特攻学徒兵、零戦とピアノ

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 8月13日(日)、家から5分か6分の所にある東演パラータで劇団東演による朗読劇「月光の夏」を聴いた、観た。
 出撃前夜、九州のある田舎町の小学校で特攻隊員がピアノを弾いていた。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」であった。パンフレットの表紙に「最後に思いっきりピアノが弾きたい・・・。」とある。
 舞台は巧拙を超えて、真剣であった。役者も真剣、ピアニストも真剣。ふつうの舞台に感じられるようなあそびはなかった。それによってしか、戦争という大量殺戮の中にさえ姿を現わさざるを得ない人間性への敬意を現代の芸術家は示し得ない。
 私=岩田は、何年も前からこの時期にこの朗読劇がある事を知っていた。ストーリーも分かっていたし、心をゆさぶられるだろうともあらかじめ分かっていたが故に、これまで足を運ばなかった。何故かピアノに違和感があったからだ。
 戦争と音楽、戦争と楽器と言うと、何故かピアノがクローズアップされる。映画「戦場のピアニスト」がそうだ。題名を忘れたが、ナチスの将校が東部戦線の戦場で、ウクライナかロシアの占領地の家に置き去りにされたピアノを弾くシーンがあった。それは、残虐なナチス・ドイツ軍の将校に残っている人間性を示し、私達にほっと一息つかせる。
 戦争とかかわらざるを得なかった楽器はピアノに限らないはずだ。
例えば、日清戦争の頃、箏曲の正派邦楽会の流祖が徴兵されて、広島から朝鮮半島に出征する直前の一夜、厳島神社(?)の境内で箏と三味線を今生の想い出に思う存分弾いて時を忘れ遅刻した。ところが、音楽家の心性が理解出来た隊長に大目に見てもらえて、軍律違反にならなかった。こんなエピソードを読んだ事がある。
 山田流筝曲の二代藤井千代賀がCD『喜寿記念 筝組歌選集』(平成7年4月)の「御挨拶」に次のような想い出を記している。「戦争が末期に近づきつつあった或る日、越野先生よりお電話があり、いよいよ田舎の方に疎開するから生きて逢うことも出来ないかも知れない、是非来るようにとのこと。満一才になるかならずの次女百代に防空頭巾をかぶせ、おぶって赤坂のお宅まで伺いました。何か一曲一緒に弾いて別れようとおっしゃって下さったのですが、何年もお箏に触れたこともない素人の悲しさに困っていましたら、『雲井の曲』なら弾けるでしょうとおっしゃったので大変緊張してひきました。五ツ歌目にさしかかった時、先生が突然『巾の調べ』を弾き始められました。」
 このようなエピソードを想い起しながら、思ったことがある。多くの学徒兵が、多くの農民兵が戦火に散った。戦場に向かう直前、歌謡曲――辞書的解説によれば、日本的ムードを西洋音楽的な節回しで歌った大衆的な歌、クラシックや邦楽と異なる。――や軍歌のほかに、どんな音楽に、どんな楽器に触れて行ったのであろうか。
 クラシックだったのだろうか。邦楽だったのであろうか。その当時、オーケストラ、オペラ、バレーが今日ほど日本社会に受容されていたわけではなかった。一般庶民にとって、文部省下の小学校でオルガンに合わせて唱歌をする事でどうにか西洋楽器に付き合える機会があった位だった。学徒兵の多くもピアノよりは、能楽の謡、義太夫、長唄、新内、地歌、吟詠等々の方へ思いを残して戦場へ向かったのではなかろうか。想像するに、東京下町出身の学徒兵が、蘭蝶(四谷)「今更いうも、すぎし秋。四谷で初めて逢うた時。すいたらしいと思うたが、因果な縁の糸車。・・・。」と思う存分一晩新内を語ってから戦場へ向かいたいと切望しても、つまり、性愛を知らずに死ぬことの不幸を嘆いても、不思議ない。
 しかしながら、このような新内学徒兵のエピソードが戦後発見されたとしても、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの学徒兵のように、今日、終戦=敗戦の日に不戦を考える契機になり得たであろうか。なり得なかったに違いない。
 大東亜戦争の時代、日本の一般民衆が民間航空で東京から関西へ旅する事は全くなかった。陸海軍の職業軍人を除けば、飛行機を職務上使っていたのは、新聞社や通信社ぐらいであったろう。戦争、それも負けこんで来た戦争だけが、日常生活上無縁であった飛行機という機械文明に文系学徒兵が接触する不幸なチャンスを与えた。飛行機、それは邦楽の箏や三味線とは全く出自を異にする近代西洋機械文明の産物であった。零戦こそ西洋に対して日本がどうにか作り上げた大和機械文明の逸品であった。それに乗って、学徒兵達は更に進化したアメリカ機械文明の航空母艦に体当たりする。その不幸なる悲劇を楽器でシンボライズし、記念するとすれば、多数の西洋楽器群の中でも、最もメカニカルな構造をイメージさせ、かつ日本民衆の日常に無縁なピアノでなければならなかった。
 大東亜戦争に敗北して市民社会化した日本人は、特攻学徒兵の中でも稀な双対、すなわち零戦とピアノの一対に近代戦争の無残を納得できた。しかしながら、箏や三味線のようなメカではない楽器の方に実際はより多くの学徒兵が、農民兵が今生最後の思いを寄せていた事実、それは現代市民社会にとどかなかったかも知れない。

        平成29年8月17日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/

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