皇位継承が数カ月後に迫り、メディアでは天皇代替わりに関連する企画が始まっている。退位・即位の儀式や新元号に耳目が誘導され、祝意も演出されることだろう。一方で、新天皇の祖父昭和天皇がさらに遠景に退いていき、その戦争責任がますます希薄化しそうで気がかりだ。
父の平成天皇は戦後70年にあたる2015年の年頭に「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と発言している。少年期に立憲主義の教育を受けた平成天皇皇后は、おそらく日本国憲法を支えとすることによって、昭和天皇の戦争責任を抱えてきたように見うけられる。
「敗戦必至」と確信した近衛文麿(元首相・華族)が、昭和天皇に戦争の早期終結を決断するよう上奏文を提出したのは、敗戦半年前の1945年2月14日だった。それに対し天皇は、終戦人事を伴う粛軍は「もう一度、戦果を挙げてからでないと難しい」と判断し、戦争終結を拒否した。念のためだが、昭和天皇のこの拒否は議論の余地のない史実である。
このあとの敗戦に至る半年間の重さをつくづく思う。「歴史のif」ではあるが、もしもこのとき昭和天皇が戦争終結を決断していたならと、つい考えてしまうのだ。3月の東京大空襲も敗戦まで続く全土無差別爆撃もなく、8月の広島・長崎の原爆もなく、9月まで引きずる沖縄戦もなく、外地の戦場にあった敵味方の兵士はもとより、数十万の民間人も死なずにすんだろう。
このifが封じているやりきれなさこそ戦争責任の重量である。日本が始めた一連の戦争は、昭和天皇の最高責任とともにあった。そこには多くの戦争のifが潜んでいる。天皇の代替わりではこれらも継承されなければならない。戦後生まれの新天皇皇后にも、昭和天皇の戦争責任を背負うことを通じて、平和を求め続けていただきたい。
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