紹興を舞台にした魯迅の作品である『孔乙己』(コンイーチー) の中には、「労務者たちが、昼か夕方の仕事をおえたあと、銅銭四枚出して酒を一杯買い(…)、カウンターにもたれて立ったまま熱いところをひっかけて息をいれる」(竹内好訳、『阿Q世伝・狂人日記』) という一文がある。ここに書かれている燗酒は当然紹興酒であろう (余談ではあるが、この酒のアルコール度数は14度から18度である)。清の時代に、紹興酒を熱燗で飲むことはすでに一般的だったようであるが、中国で温めた酒を飲む習慣はいつ頃から始まったのだろうか。
中国語で燗酒を温酒というが、紀元前1600年頃から紀元前1046年まで存在していた殷王朝時代の遺跡から爵という器が発見されている。この器の使用方法としては酒を注ぐものとする説、酒を飲むものとする説、酒を温めるものとする説というようにいくつかの説が存在するが、詳しいことは判っていない。しかし、殷の時代から酒を温めて飲む習慣があった可能性が高い。白酒と呼ばれる蒸留酒の記述が初めて登場するのが550年から577年まで続いた北斉時代の歴史について書かれた『北斉書』(唐時代の636年成立) の中であることから、殷時代に飲まれていたものは発酵酒である黄酒であると考えられる (紹興酒はもちろん黄酒である)。つまり、3000年以上前から中国では黄酒の熱燗が飲まれていたと推測されるのである。
また、西晋の陳寿によって280年から290年頃に編纂された『三国志』や、三国志を基に明の羅貫中によって16世紀に書かれた『三国志演義』には (著者に関しては別な説もある)、220年から280年まで続いた魏・呉・蜀の三国時代についての多くの記述があり、そこに温酒を飲む習慣があったことが書かれている (たとえば、「温酒斬敵」)。確かに、『三国志演義』はフィクションであり、「温酒斬敵」に書かれた関羽が敵将の華雄を倒し、温酒を飲むというエピソードなどは史実に即しているとは言い難いが、武将たちが燗酒を飲んでいたことを物語る一例として、とても重要なものである。この熱燗にした酒も実証的に見れば、もちろん白酒ではなく黄酒ということになる。
現在の中国では南部の浙江省で紹興酒の燗酒を飲むほかは、温めた紹興酒を飲む習慣はあまりない。だが普段は白酒を飲む北京などの北部地域でも、気温マイナス10度以下の冬に燗をした紹興酒を飲むことがある。燗をつけるにはブリキや銅製、あるいは錫や陶製の加熱器を用い、40度から45度くらいの人間の体温よりも少し高い温度にする。熱燗用の器も紹興市などではごく普通に売っている。温めた元紅酒や加飯酒 (共に紹興酒の種類) は香りが高く、ゆっくりと味わうことにより心身を温め、胃を傷めることがない。元紅酒は鶏、鴨、卵類を最も美味しく感じさせる酒であると言われている。加飯酒の中で、とくに花彫酒は来賓をもてなす場で飲まれ、この酒を温めたものは魚介類、とくに蟹や海老、さらには冷菜に合うと言われている。また豚、牛、羊の肉類とも相性がよく、紹興酒の働きによって消化が促進されるそうである。
日本では温めた紹興酒にザラメ砂糖を入れて飲むことが多いが、中国ではあまり一般的ではない。安い紹興酒を美味くするための一つの手段であるという説もある。だが、飲み方は自由であり、紹興酒の価格もさまざまである。最近では、中国でも、レモンスライスを温めた紹興酒に入れて飲むこともあるようで、より美味しく、健康的に飲むためには、これが絶対という方法はない。温酒は、上記したように、中国で古くから飲まれてきた。だが、注意しなければならないのは、紹興酒を温めるとき、人肌よりもちょっと高い程度までにした方がよいという点である。それ以上の温度にしてしまうと、紹興酒の成分が変化してしまい、味も、効能も消えてしまうからである。さてここで、この紹興酒を題材にした小さな物語を一つお話したい。
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リンリー (鈴麗) は雪道を急いだ。体が動けなくなった父のために紹興酒を買いに遠くにある酒屋まで行くのだ。真冬、粗末な布団一枚、病気。父は震えながら、リンリーに、「こんなに寒いときは、燗をした紹興酒でも飲めば体が温まって、ゆっくりと眠れるのだが」と消え入りそうな弱々しい声で言った。この集落に酒屋は一軒もない。山向こうまで行かなければならない。リンリーは父と二人暮らし。一人父を残し、遠くまで行くのは心配であったが、寒さで眠られない父のためにはお酒が必要だ。ちょうど雪も止んでいる。今から出かければ、夜になる前に帰って来られる。リンリーは「お父さん、これからお酒を買いに行くわ」と言い、粗末な小さな壺を持って、雪が積もっている外に飛び出した。
リンリーは14歳。小さな体躯をしているが、長い綺麗な黒髪を三つ編みにして、鈴の音が鳴るときのような美しい声で話し、歌う少女であった。病気がちの父を助け、家事をこなし、必死に畑を耕していた。母は10歳のときに亡くなっていた。兄弟はいなかったが、リンリーの周りには、いつも、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言ってついてくる小さな子供たちがいた。リンリーはどんなに仕事が忙しいときにも子供たちにお話を聞かせ、お話が終わると綺麗な鈴の音のような声で歌うのだった。
雪は止んでいたが、朝まで降り積もった雪に覆われた道を歩いて行くのは容易なことではなかった。それでも早く父に温かい紹興酒を飲ませたいという一心で、リンリーは山道を急いだ。家を出たとき、白く美しい雪景色が輝いていた。だが、今は日が傾き始めている。リンリーは歩く速度を速めた。
山をやっと越えて酒屋に着くと雪が降り始めてきた。「おじさん、この壺に紹興酒をちょうだい。」そう言って、代金を渡す。リンリーの家は貧しかったが何かあったときのためにいくらか貯えがしてあった。北部の山岳地帯で紹興酒は高価なものだったが、病気の父のために貯えを持ってきて、買ったのだ。辺りは夕暮れの風景に変わっていた。急いで帰らなければ夜になってしまう。リンリーは山に向かって歩き始めた。
雪はさっきよりも強く降っている。日はもう僅かしかない。リンリーは手や足がどんどん冷たくなっていくのを感じた。寒さと、急いで歩いてきたので、リンリーはすっかり疲れてしまった。山の中に入ると、雪は今では前が見えないくらい激しく降っている。リンリーは思うように足が動かなくなった。
坂道を登り切って、ふと見ると、大きな木があることに気づいた。この木の根元で少し休んでいこう。リンリーは紹興酒の入った壺を傍に置き、木の根元近くに腰を下ろした。雪の降ってくる勢いはますます激しく、空から間断なく落ちてくる。「お父さん、もうしばらく待っていてね。」そう小さくつぶやくとリンリーは目を閉じた。
「リンリー、紹興酒を温めておくれ。お父さんが喜ぶから。」
「お母さん、判ったわ。」
「お父さんは、本当に紹興酒の熱燗が好きなのよ。」
「お父さん、日が暮れるまで畑で一生懸命に働いて、家に帰って三人でご飯を食べるときが一番幸せだっていつも言ってるわ。」
「そのときに飲むお燗をした紹興酒が一番美味しいとも言ってるわ、リンリー。」
「お母さん、私も夜のご飯のときが一番好き。だって、お父さんも、お母さんもとっても楽しそうだもの。」
「そうね、リンリー。」
「あ、お酒が温まったわ。お父さん、今持って行くわね。」
そう言って、リンリーは鈴のような声で笑った。みんなが笑っている。紹興酒の香りが小さな家の中いっぱいに漂っている。
翌朝、リンリーを探しに、集落の男たちが山道を降りた。リンリーはあの大きな木の根元で、笑顔を浮かべて死んでいた。しかし不思議なことが一つあった。リンリーの傍にあった小さな壺に入った紹興酒が温かったことだ。壺に入った酒は、よい香りを辺りに漂わせていた。
父も二日後に病気で息を引き取った。集落の者たちは哀れに思い、リンリーの母の墓に二人の亡骸を一緒に葬った。それから後、三人が眠る墓の近くを通ると、紹興酒の香りがし、鈴のような声の楽しそうな笑い声が聞こえてくるという噂が絶えなかった。
初出:宇波彰現代哲学研究のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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