会ができて5年、「夢中の創成期から安定供給の時期」に入る。
会誌の内容が充実してきた感じがする。ページ数も80頁と前号の2倍半にまで膨れる。3人によって筆耕され、3人の編集者がつく。表紙とカットの制作者の名も出る。編集が工夫されてきた。前半は生産者側からと消費者側からそれぞれの発言が出る。消費者は日頃の生活感情と会の活動をふり返り、生産者は現場からの言葉を出す。女性の発言は細やかであり、礼儀正しい。また、社会批評や自己変革の主体性がうかがえる。後半の生産者と消費者の座談会「鶏と卵、ざっくばらん」は特に面白い。そこには整理されていない面もあるが、読者が知ることは多い。以上は思想や理論の本を開く時と同じく、あるいはそれ以上に、注意して読むに値する。
発行日は1978年1月31日。発行所は現在の事務局の場所である。
1978年1月現在、消費者の居住地の広がりようが分かる。発言した消費者の住所から、東京湾を挟んで東は千葉市から西は八王子の北側の福生市・秋川市(現在のあきるの市)までという広がり。その東西を結ぶ線の近辺に、東から順に見ると、習志野市、八千代市、中央区、豊島区、練馬区、武蔵野市、三鷹市、小平市、小金井市、多摩市、田無市(現在の西東京市)、立川市、日野市。北は埼玉県の春日部市、大宮市、狭山まで。南は狛江市、川崎市、保土谷市(現在の横浜市保土谷区)まで。全部で30地区、会員数は1160人。
対する生産者は三芳村の山名集落の37人であり、房総半島の南に位置する。
A 消費者の発言
消費者の文章は論理的で表現力がある。練馬区のあるポストの構成がこの会の一つの特徴を表している。10人の会員の中で専業主婦は2人、あとは主婦であるとともに他に職業(中学の美術教師、英語の先生、料理の先生)をもつ。ある人が「口から先に生まれたような消費者グループ」と自分たちを皮肉っているが、その気味は文章にも出ている。それがマイナスになることもある。第5号を参考にすると。自分たちが大きな同じ立場にいることを忘れて人を責めるとか、人間関係で会を止める者が出るとか。
5体満足の子を産みたい
消費者が会に入った理由について、本号でも前の号でと同じく、改めて確認できる。消費者が入会した大きな理由として家族の健康問題があった。子供が病気がちでアレルギー体質をもっていたり、小児がんで死なせるなどの経験をしている。そこで食べものの重要性を知り、子供の将来を危うくしたくないと思って入会する。
母親は――父親も変わりないが――自分の子が他の子と比べて成績が良く、かけっ子も早いと良いと思うものだが、これでは「本当に子供になにをしてあげなければいけないのか」に考えが及ばなくなる。食品の安全のことである。当時、奇形のサルの事例が報告される。消費者は最初は写真を見るのもいやであったが、やがてしっかりと見て、餌と水が問題であったことを知る。そして自分たちの子供は五体満足で健康に生まれることを願う。注意――これは親としての自然の感情であるが、障害をもって生まれることへの配慮は薄れる。だからこのような感情のままでは差別にならないかと疑問を持つ人も出る。
入会金と量の多さへの戸惑い 「本物」の味を知らない子供
高度成長で家計は恩恵を受けていたが、1万円の入会金はけっして安くはない。経済的に続けられるか心配する人が出て、途中でかなりの会員が止めていく。そこには入会する前に、経済的に続けられなければいつでも止めればいいのだと言う安易さがあったようである。中には締め切り間際に駆け込みの入会をし、そのことに後ろめたさを引きずる人もいた。その人は「良いものあさりをすると思われはしないかとはじめは引け目に思ったりもした」と書いている。
最初の半年余りは来る日も来る日も小松菜だけとか、それが1度に30把も来たとか。このことはよほど会員の印象に残ったのであろう、伝説的にここでも語られる。日本の家族は核家族化していたから、子供の少ない小家族では野菜の量が多すぎてしまう。野菜は日持ちがしないから、心ならずも腐らせることもある。あるいは冷蔵庫に長く置いて野菜の中身をスカスカにしてしまう。下ごしらえを一遍にしないとだめになる。とにかく料理や保存の工夫をして1週間の献立を考えていく。それでも苦手なものが残ることがある。青虫の付いたキャベツには手がつかない。全量引き取りと言っても簡単ではないことが分かる。
子供は本物のトマトを臭いと反応し、キュウリのとげは痛いと知る! またそれまで食していたレタスのサラダが食べたいの、煮た野菜はいやだと勝手なことばかり言うこともあった。これらは野菜の「商品」化がもたらした現象である。
食べ物の「使用価値」を考え直す
消費者はこれまで食べ物が作られる過程を思うことをせず、「食べ物は簡単に得られるもの」、余ったものは捨ててよいと思ってきた。「キャベツは高原物、レタスは八ヶ岳山ろく、秩父のシイタケ…」という宣伝に乗せられてきた。専門家の「権威にも弱く」、「バラエティの富んだ食事、蛋白質をたっぷり、カロリー、バランス等々」と「耳学問に動かされて」きた。以上のことは消費者会員が言う通りであって、戦後日本の台所に立つ人の姿であった。それが変わる。食品の使用価値を主体的に考え直すようになる。それまで食べずに捨てていた「葱の青いところ、大根の葉まで食べる」ようになる。人はパンのみに生きるにあらずだが、「そのパンをなおざりにしてきて、何でその他の大切なことができようか」と考えを深めるようになる。
お金と自由の意味が変わる
変わるのはそれだけでない。
最初は「行きつけの八百屋を変えるような気易さで入会」したので、2月に1度くらいの当番やポストに行くことは苦痛であったと言う人がいた。でもその人は直接三芳村を訪ねて生産者が生活を賭けていることや一部の役員が苦労している姿を見て、少しずつ変わっていく。
次のように言う消費者が出る。届けられる野菜に対してお金を払うのだが、「野菜を買っているという意識が全くない」ようになる。「お願いして作って頂いている」、あるいは「できたものを分けて頂いている」という気持になる。この場合、お金は購買手段でも交換手段でもなく、「頂いた野菜への感謝のしるし」となる。いつも感謝しているかとなると、そうでないこともあるのだが。
こんな具合に、三芳に関わることで「物の見方、考え方が変わる」。普通の「市場」とはどういうものであったかが分かる。それまでは何々は幾らで、その割にはおいしいとかまずいとか言ってきた。自己主張をして相手よりも有利に値切ろうとして計算してきた。これでは「食品」ではない「食べ物」との関係で本当の意味で「自由」で「自立」していなかったと反省するのである。自由の考えが変わる。
食品公害が起きると、一般の消費者はそれを一方的に農家の意識のせいに帰してきた。それが三芳の生産者と触れることで、農業者をしてそうさせる仕組みを知らされる。消費者は自分たちの「工業重視、都市優先の考えが、農業を軽視し、農村の過疎を招いて、農村での生産活動が円滑にいかなくなったこと。ここに食品公害の原因があった」と反省する。「農村での生産活動の条件を奪っておいて、ただ、安全なものをつくれ、と消費者側が自分の都合ばかりで農村に要求しなかっただろうか」と考えられるようになる。本会に入会しなければ自分の意志でものに関わることのない「かしこい消費者」のままであったことも分かる。「食べることが、生き方を糺されること」になったのである。
三芳の鶏は縁農の際に「いっしょに歩いて、遊んだ仲間」という気持になったので、値段の付いたものとして食べる気がしなくなる。これまではスーパーでパックされたものを料理の献立から何g必要かと考えて買っていたのだが、三芳から1羽分のがら、レバー、手羽等がとどくと、これだけしかないのかと思うほどの少量を見て、いったい何羽がつぶされたのかと考えるようになる。「抽象的な鶏の肉を食べるのでない」。
自分の主体性で食べものを生かす、それを子供に見せることは教育になる。ある人はこう言う。「人が自分の意志でものにかかわることは、物にふり回されない人間の「主体性」を育てることになります」。「食の部分をきちんとスジを通していくと、生活の全体にもスジが通っていくこと…は、そのまま子供の教育の姿勢に通ずる」。提携は家庭教育だけでない、学校教育の仕方をも変えたらしい。小学校の教員をしていた消費者が書いていることだが、授業はそれまでは作物の草や茎までであったが、ミミズに眼が向き、「土にもぐりこめた」授業ができるようになる。
「性のしれた」関係
最初は本会のように生産者と消費者を直に結ぶことは「理にかなっていないロスの多い方法である」と思っていた人がいた。農協を通した方が合理的だと思っていたのだが、それが変わる。生産者の顔を知る。その土地も家族も明らかで家族ぐるみの生業となっている。生産者が消費者まで生産物を直接届ける。こんな「性のしれていることはない」ではないか。消費者は「育ててくださる人の御顔を知ることが、こんなに作物に愛着のわくことか」と感慨を新たにする。生産者と消費者との間にいくつもの流通関係者が入って利害がからんでくると、そうはいかない。事態は複雑で見通しが悪くなる。
「性の知れた」関係の中では、野菜の名産地のようなところでは決して見られないことだが、三芳から野菜と一緒に「白菊」が届くことがある。
問題(1)価格の根拠を問うこと、生産者の選別
消費者側からこんな意見が出る。「契約による経済活動という面」をはっきり押さえるべきだ、「経済を無視したり、タブー化するのは妥当ではない」。この意見を述べた人は、その上での活動であって事業でないことはきちんと押さえている。私も経験したが、有機農業者に米の価格を聞いて答をもらえなかったことがある。有機農業の活動家のなかには「命の値段」は普通の商品につけられた価格とは違うという意識があったと思う。それに、私はまだ値段をキチンと説明をしてもらうには十分に信用されていなかったのだろう。
消費者で退会する人が出る。その原因の一つに、生協や他に無農薬でやっているところから安く楽に入手できることがあった。消費者はもうこんなに早い時から有機農業者を選別するようになっていたのである。
考えの浅い消費者もいたと言う。配送される野菜をただ受け取るだけで、配送がどれだけ神経を使い、肉体を使うか、簡単に考えている人。提携している三芳がどこにあるかも知らない人!
問題(2)「納得のし直し」を
和田博之が提携をさらにしっかりしたものにするのに必要なことを出す。これは個々に問題になることとはレベルの違う問題である。和田は消費者の多くが生産者の苦労を考え、自らを変えようとしているその努力を認める。その努力は良いのだが、すこし型的なところが物足りなくなる。私も誤解されるのを恐れずに言えば、主婦にはよい子的なところがないか。和田はそこを突くのである。消費者は生産者の苦労を見て、意見を出すのを遠慮している風がある。その枠を越えねばならない。彼は「決められた中での納得でなく、納得のし直し」が必要だ、そのためにもっと意見を言ってほしいと書く。「納得のし直し」とはいい言葉ではないか。枠を越えた問題の提起はやがて後の号で実際になされていく。
B 生産者の声
農業者の文章は消費者の文体と違う。都会の主婦のように論理的で才気さえうかがわれるようなことはなく、もっと直接的で訥々としている。第一、生産者は改まった席では口数が少ない。消費者との集まりで「生産者の人は何か言うことないんですか」と促されることがあったようだ。
「もの言わぬ農民」というタイトルの本もあったが、その著者・大牟羅良が言うように農民は「いろり端では巧まず飾らずに、自分たちの言葉で自分たちの生活をいきいきと語って」いるのである。都会の口数の多い消費者も農村の生産者と交わるうちにそのことを知っていったであろう。寡黙は交流の経験を積むことで消えることもあるが、その大きな原因は農業の生産がもともと土を相手に睨むことであり、自然の気まぐれに左右されることが多いことがある。都会人のように人間相手が主ではない。自然に向かっては都会人のようにむきになって怒鳴ることはできないのである。
農民の語り
「もの言う農民」の良き例は和田が示してくれるが、その的確で哲人的なことは次の鶏についての座談会まで待とう。
樋口一江が「初冬」と題した詩の後半はよく分かる。
山里の日だまりに ひよどりの群れ立って 人の苦労をついばんで去る
あのいらだちを 今年は忘れたい
君塚陽子は「歩み」と題して鶏の飼育について書いている。その観察は気持がこもっている。200羽入れたヒヨコが3分の1病死する時のどうにも手のつけられない時の想いが語られる。薬を飲ませれば助かることもあるが、それは自然農業では使用できない。ただ日の過ぎるのを待つのみの大失敗となり、「目がしらが痛くなった」と書く。それに対して、長い間育ててきてやっと卵を産むようになって苦労が報われた時は「清々しく大海が開けた様な気持」になると書く。その悲しみも喜びもわれわれ読者によく伝わる。それから、雉が遊びに来た時に仕事の手を休め、その「毛色の良さにはうっとりさせられ」「きれいだなぁー、掴んでなぜてみたい」と思う。雉を知る人にはそのうっとりするさまが目に浮かぶだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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