橋川文三の読書術

著者: 川端秀夫 かわばたひでお : 批評家・ちきゅう座会員
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ゼミの第一回目の時です。橋川さんは「この際に、本の読み方について述べておきましょう」と仰いました。その時に私は加藤周一の『読書術』という本を読んでいたので、<精読が大事である。しかし乱読も必要である。速読術というのもあって、キーワードを押さえる。ま、そういう話だろう。そんな話ならもう知っている。聞くまでもない>と思ったんですね。しかし、先生の話はそういうのとはまるで違っていました。

「本の読み方には、詩的・直観的に全体をパッとつかまえる方法と、論理的・分析的に順序を立てて辿っていく方法とふたつある。まず、詩的・直観的に全体をパッとつかまえる方法は、まちがえたり勘違いすることが非常に多いので危うい。次に、論理的・分析的に順序を立てて辿っていく方法は、細部のつながりが正確というメリットはあるものの、前提が間違っていると全然逆の結論に到着することもあり、これも問題が多い」と、どっちもダメと、ぴしゃりと言い切られたのです。

ではどういうふうに読めばいいのか。興味深く、次の言葉を待ったのでした。

「どちらも問題が多い方法ではあるが、このふたつを慎重に組み合わせて本を読んでいくと、真理に接近することは必ずしも不可能ではない」と橋川さんは結ばれたのです。

<真理に接近することは必ずしも不可能ではない>

この言い方に私は感動を覚えました。

この橋川さんの読書術に関する話は、加藤周一の教養主義的な読書術とは、まったく次元の違うものと私には受取れました。それは真理の内発性という根本的な問題に関わることです。橋川文三が本物の知識人であることは、この読書術に関する話を聞いただけで、その時、私にはもう確信できたのでした。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1350:250410〕