これらの事実を前提にしたうえで、名誉棄損、不法行為責任が認められるかについての法的評価が第一審、二審、最高裁と判断が分かれたのです。
3 不法行為であるとして賠償を命じた第一審、二審判決
橋下氏は、裁判で、上記発言は、「弁護士法上の懲戒制度の存在を広く告知する目的で本件各発言をした。」もので、名誉毀損や不法行為に該当しないと主張しています。前記のとおり、投稿記事のとら猫イーチ氏も「法的権利の内容を周知せしめたもの」との同じ見解です。
しかし、第一審は、上記・・・の発言は、「被告( 橋下氏) がいうような単なる懲戒制度の紹介にとどまらず、原告らを含む本件弁護団に属する弁護士の懲戒を大規模に行うよう、マスメディアを通じて呼びかけるものであることは否定する余地がない。」と判示し、橋下氏の主張を排斥しています。
同判決は、上記・・・の発言は、上記・・・のような主張を被告人はしていなかったの、弁護団が主張を創作したという事実を摘示し、ひいては虚偽の事実を主張しているという事実を想起させるもので、「原告らを含む本件弁護団が虚偽の事実を創作して主張したという事実は、原告らがその人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものである。」とし、「摘示された事実の重要部分について真実であることの証明があったとはいえないし、弁護士である被告において真実であると信じたことについて相当な理由があると認めることができない。」として、「原告らの名誉を毀損し、不法行為に当たるというべきである。」と判断しています。
判決が認定しているように、弁護団が上記・・の主張を「創作」した事実はありません。差戻控訴審で新たに結成された被告弁護団は、第1、2審では、犯行の動機や態様などの解明や事実認定が十分になされていないと主張し、殺意についても否認の主張をなしたものです。
被告弁護団は、裁判所の訴訟指揮のもと、裁判所の許可、証拠採用がなされ、被告人本人尋問をなしています。被告人は、弁護人の質問に答え、橋下氏の上記・・の発言の一見荒唐無稽と思われる供述をなしているのです。
被告弁護団は、被告のこのような供述や殺意の否認についても、「家庭裁判所の鑑別記録、捜査段階における供述、第1審の被告人質問等にすでに現れている」と記者会見等で説明しています。
名誉毀損については、二審判決は、橋下氏の「主張を組み立てた」の趣旨は、「被告人の言い分を基にして主張内容を構築する」と解するのが相当であり、少なくとも、被告人が言っていないことを弁護団が「創作した」との趣旨は含まれないとして名誉毀損を構成しないとしています。
しかし、2審判決の「創作した」との趣旨は含まれないとの判断は、橋下氏の発言は、共演者が弁護団活動を批判するなかでなされたものであり、被告が上記・・の主張をなしている等との説明もなく、「明かに今回は、あの21人というか、あの安田っていう弁護士が中心になって、そういう主張を組み立てとしか考えられない」等と発言しているもので、発言全体としては、第一審判決の「創作した」との発言であるし、視聴者にもそのような誤解を与えたことは明かであり、一審判決の判断の方が正当であると思います。
名誉毀損を認定しなかった二審判決も橋下氏が懲戒請求を呼びかけた上記・・・の発言については、第一審判決と同様に、名誉毀損とは別個に、不法行為に当たるとし、賠償を命じています。
4 懲戒請求を呼びかけた橋下氏の行為は不法行為に該当
橋下氏は、被告弁護団は、懲戒に該当する弁護活動を行っているとして懲戒請求を呼びかけている。懲戒請求を呼びかけた橋下氏の発言を「勇気ある発言」とまでとら猫イーチ氏は 前記のとおり、ちきゅう座「交流の広場」で礼賛されている。
第一審判決は、・懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らして相当性を欠くと認められるときには、違法な懲戒請求として不法行為が成立する。・マスメディアを通じて公衆に対して特定の弁護士に対する懲戒請求するように呼びかけ、弁護士に極めて多数の懲戒請求に対応せざるを得なくするなどして不必要な負担を負わせる行為は、弁護士会による懲戒制度を通じた指導監督に内在する負担を超え、当該弁護士に不必要な心理的物理的負担を負わせて損害を与え、弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らして相当性を欠くものとして不法行為が成立する。・懲戒事由が事実上又は法律上の根拠を欠いている場合で、懲戒請求を呼びかけた者がそのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのにあえて懲戒請求を呼びかけたときは、その行為は弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠く程度が一層大きく、違法性の 程度が大きい。・被告による発言は、公衆に対し、原告らに対する懲戒請求をすることを呼びかけるものであり、その結果として、原告らに対して不必要な心理的物理的負担を負わせたものであるから、不法行為が成立する。また、懲戒請求を呼びかけた基礎となる懲戒事由も事実上又は法律上の根拠を欠いており、被告はそのこと当然知っていたから、違法性は軽減されない。と判示しています。
被告が懲戒請求を呼びかけた懲戒事由は、・弁護団が被告人の主張として虚偽の内容を創作して主張したこと、・その主張が荒唐無稽であり、刑事訴訟制度上弁護人において主張することが許されないということであるとしたうえでその事由はないと認定しています。・前者については、被告の憶測とし、・後者については、弁護団は、被告の主張に沿った主張をなしたもので、弁護士として品位を失う非行にあたらないとしています。
判決は、「弁護士は、依頼者に対するいわゆる誠実義務を負い、弁護人としては被疑者・被告人のため最善の弁護活動をする使命・職責があり、被告人の主張内容が不合理で荒唐無稽なものであったとしても、被告人がその主張を維持する限り、上記使命・職責を果たすには少なくとも被告人の主張を無視したり、これに反する主張をすることはできないと判断される。もとより、個々の事案における弁護活動の当否については弁護士倫理に関わる事柄であり正解はなく、様々な意見がありうる。しかしながら、少なくとも弁護人が被告人の意向に沿った主張をする以上、それは弁護人としての使命・職責を果たしたと評価することが可能であり、それ自体が独立した違法行為を構成するような場合は格別、その主張内容が荒唐無稽であるなどということが弁護士としての品位を損なう非行に当たるなどということはできない。」と判示しています。
第二審判決も控訴人(橋下氏) は、本件弁護団には懲戒事由があるとした上で、視聴者に懲戒請求が極めて容易かつ簡便にできるとし、多数の懲戒請求があれば弁護士への懲戒処分がなされるとし、視聴者らの懲戒請求が懲戒処分に対して効果がある旨告げている。結局、控訴人は、圧倒的影響力をもつテレビ放送という媒体を利用して、虚偽の事実をない交ぜにして、本件弁護団には懲戒事由があるとの表現で弁護方針を批判し、懲戒請求への積極的参加を呼びかけることで弁護団への非難を誇張して表現しつつ、視聴者に積極的に非難に加わることを求めたものといわざるを得ないとし、「控訴人の上 記懲戒請求の勧奨は、弁護士懲戒制度の本来の趣旨目的を逸脱し、多数の者による理由のない懲戒請求を集中させることによって、被控訴人ら( 訴訟提起の4名の弁護士) を含む本件弁護団の弁護方針に対する批判的風潮を助長し、その結果、被控訴人らの名誉感情等人格的利益を害するとともに、不当な心身の負担を伴う弁駁、反論準備等の対応を余儀なくさせたものと評さざるを得ず、控訴人は、このことについて、不法行為責任を免がれないというべきである。」と判示している。
5 最高裁第二小法廷( 竹内行夫裁判長) 判決
上記最高裁判決は、橋下氏が懲戒請求を呼びかけた行為は、懲戒請求そのものでなく、視聴者に懲戒請求を勧奨するものであり、「出演者同士の表現行為の一環といえる」とし、「視聴者自身の判断に基づく行動を促すもの」であり、「視聴者の主体的な判断を妨げて懲戒請求をさせ、強引に懲戒処分を勝ち取るという運動を唱導するようなものではない」と判示しています。
呼びかけ行為が請求そのものでないことは自明のことです。懲戒事由がないにもかかわらず懲戒事由があるとして、テレビを通して、「懲戒請求を1万2万とか10万とか、この番組見ている人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ。」等と発言し、懲戒を呼びかけた行為が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らして相当性を欠いていることが不法行為に当たると第一審、二審は、認定しているのです。橋下氏が自ら懲戒請求した被害よりも懲戒請求を呼びかけたことによって負った被害の方がはるかに甚大、深刻な被害が発生しているのです。視聴者自身の判断、視聴者の主体的判断も正しい情報が提供されてこそなされるものです。
二審判決は、その付言で、「控訴人は、刑事弁護の経験を持つ弁護士として、刑事弁護人の職責やその困難性を身をもって知るという、本件番組には唯一弁護士の資格を持つコメンテーターとして出演していたのであるから、刑事弁護人の職責を適切に紹介した上で、自説を述べるべきであったといえる。それにもかかわらず、控訴人は、適切な説明や紹介を十分にしないまま、本件弁護団の弁護方針や内容に対する他の出演者らの疑問や非難に同調し、弁護団への批判的意見を懲戒請求制度に絡めて開陳し、それにとどまらず、番組視聴者に懲戒請求を勧奨した。もとより、控訴人が本件弁護団の弁護方針、弁護活動に対する批判的見解を述べるのは、表現の範囲内においては何ら咎められるべきものではないが、テレビという大きな影響力をもつメディアの番組において専門家として発言する以上、発言内容に慎重を期すべきは当然であり、正確かつ客観的な情報を提供した上で、自説を披露すべきであったと考える。」としています。
最高裁判決も橋下氏の懲戒請求呼びかけ行為が、「配慮を欠いた軽率な行為であり、その発言の措辞にも不適切な点があったといえよう。そして、第1審原告らについて、それぞれ600件を超える多数の懲戒請求がされたことにより、第1審原告らが名誉感情を害され、また、上記懲戒請求に対する反論準備等の負担を強いられるなどして精神的苦痛を受けたことは否定することができない。」としています。それにもかかわらず、「本件呼びかけ行為により第1審原告らの被った精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えるとまではいい難く、これを不法行為法上違法なものであるということはできない。」として、橋下氏逆転勝訴の判決を宣告しているのです。
この最高裁判決は、不当な懲戒請求呼びかけによって刑事弁護人の人格権が侵害されたにも関わらず、「受忍限度論」で人権侵害を不問にしたのみでなく弁護人の刑事弁護活動を軽視するものであると思います。
憲法は、基本的人権の一として、被告人の弁護人依頼権を保障しています(憲37条3項。被疑者も、身体を拘束されたときは、憲法上、弁護人依頼権が保障されています( 憲34条) 。弁護人は、被告人の保護者であり、被告人の権利・利益の擁護を任務とし、その限度で真実の発見に協力するものであって、被告人の利益・不利益を問わず真実を明かにする任務を持つ裁判官とは、使命を異にしています。弁護人は、被告人の保護者ですから、被告の不利益になる弁護活動はできません。被告人に不利な証拠を提出したり不利な主張をしたりすると弁護人倫理に反するとして責任を問われます。弁護人が被告人のために立証・主張を尽くすことによって、真実発見にも至るとの司法の歴史的経験により、弁護士制度、弁護人の任務が法定され、確立しているのです。本件の懲戒請求呼びかけ行為は、これらの刑事裁判、弁護士制度の原則を敢えて無視し、不当な懲戒請求呼びかけが法に携わる弁護士によってなされているのです。弁護活動への妨害です。この事を今回の最高裁判決は重視せず、上記判決をなしています。最高裁の弁護活動の保障の重要性を軽視するこのような姿勢が、財田川・免田・松山・島田の4件もの死刑事件や足利事件、布川事件等の多くの誤った裁判、冤罪をつくりだしているとおもいます。これらの冤罪事件は、弁護人や関係者の長年の必死の努力により、裁判の誤りが糺されているのです。本件弁護団が、「刑事事件において弁護人は、罪責を軽くするという使命がある」「刑事弁護団がバッシングを受けても我慢しろという内容で、信じがたい」と最高裁判決を批判した( 前記朝日新聞) と報道されていますが私も同感です。
6 おわりに
はじめの項に記載しているように今回の最高裁判決について、橋下氏は、「最後に頼れるのは最高裁だとつくづく感じた」、メディアに対しても「報道の自由に携わってる人たちは、言論や表現の自由がどういうことか、もう一回検証してもらいたい」と注文をつけたと報道されています。
最高裁判決は、橋下氏の行動は、「配慮を欠いた軽率な行為」等と批判していること前述のとおりです。報道、表現の自由の問題についても、前記の「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する意見」では、同事件報道の問題点が分析、反省されている。そのおわりの項で、光市母子殺害事件の差戻控訴審を伝えた数々の番組のほぼ全ての番組が、「被告・弁護団」対「被害者遺族」という対立構図を描き、前者の荒唐無稽と異様に反発し、後者に共感する内容だったことはすでに指摘したとおりだが、反発と共感のどちらを語る時も感情的だった。
感情的ということの中には、その口調や身振りが感情的だったということもあるが、もうひとつには、刑事裁判という法律の世界の出来事を、普通の人間の実感レベルだけで、捉え、反応しているという意味もある。刑事裁判の仕組みなどそっちのけで弁護団に反発したり、文脈や証拠価値の違いも区別しないまま,被告の法廷での供述徒、精神鑑定の際の言葉をいっしょくたに非難したり、などというのは、その一例だった。等々と指摘されている。
橋下氏をはじめとして、本件報道に関わった人々は、これらの指摘に謙虚に向き合っていただきたい。 以上。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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