混迷を深める政治は脱出路を見いだせるか(二)

著者: 三上治 : 社会運動家・評論家> <社会運動家・評論家>

8月25日

 甲子園の高校野球が終わると何となく秋を感じさせる。猛暑や真夏日が続いていたのだからどこか不思議な思いもして、これが季節ということなのだろうかと感じたものでだが、最近の気候はこの微妙な動きを壊し始めているようにも思える。真夏の孤独感とは違う秋の気配に漂う寂しさを味わうことなんて出来なくなるのだろうか。政権の執着していた菅首相もその座を降りるようで、後継を目指してうごめく面々が報道の世界を賑やかにするが、政治的混迷からの脱出を託せるような人物は見いだせない。

 政権交代後の民主党の面々が官僚やメディアの抵抗に出会うことは予想できたにしてもメディアの抵抗には準備は出来ていなかったと思える。政権交代をメディアは後押ししているすら民主党政権の面々は思いこんでいる節すらあったからだ。官僚の抵抗に対抗する基盤形成は意図されたにせよ成功はしなかった。それは前に述べた通りだが、メディアの新政権への抵抗にも対抗できなかった。小沢一郎の資金規正法や沖縄基地問題でのメディアの新政権への抵抗は凄まじかったが新政権はそれに対抗する力も方途も持ち合わせていなかった。それだけではない菅や彼をかずいた仙谷などの面々はそれを小沢排除という民主党内の政争の具に使い官僚やメディア、その背後のアメリカの意図に添うべく自己変質をして言った。民主党の掲げた政権時の政治理念の弱さを懸念しつつも支持した知識人や国民の気持ちを知らず、政治理念の欠如が自分たちをどこに招くか一番知らなかったのは政権の座にあった民主党の面々である。鳩山はこの恐ろしさを基地問題や対米交渉で実感したであろうし、小沢一郎もまたそうであるのかも知れない。鳩山が沖縄の基地問題で沖縄の人々の声を呼び起こしたとき、アメリカや官僚やメデイアが一番恐れたのは、彼がその声を取り込み政治理念を固め直して立ち向かってくることだったであろう。彼がそうできなかったのは保守政治家であったためではなく、大衆的政治家ではなかったためである。民主党の面々は大衆政治家の仮面をかぶることで政権の座に就いたが、本物の大衆政治家に脱皮できなかった。民主党の政治家に魅力がないのはチャンスがありながらそこへの命がけの脱皮が見えないからだ。挑戦する姿もない。民主党政権は官僚やメディアや抵抗の中で変質した。これは腹立たしいことではるがその結果として国民の意識は変わりはじめたし、官僚やメディアの内部での批判的部分も生まれた。沖縄の地域住民の自立意識はその象徴であるが現在の政治的混迷を脱する基盤も出来始めている。可能性は生れている。

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