ハマスの奇襲によって始まった今回の大災厄の根源は以下のとおりである。
現在のイスラエル国家は、パレスチナ人をパレスチナの地から暴力的に追放することによって建国された。パレスチナ人は弾圧・放逐され、その人口の3分の2が難民となった。これがパレスチナ問題の根源である。それは、欧州(ロシアを含む。以下「欧州」はロシアを含む)が「ユダヤ人問題」を厄介払いしたことから起こった。パレスチナへ厄介払いしたのだ。厄介払いにイギリスをはじめとした欧州の帝国主義的野望が重なり、その後は米国の帝国主義が介入してきた。経緯は諸々あるが、ともかくも欧州の罪は重い。パレスチナ人に問題の責任は一切ない。それが第一だ。
罪を負うべきは欧州であったし今もそうである。ところが欧州は戦後も贖罪を行っていない。欧州の「贖罪」は単なる口先だけ言葉だけのもので、現実には外国へ=パレスチナへ厄介払いしただけである。厄介払いしたまま問題を放置した。そして問題をユダヤ人問題からパレスチナ問題へとすりかえて70数年がたった。これが基本的認識となる。単なる常識である。
そのうえで、焦眉のガザ空爆についてである。
ネタニヤフは「我々は肉食動物を見た」と、テレビ演説でハマスの蛮行を非難した。「血に飢えた怪物を根絶やしにする準備はできている」とも述べた。そして「肉食動物」、「怪物」を根絶やしにするためガザ空爆、大規模侵攻に撃って出た。
さて、それでは、ネタニヤフとそれを支持する者たちは肉食動物ではないのか?怪物ではないのか? まさしく彼らは肉食動物であり怪物なのだ。現にその後のかれらの行動がそれを示した。
天井のない監獄に閉じ込められたパレスチナ人を、その監獄の上空から爆撃してすでに一万人近くを殺した。これはまさにホロコーストに他ならない。ナチに600万人殺されたことを喧伝する者たちが21世紀のいま、ナチと同じホロコーストを行っている。
イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ(ヘブライ大学教授)は最近の寄稿文でハマスのテロを非難して次のように書いている。
「・・・(今回のハマスのテロは)ヨム・キプール戦争(第4次中東戦争)とは似ても似つかないものであることに私たちは気づいた。新聞やSNSや家庭で、人々はユダヤ民族にとって最悪の時代を引き合いに出している。例えば、ホロコーストで、ナチスのアインザッツグルッペン(移動虐殺部隊)が村落を包囲してユダヤ人を殺害した。・・・」
(イスラエルの歴史学者が語る「ハマス奇襲」の本質:ユヴァル・ノア・ハラリ氏「ポピュリズムの代償だ」 東洋経済オンライン2023/10/14)
ハラリはハマスのテロをナチスと同じ残忍な犯罪だと非難している。しかし、イスラエル軍もハマスと同じ虐殺を、ハマスのテロとは比較にならない規模で行っている。ガザへの空爆はまさしくナチのホロコーストと同じ虐殺であり、戦争犯罪そのものとなっている。
とはいえ、戦争犯罪について云うならば、戦争犯罪などネタニヤフやその取り巻きにとってはなにほどのものでもない。なぜなら、彼らはこれまで戦争犯罪を何度も繰り返してきたからだ。
(ガザへの大規模侵攻はこれまでも繰り返されてきたものだ。ガザを「天井のない監獄」に封鎖して以降だけを見ても、侵攻は繰り返されてきたのだ。その侵攻だけでも既に4000人のパレスチナ人が殺されてきた。イスラエルの攻撃は非戦闘員を無慈悲に殺し、更には発電所、水処理施設等々のインフラを破壊するもので、完全な国際法に違反するものだった。もっとさかのぼればイスラエル政府による抑圧・弾圧は数限りない)
さらにハラリは同じ寄稿でハマスの蛮行について次のように述べている。
(なおハラリは同時に、「ネタニヤフ連立政権は、最低であり最悪だ。それは、救世主メシア信仰の狂信者たちと厚顔無恥な日和見主義者たちの同盟」と非難している。これらについては後述)
「私自身も、ベエリとクファル・アザのキブツに親族や友人がおり、ぞっとするような話を多く耳にしてきた。ハマスはこの2つのキブツを何時間も完全に掌握していた。テロリストたちは家を一軒一軒回り、組織的に家族を皆殺しにしたり、子供の目の前で親を殺したり、赤ん坊や老婆さえも人質に取ったりした。生き延びた人々は恐怖におののきながら、戸棚の中や地下室に身を隠し、軍や警察に電話をして助けを求めたが、多くの場合、救助隊が到着したときにはすでに手後れだった。
私の99歳になる伯父と、その妻で89歳の伯母は、ベエリのキブツに住んでいる。そこがハマスの手に落ちて間もなく、まったく連絡がつかなくなった。2人は、何十人ものテロリストが暴れ回り、人々を惨殺している間、ずっと自宅で息を潜めていたそうだ。やがて私のもとに、2人が助かったという連絡があった。だが、多くの知人が人生で最悪の知らせを受け取った。」
ハラリの憤りが伝わってくる。しかしハラリの憤りを理解するだけでは事はすまない。
前述のとおり、「現在行われているイスラエル軍の蛮行=ガザへの爆撃による大量殺戮」と「家族を皆殺しにしたり、子供の目の前で親を殺したり、赤ん坊や老婆さえも人質に取ったりした」ことを対比せざるをえないからだ。両者に何の違いがあるのか?本質的には違いはない。両者とも残虐であるということだ。
だが違いはある。その違いとは何か?その違いが欺瞞を生み、親イスラエルの欧米日のダブルスタンダードとデマゴギーを生み出すのだ。
爆撃では一瞬にして多数のパレスチナ人が殺され、吹き飛ばされバラバラにされたその身体の一部さえも残らないケースが繰り返される。殺されたガザの子供は実に4千人をこえつつある。国連事務総長グテイレスは「ガザは子供たちの墓場となりつつある」と述べた。
だが爆撃や砲撃による殺戮では、その残虐性が意識されない。直接その時見えるのは爆発の閃光や立ち昇る黒煙・白煙でしかない。殺戮された人間は殺した当人からは見えないのだ。したがって罪悪感は希薄になる。だからこそイスラエル政府は戦果の誇示として爆撃の映像を世界に流し、マスコミのTV等々では何回も爆撃のシーンを流して平気なのだ。だが、その爆撃の下では大量の血が流れているのだ。
わかりやすく東京大空襲を例として挙げれば、米空軍B29の搭乗員が上空から見たものは何であったか。大火災の炎の海だけであった。彼らは炎のなかで断末魔の叫びをあげて死ぬ10万人の日本人を見ることはなかった。爆撃は(無論爆撃だけではないが)直接自分の手にかけて殺すわけではない。だから爆撃する側が見ると残虐性が薄れる。当事者の罪悪感が薄れる。
これによって大量殺戮を行いながら平気な顔をしていられるのだ。
圧倒的な軍備とその行使のほうが残虐性を直接感じさせることがない。他方でお粗末な武器しかもたない攻撃=地上の「テロ」のほうが「ぞっとするような」残虐性を感じさせる。この愚かな「非対称性」を利用しているイスラエル政府と米欧日政府の欺瞞、そしてマスコミの欺瞞を糾弾しなければならない。ハマスはもともとお粗末なロケット弾攻撃しかできない。イスラエル軍のような爆撃ができるならば、対等にイスラエルを爆撃して地上の「テロ」をはたらく必要もなかったのだ。
こんな単純なことを無視するハラリの想像力はお粗末そのものであり、その分だけ悪質なのだ。
小さな武装組織や個人がおこなう殺人や暴力行為を「テロ」という。そうであるなら、そのような小規模のテロをはるかに上回る殺人や暴力行為を働く軍隊は、大規模テロ組織というべきである。
だが、そもそも「テロ」という言葉自体にまともな意味はない。いわゆるレジスタンスの闘いも「テロ」である。「テロ」とは、時々の政治的支配層が自らに刃向かう武装組織や個人への非難として使う枕詞にすぎない。
次の一文を頭にとどめることも無益ではないだろう。
「 ・・・答えは簡単で、一つのルール、私が呼ぶ「名目の原理」に要約される。この原理とは、ユダヤ人の行為とアラブのそれ、同じ行為に対してちがった名目をつけることである。殺人に対していえば、アラブ人による殺人は強調して「人殺し、テロ、憎むべき行為」などといい、ユダヤ人による殺人の場合はあいまいに、言いまわしは常に間接語法を用いる。・・・」(注1)
この一文は40年以上前に書かれた。だが今も全く同じ状況にある。ダブル・スタンダードだ。
ハマスの殺人は「テロ」。だがイスラエルの殺人は「自衛の空爆・地上侵攻」。欺瞞としかいいようのない言説が繰り返されている。
注1: アミタイ・ベン・ヨナ「イスラエルはその内部でパレスチナ人をどう扱っているか」
板垣雄三編『ドキュメント現代史13「アラブの解放」』(平凡社 1974 p190)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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