海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~

2月7日(金)に予定されている向井先生の汚染水問題講演会「放射能と海洋汚染」*を先取りするような番組が今晩(2/1)、NHK教育で放映されていました。

なかなか見応えのある内容の番組でした。「死の灰と闘う科学者」の姿が描かれていました。

2014年2月1日(土) 夜11時
【再放送】2014年2月8日(土)午前0時45分
※金曜日深夜
【アンコール】
海の放射能に立ち向かった日本人
~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~
(2013年9月28日(土)放送)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0928.html

1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロはえ縄漁船・第五福竜丸が被ばくしました。被害は水産物にも及び、日本各地の港では放射性物質に汚染されたマグロが相次いで水揚げされます。しかし、核実験を行ったアメリカは、放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる、と主張しました。

このとき、日本独自に海の放射能汚染の実態を解明しようという一大プロジェクトが始動します。水産庁が呼びかけて、海洋や大気、放射線の分野で活躍する第一線の専門家が結集、「顧問団」と呼ばれる科学者たちのチームが作られました。
そして水爆実験から2か月後、顧問団が選んだ若き科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸がビキニの実験場に向けて出発します。2か月に渡る調査の結果、海の放射能汚染はそう簡単には薄まらないこと、放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることが世界で初めて明らかになりました。

俊鶻丸「顧問団」の中心的な存在だった気象研究所の三宅泰雄さんは、その後も大気や海洋の放射能汚染の調査・研究を続けます。原子力発電所が次々と作られていく中で、三宅さんをはじめとする科学者たちは、大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制を作るべきだと声を上げます。
しかし、それは実現しないまま、2011年3月11日、福島第一原発の事故により、再び放射性物質で海が汚染されました。

ビキニ事件当時、日本の科学者たちが行った調査から、今私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。俊鶻丸に乗り込んだ科学者の証言や、調査を記録した映像などから描きます。

NHK静岡放送局・特設サイト
「私たちは忘れない、ビキニ被ばく60年」
http://www.nhk.or.jp/shizuoka/bikini60/blog/index.html

死の灰と闘う科学者
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/2/4111070.html

三宅 泰雄
■青版 B-107
■体裁=新書判・並製・240頁
■定価(本体 760円 + 税)(在庫僅少)
■1972年9月20日
■ISBN4-00-411107-2

1954年3月,ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で,小さな漁船・第五福竜丸が被災した.日本の科学者たちはただちにこの事件に取り組み,非常な困難の下で,灰の本体,人体と船と魚の放射能汚染,さらには大気・海洋への影響まで解明した.折しも冷戦下,日本政府は科学者たちのこの努力を否定し,政治を科学の上に置いてその後の原子力行政を推し進めた.本書はこの全容を伝える実録である.

*【汚染水問題を憂う京都府民の会・第3回講演会】「放射能と海洋汚染」
https://www.facebook.com/events/511669365618657/