欧州はユダヤ人問題をパレスチナへ厄介払いした――欧州の罪は重い――(その四)

 二重の犯罪、すなわちユダヤ人問題の極点・ホロコースト及びイスラエル建国によるパレスチナ人の追放・放逐という過ちを認め、それを反省し償うのが欧州の責任である。ところが、戦後欧州の責任のとりかたはそうではなかった。
 欧州の戦後におけるユダヤ人問題=ホロコーストへの反省と贖罪はどうであったか。大まかには次のよう推移した。

加害者意識の共有は90年代にはいってから
 1950年代の西欧ではユダヤ人は大きく減少していた。ホロコーストによる犠牲者への追悼や記念は社会全体に広まることはなかった。市民は自らのユダヤ人排除には目をそらした。排除により互いに利益を得て、利害が一致した市民も多く、排除・差別への反省意識は薄いままに推移した。多くはユダヤ人弾圧の罪はもっぱらナチスに負わせて、自らの反省意識は希薄であった。「認識せず、記録せず」という意味では「ヴィシー症候群」が広く見受けられた。続く60年代後半から70年代にかけては、新世代の登場と学生運動の高揚で、前世代と戦後社会への批判が高まった。このためそれまでの歴史観に変化が生じた。さらに80年代にはナチス期の加害責任を自らのものとして引き受ける意識が強まった。だが、ホロコーストへの関与を自国の問題=汚点として認識し、それが国民に共有されるようになったのは、やっと1990年代にはいってからである。実に戦後50年以上たってからであった。
 この要因には、西欧各国ではドイツによる占領とそれに対する被害者意識、更には対独レジスタンスの闘いへの賛美が浸透していたこと、更には冷戦の影響が大きく、ホロコースト・ユダヤ人迫害はいわば凍結扱いになったことが挙げられる。ソ連崩壊後の90年代以降では、例えば、フランスではヴィシー政権のユダヤ人迫害への関与が明確になり、それがフランス国民に浸透したのは1990年代であった。95年にはシラク大統領が迫害の犠牲者へ謝罪し補償をおこなった。またショア記念館建設、児童向け学習ツアー等々が行われるようになった。

ホロコーストの相対化をはかる東欧
 21世紀にはいってからは、ドイツ以外でも、ホロコーストは欧州諸国の歴史に組み込まれていった。2000年のホロコースト国際会議(ストックホルム開催)では、ホロコースト教育、記憶の継承を強調する声明を採択した。2005年には、ヨーロッパ議会は1月27日(注1)を欧州のホロコースト記念日と宣言し、「ホロコースト記憶共同体」への参入が、EU 加盟条件となった。また国連総会も同様の決議をおこなった。しかし、この流れはEUに加盟した東欧諸国の反発も招くこととなった。EU加盟条件が東欧諸国のホロコースト加担をはっきり浮上させたからである。
 例えば、ホロコースト研究の第一人者ヒルバーク(Raul Hilberg)は次のように書いている。「その全面的な関与(ホロコーストへの関与―引用者)という点に照らせば、バルト地域は帝国〔ドイツ本国〕につぐものだ」(注2)
バルト地域やポーランドによる大量殺戮への加担はくつがえしようがなかった。かっての、これら地域=犠牲者というイメージはくつがえった。
 これに対して東欧諸国はスターリン主義の大量殺戮の犯罪―ソ連の強制収容所体制の記憶を強調して、いわばホロコーストの相対化をはかった。大量殺戮はホロコーストだけではなく、同時に自分たちはスターリン主義の犠牲者だというわけである。このためEU内の現状は西欧と東欧で相対立する格好となっている。また近年の欧州への移民(特にムスリム移民)の急増がホロコーストへの対応の欺瞞性を浮上せている。西欧は「贖罪」によってイスラエル、ユダヤ人の「特権」を認め対応しているが、その一方で、ムスリムは差別とレイシズムの対象になっている。ダブルスタンダードが明白になっているのである。

EUに不協和音をもたらす東欧諸国民の結集軸
 戦後の東欧共産圏ではどのように推移したか。(ロシアについては後述)
 東欧は西欧以上にユダヤ人人口は減少していた。大戦を通じて、ソ連は東欧を共産圏に組み込んでいったが、その共産主義イデオロギーは階級闘争重視であり、ナチ・ファシストによる犠牲者は人種・宗教に関係なく労働者・民衆であるとされた。そのため迫害の加害者の立場から振り返ることはなく、ユダヤ人犠牲者の記憶は周辺においやられた。この結果、例えば、東独国民はホロコーストへの当事者意識はきわめて希薄なままに、「労働者国家の国民」に安住することとなった。これは東欧の旧共産圏全体にいえることである。ソ連邦解体後は、西欧と同じく当事者としての反省・追悼が行われるようになった。だが、全般的に加害者意識は希薄であった。前述のように、ソ連崩壊後の東欧諸国は独立国家、国民国家としての正当性・結集軸を、ナチズムとスターリン主義の圧政による国民的悲劇=自らは犠牲者に求めた。その結果、東欧の新たなEU加盟国は、西欧とは異質の歴史を主張して、EU内の結束を動揺させている。
 このように、過去の犯罪への責任・贖罪意識の共有は近年になってからである。それまで長きにわたって欧州の反省は進まなかったのである。

反省・贖罪も高尚な哲学的省察も、西欧内部での話でしかない
 そこで、以上の動向をみたとき何がいえるだろうか?
 特徴的なことは、これら反省と贖罪は全て「西欧内部での話」でしかなく、また東欧においては加害の認識は依然として希薄である。そして絶対に見逃がすべきでないのは、他者としてのパレスチナ・アラブに関しては全く無視・等閑視していることである。
 反省・贖罪は、みずからのユダヤ人迫害だけに向けられている。そこでは周知のような「高尚な哲学的省察」が諸々なされている。だが、イスラエル建国とそれによるパレスチナ人の追放・放逐は、殆んど無視・等閑視されているのだ。パレスチナ・アラブへの自らの対応は、ごく一部を除いて、その省察・考察の埒外に放置されている。
 現在まで欧州は加害者の立場にたっての「高尚な哲学的省察」を積み重ねてきた。それは、なにか人類全体の普遍的境地に達したかの趣を見せている。だが、それは虚構である。
なぜなら、その省察・考察をもって現状にまで至ったパレスチナ・アラブ人にたいして何かものが言えるのだろうか?それは何らかの説得力をもつのだろうか?
何も言えないし、従って説得力など無である。従って、人類の普遍的な省察などとは程遠いものでしかないのである。だからこそ、現に今回のガザの惨劇に対しても沈黙し、イスラエルの蛮行にもだんまりを決め込むしかないのである。

ホロコーストーイスラエル建国―パレスチナ・アラブの悲劇  因果関係は周知のこと 
 イスラエル建国後の4次にわたる中東戦争、パレスチナ・アラブの抵抗とイスラエルの弾圧・迫害、それによる大量の殺戮。この70年以上にわたる悲劇は、もともと欧州のユダヤ人問題から発した悲劇なのだ。ホロコーストによってイスラエルが建国され、その建国がパレスチナ・アラブ人の放擲、難民を発生させた。この因果関係は誰にでも明らかである。ドイツ・欧州がパレスチナ難民を発生させたのだ。にもかかわらず、それが無視されるのはなぜか?
 欧州の欺瞞=欧州中心主義と人種差別意識のなせるわざと云うしかないだろう。      (続く)

(注1:1/27はアウシュビッツ強制収容所の解放日)
(注2:飯田収治「ナチ史研究と「ホロコースト記憶のヨーロッパ化」」、関学西洋史論集36号、2013-03-25発行、p.31-51)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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