沖縄で感じたことあるいは考えたこと

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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 沖縄本島の南端を車で走りながら、南国風の景色にこころは弾んでいた。だがまた、こころに去来していたのはあのころ俺は沖縄のことをどんな風にイメージしていたのだろうかということだった。1960年代、沖縄ではアメリカの軍政からの解放をめぐる運動や闘争が大きくなっていた。世界的なアメリカの戦争や軍事行動に対する反戦運動と連動していたのであろうが、この戦いはアメリカの軍政からの解放―本土復帰運動の流れとなって行ったように思う。当時、ベトナム反戦闘争を中心に据えて闘っていた僕らはその政治主題に沖縄闘争を組み入れようとしていた。米軍政からの解放が本土復帰という理念、つまりは政治スローガン化することに違和感を持ちながらそれに替わるものや対抗するものが見いだせないでいた。 

沖縄闘争や沖縄解放、あるいは沖縄問題という言い方はその矛盾を隠ぺいする言葉ではあったが、どうすることもできなかった。あの当時の苦い思いが次々と浮かんでくる中でせめて今言われている「自己決定権の樹立」のような理念があったらと思った。僕らは1970年に向かう運動の中で日本の国家権力の何を対象に闘い、何を変革するために闘うのかのイメージが空洞化し、急進的言葉は空転化して行く様相の中で失語の状態を深めていた。これは沖縄の運動のイメージとも関わっていた。沖縄をどうするのかという問いと日本(日本国家)をどうするのかの問いは同じだったのであり、闘いのイメージが空洞化している点も共通していたのだと思える。「自己決定権の樹立」というような理念やイメージは1970年を前後する時代に必要だったのだし、それがあればイメージの空洞化や言葉の空転化に歯止めがかけられたかも知れないと想像した。

 政治的理念や言葉は民衆や大衆の意識や行動を基盤に生まれてくる。沖縄で「自己決定権の樹立」いう言葉が浸透性を持って機能しているのも沖縄の民衆の意識のうねりがあるからだろうと思う。沖縄では政権交代に推し進めた民意は意識のうねりとして深まり、「自己決定権」という意思的な言葉になろうとしている。しかし、本土では民意という政権交代を支えた言葉は空転化し、イメージは空洞化している。そこに見られるのは政治意識の拡散と混迷であり、失望感の広がりである。これは日本が「第三の敗戦」を迎えつつある端緒かもしれない。アメリカと韓国の戦争準備に日本が積極的に加わる日も遠くはないのであり拡散と混迷する民意を国民の自己決定権として結集する対抗策が必要だ。 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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