現実と政治・社会の未来 再論(2)

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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民主党政権の敗北は何一つ自己の政治理念に基づくものを実現できなかったということに尽きる。実現できなかったというよりは実践的な試みすらできなかったということにほかならない。僕は民主党が選挙公約時に提示していた

外政(日米関係の見直し)、内政《国民の生活が第一》、権力運用(官僚主導政治の転換)を評価していたが、それを実践的に試みる入口のところで躓き、この公約が選挙用の宣伝に過ぎず民主党の面々の身に付いた政治理念になってはいなかったのだと思う。彼らに本当にやりたいことがない、あるいはわからなかったのではないかという疑念を呈しておいたのはこのことだった。

自民党は今回の選挙でにわかづくりのような公約を出してきたが、憲法改正も含めてそこに目新しいところはない。象徴的にいえば原発問題から逃げたということがそれを示している。再稼働などを官僚主導でやらして政治的な批判は出来るだけ避けるということが戦略である。政治的に狡猾といえるが国民の脱原発の意思を無視できると思っているのであれば手痛い目にあうだろう。自民党の大勝は民主党政治への反動であって。彼らの政治理念(政治構想やビジョン)が支持されたわけではない。だから安倍の再登板にしめされるようにその政治理念はかつての小泉―安倍路線の復帰であるに過ぎない。これは基本的には日本の第二の敗戦と言われた「失われた10年あるいは20年」から脱却としてアメリカの模倣をしたものである。そして、それはリーマン・ショックで一度破産したものである。この公約の中で幾分かの新しさがあるとすれば、尖閣諸島問題を軸にする中国との緊張関係を取り込んで、それを憲法改正に結び付けている所ぐらいである。これもある意味ではアメリカのアジア戦略重視のことを踏まえてことであるといえる。

僕は全体とすれば曖昧な自民党の選挙公約を2000年の初めからの小泉―安倍路線の継承として分析すれば見えやすくなると思う。自民党の政治理念を根本のところで律しているのはアメリカの世界戦略である。そのアメリカは再選されたオバマ政権の下で政治的な混迷が続いている。政治的な停滞はアメリカの方向を曖昧にしている。ただ、オバマ政権はブッシュ政権から脱しきれずにその世界支配の戦略軸を反テロ→アフガニスタン・イラク戦争からアジア戦略にうつしつつある。だから、小泉とブッシュの間の日米同盟は対テロ戦争から対中国戦略に軸が移動しつつ、安倍とオバマの関係になるのだ。日本はアメリカのアジア戦略の中でそのアジア戦略(アジア諸国との関係)を構築するのか、日本独自の戦略としてそれを構築するのかが問われているのだ。もう誰も言わなくなってしまったが、東アジア共同体という構想は消えてしまったわけではない。東アジア共同体という構想にはその中身を煮詰める必要があるにしても歴史的に消え去るべきものではない。世界関係、とりわけアジア諸国の関係の中で日本はアメリカの世界関係という枠組みを通して立ち位置を確保すべきか、日本独自的(自立的)立場を取るのかが迫られているのだ。これは根本的なことで一挙的には不可能であるにしても、政治理念の根幹に据えられるか、どうかなのである。

日米同盟が対等な国家間関係でないことは誰もが認識していることだ。あらためて論じる必要のないことだ。これはもっぱら政治的・軍事的関係で論じられてきたが、これには経済関係《基軸通貨ドルの関係》も見なければならない。

とりわけ、アメリカの世界経済における相対的地位の低下、一般には衰退とよばれている状況の中で基軸通貨ドルの補完として円を機能させたいアメリカの立場を見ていなければならない。安倍政権の目指す日米同盟の深化は日本の自立の一層の後退であり、アメリカの世界戦略(アジア重視戦略に転換して戦略)への補完的位置に歩を進めるだけのものだ。アメリカは巧みだ。尖閣諸島問題での日本の立場への配慮はそれを物語っている。

アメリカの世界戦略という枠組みから離れて日本は独自のアジア戦略を持てるのか。歴史的に見えればかつてのアジア主義から最近の東アジア共同体構想までそのこころみは失敗に終わってきた。この要因はなんであろうか。それは一言でいえば民族主義によるといえる。かつてのアジア主義の理念を裏切ったのは民族主義である。アジア主義は日本の帝国主義のアジア侵略のイデオロギーになった。これはアジア諸国で抗日のナショナリズムを生みだした。中国をはじめとする民族主義はその政治的解放に機能したと言わざるをえない。だが、戦後のアジア諸国の関係の中で民族主義を超える壁となってきたことも事実である。民族主義を克服しえたなら、つまりは各国の自立が相互の敵対関係に転化することを防ぎえれば、アジア主義もまた生きるといえる。そこで問題は中国脅威論のような意識が問題になる。それは中国の問題というよりはより多くは日本人の自立の問題である。日本人の対中国意識は近世までの尊敬も含めた脅威感と日清戦争以降の侮蔑感の入り混じった複雑なものだが、日本人の自立した意識ではないということだ。西欧《アメリカ》に対する意識と中国に対する意識はともに自立した自由なものとしてないということで共通している。いくら日本人の民族心を煽ったところで自立性を欠いた民族主義しか生まない、ここが問題の根幹であるとともに日本の宿命的な問題であるのだ。

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