欧州はユダヤ人問題をパレスチナへ厄介払いした――欧州の罪は重い――(その五)

前回の要旨は以下のようになる。
「ドイツ・欧州がホロコーストを生み、それがイスラエル建国を引き起こし、パレスチナ難民を発生させ、その後70数年にわたってイスラエルはパレスチナ・アラブ人への殺戮を繰り返してきた。にもかかわらず、その事実と因果関係が欧州によって無視されるのはなぜか?欧州の欺瞞=欧州中心主義と人種差別意識のなせるわざと云うしかないだろう」

 そこで、今回はハンナ・アーレントを中心に「欧州の欺瞞=欧州中心主義と人種差別意識」について触れたい。
 ハンナ・アーレントはユダヤ人である。ホロコーストに対してユダヤ人として深い考察を加え、「イェルサレムのアイヒマン」を発行して、「悪の凡庸さ」を明らかにした。同時に、ユダヤ人評議会がナチスに手を貸し、絶滅収容所へ移送される同胞を選別していたこともはっきり指摘した。
シオニズム運動に参加するも離脱 批判に転ずる
 アーレントは、当初ナチスの抬頭に抵抗してシオニズム運動に参加した。フランスへの亡命は「無国籍者」として、自身がユダヤ人であることの認識を深めることとなった。その中でユダヤ人のパレスチナ移送に従事したが、さらに身の危険が迫り米国へ亡命した。米国でも彼女はシオニズム運動に関わっていたが、次第にシオニズムから距離をおいていった。1941年の彼女のユダヤ軍創設の呼びかけは、世界各地に「離散した」ユダヤ人に対して行われたが、それは、シオニストの「軍」とは全く異なっていた。それはパレスチナ人から土地を奪うためのものではなく、ユダヤ人、ヨーロッパ人の自由のため、共にヨーロッパにおいてヒトラーと戦う軍であった。1945年には「シオニズム再考」によってシオニズムを批判し完全に離脱した。シオニズムに対する批判は、第一に列強の力を借りて建国することは、帝国主義列強の手先、代弁者とみなされること、第二にパレスチナ・アラブ人が居住する地で、彼らを追い出し建国すれば、周囲をすべて敵とするだけであること、第三にシオニストは建国が至上命題であり、そのためナチスと手を組みユダヤ人の移送協定を結ぶという恥ずべき排外主義に陥ったこと、であった。

評議会結成によるパレスチナ人とユダヤ人の共存を主張
 その後もアーレントはシオニズムを批判し続け、パレスチナ人とユダヤ人の共存を訴えた。アーレントの云う両者の共存は、「ユダヤ人の郷土」という考えに支えられていた。それは「ユダヤ人の国民国家建設」ではなかった。ユダヤ人とパレスチナ・アラブ人双方が混在して住む都市と田畑において評議会を結成し、各評議会を中心とする地方自治組織をつくるというものであった。国民国家は国民という同質的均一化によってマイノリティーを生み、マイノリティーへの抑圧、対立を生むというアーレントの「国民国家批判」にもとづくものであった。だが、アーレントの努力は報われることなく水泡に帰し、それ以降アーレントが政治活動としてパレスチナに直接関与することはなかった。
 それ以後のアーレントは思索と文筆活動に没頭し、深い思索に裏付けられた「全体主義の起源」、「イェルサレムのアイヒマン」、「革命について」、「人間の条件」等々の著作を次々と世に送り出した。

欧州中心主義とは?人種差別意識とは?
 さて、問題はここからである。というのは、アーレントの以上の思索と考察は、あくまでヨーロッパ中心主義が大前提になっており、それが無意識的あるいは意識的な「人種差別意識」を根底に持っているからである。アーレントの思索の結晶は、ヨーロッパ以外の「外部」、ヨーロッパにとっての「他者」を包摂するものではなかった。ヨーロッパ(ここではアメリカも含む)を代表するアーレントの思索がそのような盲点をもつのであれば、ヨーロッパ全体も同じ盲点を持つのは当然である。
 それでは欧州中心主義と人種差別意識とはどのようなものか?
 以下、「高橋哲哉【記憶のエチカ】」(注1)、「中山元【「ハンナ・アーレント<世界への愛>】」(注2)に依りながら明らかにしたいが、特に高橋が【記憶のエチカ】のなかで論じているアーレントの「ヨーロッパのアフリカ化」論への批判は秀逸であり、現下の情況を把握するうえで「ヨーロッパのアフリカ化」論の限界を再確認することが必要不可欠と考える。

「European Mankind」と「真の人種」とは?
 高橋に依れば、まずアーレントの主張の背景には「European Mankind」なるものがある。それはヨーロッパ的人間性=ロゴスを持つ動物の先端部分を担うものであり、ヨーロッパをヨーロッパたらしめるものである。またアーレントが問題にする「西洋の没落」は、このヨーロッパ的人間性が「ヨーロッパ的人種」に化すこと、或いは民族(Volk)が人種(Rasse)へと没落・転落することによって実現する。「・・・人種とは政治的にいえば、人類の始まりではなくその終わりであり、民族の起源ではなくその没落であり、人間の自然な誕生でなく不自然な死」である」(注3)。
 アーレントにとって「真の人種」とは「独自の歴史の記憶も記憶に値する事蹟もまったくもたない」人間集団を意味している。ここからアーレントにとって「西洋の没落」はヨーロッパの外部=アフリカ化になるのである。アフリカは独自の歴史の記憶も記憶に値する事蹟もまったくもたないので人種へ転落した存在であり、従って「ヨーロッパのアフリカ化」とは人間の動物化であり、「真の人間」のほとんど動物的な「人種」への退歩である。
 高橋をふまえて簡単にいうと、ヒトラーの人種理論に抵抗し対抗したアーレントであっても、ヨーロッパ=文明、アフリカ=野蛮となるのである。

アーレントの盲点とは?――その人種概念は動物的存在 
 この点については、中山元も概要次のように述べている。
 アーレントは、ブーア人(注4)が南アフリカの原住民を前にして、「ほとんど動物的存在・真に人種的存在にまで退化した民族」に対して覚えた恐怖を、自身も同様に感じた。そして人種的存在に関しては、アフリカとオーストラリアの原住民だけが純粋な人種として登場したと述べ、彼らは「今日にいたるまで、完全に歴史と事蹟を欠いた人間であり、一つの世界を築くことも、自然に手を加えて何らかの意味で利用することもしなかった唯一の人々である」とする。アーレントはアフリカを「暗黒大陸」と呼び、原住民は自然に対して、いかなる人間的世界も対置しかたちづくることもなかった、つまりアーレントのいう「無世界性」に存在するだけであると考えたのである。このような存在が純粋な「人種」概念を形成して、やがてヨーロッパ大陸のフェルキッシュ・ナショナリズムによって、異質なものたちを差別し殺戮するために利用されるようになっていった。
 このアーレントの人種概念に対して、中山は次のように言う。
 「アーレントの人種概念には、アフリカやオーストラリアの人々を全く異質な人々とみなすブーア人の恐怖が乗り移っているような印象をうける。・・・これはアーレントの「世界への愛」(注5)という概念の裏側なのだ。人間がつくり出す「世界」への愛が強いだけに、それをつくり出さないものへの反発が強くなるのだろう。・・・すべての思想には盲点のようなところがつねに存在する。・・・自覚されない裏側のような盲点が生まれてしまうのである。この人種の概念はアーレントのそうした盲点のように思われる。」

 高橋はより直截に、次のようにアーレントを引用したうえで批判している。
 「未開部族の悲劇は、彼らがまったく手を付けることのできない自然の中で、それゆえに自然に圧倒されたままで生きていること、そして彼らの生のひとつひとつの痕跡を後代に伝えうる共通世界、それらが全体として人間的に理解し得る彼らの存在証明となりうるはずの共通世界を築くことなしに生き、そして死んでいったことにあるが、この自然に囚われた状態と、それゆえの虚しさとが我々にとって自然状態の本来の特徴であるとするならば、現代の無国籍者、無権利者は事実上「自然状態」に引き戻されてしまっている。確かに彼らは野蛮人ではなく、母国の最も教養ある階層に属する者も多いが、にもかかわらず彼らは野蛮状態をほぼ完全に克服した世界のただなかにあって、来るべき野蛮化、ありうべき文明の退化の最初の使者であるように思われる。」
(アーレント「全体主義の起源2 帝国主義」みすず書房 1981年 p.287 )

アフリカ的存在=非欧州は人間世界の外部に放逐される
 これに対して高橋は次のように批判している。
 アーレントによれば、共通世界の樹立と維持、「世界の創造と変革」としての政治は、本質的にはヨーロッパ的なものであり、また「人間」も本質的にヨーロッパ的なものであるということになる。「European Mankind」こそ本来の人類のエッセンスなのである。しかし、共通世界としての「世界」は実は “境界線”によって囲い込まれている。当然のことだが、政治的共同体の各々は、それぞれの歴史の違いを区分する“境界線”を形成する。またヨーロッパ的共通世界の外にあるアフリカ的存在はどうなるかと云えば、これまた当然だが全く“境界線”の外側に放逐される。すると「独自の文化も歴史ももたない」アフリカ大陸とオーストラリア大陸での原住民の根絶は、“境界線”の外部(共通世界の外部、人間世界の外部、法の外)に放逐されるから、その根絶・絶滅自体が記憶するに値しないことになる。従って彼女の想起・記憶が、奴隷制の暴力よりはギリシャ・ポリスの自由を謳い、北米の植民(強奪)と北米先住民の根絶よりはアメリカ革命・タウン民主主義の「栄光」に向かうのも、決して偶然ではない。

 高橋の批判は全く正しい。アフリカ黒人やオーストラリア・アボリジニは「自然状態から脱していなかったため」、そして「European Mankind」によって「自然状態から脱して「世界」を築くことがなかったため」に「人種」とみなされ、必然的に人間とはみなされなかった。ここからアフリカ大陸では、ブーア人によるホッテントット族の根絶、カール・ベータースによる独領東アフリカでの殺戮、ベルギー国王によるコンゴ住民の大量殺戮(約一千万人)が生まれていったのである。なおベータースは後にヒトラーから英雄視されている。
 アーレントのいう「世界」を築くことなく、「世界」の外側に存在するとみなされるものは、歴史を持つことがなく共通性をもたず「独自の歴史の記憶も記憶に値する事蹟もまったくもたない」動物集団である。動物を殺すことに躊躇はなかった。ヨーロッパ人にとっては基本的に動物を殺すことに躊躇はないのである。
 ユダヤ人については、戦後ホロコーストへの考察と諸々の反省と贖罪が行われたことは前回触れた。ただし、その反省はあくまで欧州の中で起こったことだけが対象とされた。なぜホロコーストが欧州内のこととして意識されたかと云えば、それはア―レントが云うように、ユダヤ人の文化、歴史が欧州内部に属しており、ユダヤ人が西洋文化の生成と発展に寄与してきたと認識されたからである(実はそれが正しいかは、きわめて疑わしいが)。

欧州以外で犯した残虐、非道は反省の外へ放逐される
 しかし、そうであれば欧州人が欧州以外―欧州以外とは、これまで述べてきたように空間的と同時に欧州が創った「世界」の外であるーで犯した残虐、非道は反省の外(“境界線”外)におかれて無視される。そして現にそうなっている。それが欧州中心主義であり、それに対する反省は現在に至っても基本的には行われていない。反省がないかぎり(つまり自らの植民地主義=帝国主義に対する公的反省と謝罪だが)いわゆる西側が喧伝する「普遍的価値」など全くの虚偽でしかない。
 また、「人種」に対する欧州の根強い差別意識も払しょくされていない。それが例えばウクライナ(青い目、ブロンドという欧州)とパレスチナ(非欧州人)への対応の大きな違い=二重基準の根底にある。
 欧州・キリスト教徒は15世紀から中南米大陸、カリブ海で残虐な大量殺戮をおこなっていたが、それを非難する者はごく少数であった。大量殺戮は続いた。奴隷貿易は拡大して、砂糖生産から綿花栽培へと続き北米大陸にも大量に導入された。北米大陸では17世紀初頭からイギリス人の植民(土地強奪)が開始された。これに並行して北米先住民の大量殺戮がはじまった。欧州人はその文明をもって世界中で大量殺戮(ジェノサイド)を行ってきたのである。(ここではオリエント、インド、東南アジアなどにはふれない)
 アーレントの考察からは、そこがすっぽり抜け落ちた。もっぱら欧州内を対象にする視野狭窄に陥った。欧州内の言説では15世紀以降の欧州外での大量殺戮は基本的に無視されている。それは現在の欧州の視野狭窄、依然として拭いきれない欧州の人種差別意識につながっている。パレスチナの惨劇に口をつぐむのもそのためである。
 パレスチナは欧州の外なのだ。ユダヤ人へのホロコーストは欧州内のことだったが、イスラエル(ユダヤ人)によるパレスチナ・アラブ人へのホロコースト(先住民の殺戮)は欧州外のことなのだ。ユダヤ人がパレスチナで建国したことにより欧州内のユダヤ人問題は解決した。ヒトラーの目的は達せられた。欧州の外へと厄介払いは達せられた。

 しかし、イスラエルの建国は、かって北米や南アフリカなどで実行された入植型植民地主義の再現に他ならない。戦後の民族解放闘争によって世界の植民地は曲がりなりにも解放された。ところがイスラエルだけは植民地を拡大し続けている。驚くべきことである。国連決議など全く無視して、パレスチナ人を迫害・弾圧して彼らの土地、家から追い出し続け、植民地を拡大している。パレスチナ全域の占領が彼らの目標である。まさに無法国家、ブッシュ式に云えば「ならず者国家」である。
 ところが、植民地主義にのっとったこの「ならずもの国家」を支援するのが欧米諸国、そして我が日本政府なのだ。この植民地主義を支えるのが「神から与えられた土地・約束の地」という「絵空事」である。世界の歴史学者、考古学者、研究者はイスラエルの支配層、イスラエルロビーの圧力に抗して、この「絵空事」を打破する義務がある(この点は拙稿2回目で触れている)。

 今、ガザは文字通り衆人環視のもとで、塀の中に閉じ込められつつ一挙に2万人以上が惨殺され、子供は8千人以上も殺されつつある。にもかかわらず、何も手をだせない。だそうとしない。それどころか殺す側を支援している。欧州文明=「European Mankind」のたそがれと云ってよいだろう。

「野蛮と文明」を止揚・克服する「アフリカ的段階」へ
 以上の、動物=野蛮人と文明の対立を止揚・克服するものは何か?
 それは、吉本隆明の「アフリカ的段階」である。
                          (続く)

(注1:高橋哲哉【記憶のエチカ】 岩波書店 2012年10月
(注2:中山元【ハンナ・アーレント<世界への愛>】 新曜社 2013年10月
(注3:アーレント【パーリアとしてのユダヤ人】 未来社 1989年 p.217
(注4:17世紀半ばに南アフリカに渡り移住したオランダ系白人の子孫。
(注5:アーレントが愛する「世界」とは第一に歴史性である。それは過去、現在、未来へと存在し続けて人々の絆となる共通性をもつ。第二には事物と人間からなる環境である。それは人間が事物を製作し、土壌と景観を世話する配慮(自然状態から脱すること)によって、共同体において政治的組織を組織することによって存在する。

記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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