――「反ユダヤ主義!」という悪罵・ののしり そんなものはとっくに無効になっている――ネタニヤフ、ICCの逮捕状請求に「反ユダヤ主義!」
5月20日、パレスチナ・ガザでの戦闘をめぐり国際刑事裁判所(ICC)の検察局は、イスラエルのネタニヤフ首相、ガラント国防相、イスラム組織ハマスの幹部3人らに対する逮捕状を請求した。戦争犯罪、人道に対する犯罪容疑での逮捕状請求である。これに対してネタニヤフは「世界中で猛威を振るう反ユダヤ主義の火にガソリンを注いでいる」と非難した。ICC検察局のカーン主任検察官に対しては「権限乱用」、「扇動的な決定、現代の大いなる反ユダヤ主義者」と語った。さらには米国バイデン大統領も歩調をそろえて「言語道断」と非難し、ガザ大虐殺をジェノサイドではないと言明、ブリンケン国務長官はICCの逮捕状請求に「対抗措置を検討する」と反発した。
ガザ大虐殺は米国政府やドイツ政府等の偽善的「二重基準・ダブルスタンダード」を暴露したが、今回の件はより一層その欺瞞性を浮き彫りにしている。(なお昨年10月のハマス奇襲の残忍性については、すでに昨年11月の(その一)で述べた)
「反ユダヤ主義!」という罵りの機能とは
――「歴史的な迫害を持ち出して現在の批判をそらす」――
だが、それはひとまず置いておいて、ここでは「反ユダヤ主義!」という悪罵について述べたい。
ガザ住民の大虐殺はイスラエル政府に対する国際的非難をまきおこしているが、この非難に対して投げつけられるのが「反ユダヤ主義!」という悪罵・ののしりである。米国や欧州において各国国民によるガザ大虐殺への抗議が続いているが、この抗議に対してシオニスト及びシオニストに同調する者たちから「反ユダヤ主義!」の連呼がなされる。
この「反ユダヤ主義!」という罵りの機能はなんだろうか?
それはシオニストを批判する者に論理的に反駁することなく、一声で「ナチ」の汚名をなすりつけ、自らの誤りを隠蔽しかき消す。それが「反ユダヤ主義!」という悪罵の中心的役割であり、きわめて便利な一言である。
つまり、「歴史的な迫害を持ち出して現在の批判をそらす」(「ホロコースト産業」2003刊)ものなのだ。イスラエルのシオニスト政権に対する反対の声、シオニズムに対する反対の声をすべて反ユダヤ主義に変換する禍々しい呪文である。だが、反シオニスト、反シオニズムが反ユダヤ人であるわけがない。こんなことは常識だろう。
21世紀の今日、「反ユダヤ主義!」はその意味するところが全く逆転したのだ。
「反ユダヤ主義!」は、かっては迫害されるユダヤ人が迫害する者たちへ発する抗議の声だった。だが、それは完全に逆転してしまった。今や、完全に迫害する側に変貌した強者(シオニスト)が、その迫害に抗議する者を押しつぶすために浴びせかける罵りになったのだ。驚くべきことである。
この「反ユダヤ主義!」という悪罵は、イスラエル建国以降イスラエル支配層に対して絶大な力を与えてきた。ナチスのホロコーストを思い浮かべると、その犠牲者を自認するイスラエル支配層への批判は、大きなためらい・躊躇によって弱体化されてきたからだ。欧州はユダヤ人問題をつくり出した、いわば下手人である。であるからこそ、自らが生み出したイスラエルがどのような蛮行を繰り広げても、それに声をあげられない。それをいいことに、イスラエル支配層は真っ当な批判を消し去り、長年にわたり紛争を巻き起こし、恐るべき人権蹂躙を続けてきたのだ。
ドイツをみれば、ドイツ政府は愚かな偽善そのものだ。「反ユダヤ主義!」という悪罵によってドイツ国内のイスラエル批判を抑圧し弾圧し続けている。ドイツ政府は、その思考停止・頑迷な石頭によってイスラエルの犯罪を覆い隠すと同時に、米国政府と歩調をそろえてイスラエルへの軍事支援を急増させた。まさに二重の犯罪を重ねている。彼らのいわゆる「戦後戦争責任論」が、いかに底の浅い表面的な偽善に満ちたものであったか、それがはっきりとわかる。
ホロコーストの唯一性、その特権化
シオニストによって「反ユダヤ主義!」という悪罵が世界にばらまかれる一方で、「なぜホロコーストという大虐殺・大量殺戮に遭ったユダヤ人がパレスチナ人にあれほどの残虐・非道をはたらくのか?」という声が全世界で噴出している。
この点を考える上では、シオニストによるホロコーストの特権化を見ることが重要である。つまり自分たちが体験したホロコーストの特権化である。ナチによるホロコーストを特権化して「ナチによるユダヤ人絶滅は比較を許さない唯一のもの」とする主張である。
つまり「比べることはできない、比較不能だ」というものである。比較不能であるならば、人間としての苦しみの共通性、同じ苦しみ・悲しみと云う他者との共通性を拒否することになる。
であるからこそ、昨年10月7日のハマスの奇襲に対してネタニヤフ首相やガラント国防相は「我々は肉食動物を見た」、「動物のような人間との戦いだ」と述べて平然としていたのだ。
シオニストは他国・他地域でどのような残忍な殺戮がおこっても「ナチと同じホロコーストだ」と非難することはない。ただただ自分たちへの攻撃だけを「ナチと同じホロコーストだ」と非難するだけである。そこには、上記のように他者との共通性を拒否する姿勢がある。
そればかりでなく、自分たちへの攻撃を全て「ナチと同じ攻撃だ」とする驚くべき短絡思考がある。
自分たちを攻撃する者=ナチスとする思考回路は倒錯そのものであるが、相手を陥しこめるうえではこれまた便利なものである。
ホロコースト産業――同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち――
ホロコースト産業というものがある。これは、ユダヤ人のノーマン・G・フィンケルスタインが2003年に発刊した「ホロコースト産業」によって明らかにしたものだ。(フィンケルスタインの両親はワルシャワゲットーとナチ強制収容所からの生還者。両親以外の親族は。父方も母方もナチに殺された)
「ホロコースト産業」は、米国ユダヤ人エリートたち=シオニストを告発したものであるが、その副題は「同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」である。
「同胞の苦しみ=ホロコーストを武器として不当な手段で欧州諸国を脅迫し、自らの利益獲得に血道をあげる者たち、それがホロコースト産業である。その米国での成功は「世界で最も強力な軍事国家の一つ(イスラエルー筆者)が、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず、「犠牲者国家」の役どころを得ているし、合衆国で最も成功した民族グループ(シオニストー筆者)が同様に「犠牲者」としての地位を獲得」させることになった。」
つまり、世界に冠たる軍事国家が「犠牲者国家」とされ、米国で権力の中枢に近づき世俗的成功を納めている者たちが「犠牲者」の地位を得ているのだ。
ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時がとっくに来ている
しかし、むしろここで紹介したいのはフィンケルスタインの以下の言葉だ。
「ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時がとっくに来ているーーーそれが私が母から受け継いだ最大の教えである。母からは「比べるな」という言葉を一度もきいたことがない。母は常に比べていた。・・・・「自分たち」の苦しみと「彼ら」の苦しみを道徳的に区別することは、それ自体が道徳のねじ曲げなのだ。・・・」
(母はシオニストに反対し、「比べるな」とは言わなかった。「比べるな=比較不能」に従えば、同じ苦しみ・悲しみという他者との共通性を拒否することになるからだーーー筆者)
このようなユダヤ人の声は小さく、これまでほとんど無視されてきた。しかし今、イスラエル国内に、そして世界各国に小さな声は拡がっている。
2024/5/27 記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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