沖縄知事選挙は単なる地方の首長選挙ではない

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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 沖縄という言葉にも琉球という言葉にも一種独特のものを僕は感じている。この名状しがたい感じはうまく説明しがたいのだけれど、この沖縄では今、知事選がたけなわである。仲井真候補とイハ(伊波)候補の一騎打ちであるが伯仲した状況にあると伝えられる。この選挙では自民党と公明党は仲井真を支持し、民主党政府も陰では支持している。それは仲井真が普天間基地の県外移設を口にはしているが、以前のように辺野古新基地建設の容認への転換が期待されるためである。民主党は自主投票とは言え、イハ(伊波)支援の議員の沖縄入りを禁じている始末で、巷では仲井真へ官房機密費が流れている噂さえまことしやかに流れている。

 この選挙は制度的にいえば地方の首長選挙(知事選挙)であるが、その政治的意味ははるかにそれを超えている。これは誰もが理解していることである。これは二つの意味がある。知事の役割が普天間基地移転に極めて大きく、5月28日の日米合意の履行に大きな影響を与えることである。だから、政府は恥ずかしげもなく自民党や公明党の支持候補である仲井真を支援しているのである。これは選挙結果が基地問題を通して日米関係の見直しの契機になるかもしれないことを意味する。また、必然的に中国との新たな関係の構築の契機にもなる。政府は日米同盟強化とパラレルに対中国脅威戦略を強め、沖縄の西南諸島への自衛隊配備の強化構想などその現実展開をしている。沖縄は冷戦構造下のアメリカ戦略から日米同盟下の対中国戦略で再編されようとしている。これは非戦(憲法9条)を柱にして東アジアの安全保障を構築することからより離れる道である。これは今、日本にとつても沖縄にとっても危険な道であり、選挙はそれを拒否するか、容認するかを意味している。
 この選挙にはもう一つの意味がある。それは沖縄の人たちが自分たちのことは自分たちで決定するという在り方(琉球弧の自己決定権の樹立)がこの選挙にはかかっていることだ。これは沖縄という地域の住民が自分たちの意思で自分たちの道を決めて行くことである。これには沖縄の置かれたてきた歴史が大きく関与しているが、これは自由や民主主義の実現できるかどうかを意味している。上からの政治(上から意思決定)が天皇制を使った日本の伝統的政治(国家意思優位の政治)が変わるかどうかの試みがここにはある。「沖縄が変われば日本が変わる」と言われるが、日本国家の歴史的体質の変革がかかっている。
(今週は沖縄に行きます。次の論評は帰ってからということになります)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion220:101122〕