9月11日(土)の現代史研究会で山本耕一氏によるジジェク論を聴講した。特にパララックス・ヴューに関する論点が参考になった。
「パララックスな見方は、そもそも総合や媒介が不可能な二つのポイントの間を移動して、絶えず視点を変化させる」「二つのレベルには、共通のことばも共有される基盤もない」。
山本氏は、カントの文章「自分の判断を・・・・・他人の視点から考察する。両方の考察の比較は確かに強い視差を生じはする・・・・」をジジェクのパララックス=視差論の先行者としている。しかしながら山本氏が紹介するカント視差論には、自分の視点と他人の視点の間の総合不可能性、媒介不可能性、共通のことばの不在性が強調されてはいない。
私がイムプレスされたのは、かかる不可能性であり、不在性である。何故か。それは20世紀最後のヨーロッパ戦争、すなわち旧ユーゴスラヴィア戦争に関する私の認識論的実体験に合致するからである。ここで私は十有余年前の私の文章を引用しておきたい。
紛争認識は、紛争当事者の社会、民族、集団、人物に対する認識者の好悪や宗教的、文化的親疎の関係に左右されやすく、一面的になりがちである。旧ユーゴスラヴィアの悲劇の場合、セルビア側(あるいはクロアチア側)の文献(新聞、雑誌、書物)を読んで行くと、それなりに説得力を持つ主張に心が動かされ、やがては感情移入も生じて、その方向以外の文献が心理的にも読み難くなってくる。そんな時に、自分自身に喝を入れて、クロアチア側(あるいはセルビア側)の文献に切換える。
このような切換えを可能にさせる力は、勿論、研究者としての主体性、自負、意地であるが、次のような二つの条件が重要であろう。第一に、セルビア人、クロアチア人、ムスリム人との人間的触合いと交流を通して、それぞれの民衆の中に実際に見えた良さの実感であり、思い出である。第二に、それぞれの民族にふりかかった悲劇(悪)の現場を短時日であれ、自分自身の目や耳で確認してきたという体験の重みである。そのような切換えを何十回となく繰り返して、当事者たちの認識や判断を比較考量しつつ、諸事実に基づき、論理(帰納と演繹)の助けをかり、自分で責任のもてる紛争の立体像を浮かび上がらせることが出来る。勿論、修正可能なものとして。(岩田昌征著『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』御茶ノ水書房1999年刊 pp.21-22)
私がこの文脈で強調したいことは、以下の如し。
媒介不可能な諸視点(クロアチア戦争では二視点、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦争では三視点)間の移動を実践することが、認識者に要求するとてつもなく重く不快な心理的苦痛である。単純な善玉悪玉論や片面的人権論に立つことの軽快さである。
平成22年9月17日記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study329:100918〕