最近、亡くなった若松孝ニ監督は後年に優れた作品を世に送り出し大輪の花を咲かせていた。文学や芸術に歳なんて関係ないように政治にも関係はあるまい。石原慎太郎が新党の結成と国政参加をぶち上げたことに対して老害という向きもあるがそれはないと思う。彼は次の衆院選挙が群雄割拠というか、政党乱立による混迷というか、いずれにせよ乱戦模様を呈し自分の出番がある、と踏んだのかもしれない。石原慎太郎がどのような政治ビジョンと構想を持っているのか、あるいはそれを代表しているのかということが問われるべきである。
現在は様々な領域で制度が壊れはじめていてそれは政治の領域にも及んでいる。僕はその中で本質的には既得権益を護持しようとする部分とそれを変えようとする部分が対立し、混沌とした状況を生みだしているのだと認識している。それはまた理念や思想というところにも現象しており、言葉は解体し力を失っている。メディアなどによる情報《言葉》は過剰というべきだが、時代を見通す言葉は見当たらない。制度が壊れようとする時代だからそれを保守しようとする動きとそれを変えようとする力が出てくるが、その根本にあるのは既得権益の護持であり、その体制と権力は官僚制権力である。現在の体制と権力に対して、反体制や反権力は既得権益と官僚制への対抗や批判として存在している。この既得権益と官僚制は人類が生み出した歴史に対する否定、あるいは否定的な克服という深いつまりは長い射程を持ったものである。これは緊急の課題であると同時に永遠の課題でもある。
政治的な構図というものを描けば、既得権益を擁護するかいなかが一つの分水嶺をなしている。これは民主党が政権交代時に掲げた官僚主導政治の転換が実現せず、むしろ官僚に取り込まれ変質していったことはその力をあらためて知らしめたといえようか。官僚制的権力にどう対応するかで政治は大きく分かれ、これに批判的な部分は第三極的なあわわれをしているのである。
自公民は大きくは既得権益の擁護派であり官僚的権力に取り込まれた存在である。自民党や公明党と民主党の差はその取り込かたや癒着の度合の違いである。民主党には政権交代時に官僚主導政治からの転換を掲げたこともあってその官僚的権力に対する抵抗の意識がいくらかは残っており、自民党との温度差をなしている。こうした中で第三極といわれる政治的動きが出てきているが、それは様々の政治的グループとして出てきている。その政治的ビジョンや構想はそれぞれであり右から左まで様々であるが、官僚制的権力への反発や批判という点で共通性があると言える。
この第三極をめざす動きは現在の体制や権力への批判、つまりは官僚権力に対する批判として共通性があっても、その政治的ビジョンや構想は違っていて鋭く対立している。例えば、「生活が第一」を掲げる小沢一郎の政治的グループと新党をめざす石原慎太郎の政治的グループではそれは大きく違っているし、対立的である。第三極をめさす政治的グループは政治的連携を志向するといわれるが、これだけ理念や政策が違えばそれは困難である。
第三極をめざす政治グループはその政治ビジョンや構想で評価すればいいのだろうが、そのグループはそれが曖昧で、政治的野合を辞さない面々だから、その評価には明瞭な観点が必要である。その一つは国民の意志《民意と言われたもの》を実現するということを政治理念として持っているか、どうかである。
民主制的な政党かどうかでいいが、官僚制的権力批判をする政治グループが民主主義的であるかどうかは分からないのでこの点は注意がいる。真の意味で国民主権を理念として持っているかどうかが重要である。官僚制的権力批判をやっていても強権的政治を志向する政治グループをあるわけでこの点はしっかり見ておかなければならない。すぐに憲法改正を口にする面々は強権政治派であり、石原慎太郎の目指す新党はこうしたものとして見る必要がある。石原は官僚批判を中心的な政治的眼目とするが、原発推進を主張する。原発推進は経済界や官僚が原発の生み出した既得権益擁護の上に乗っかっている。官僚は原発推進に必死であり、権力に接近すれば石原はすぐに官僚に密通しかねない。これは官僚主導を掲げて政権交代した民主党のその放棄という変節をみているわけで政治的スローガンをあまり信用してはならない。
戦後の日本の官僚権力が敗戦でも解体せず、戦後は天皇の官僚からアメリカの官僚になった。忠誠対象が変わっただけであり、日本での官僚制的権力の変革はアメリカからの自立が不可避だ。官僚制と結び付いた独占(国家独占)の批判はアメリカからの自立を不可欠とする。この点の認識は重要である。対米自立が官僚変革に深く結びついたことだが、この点が曖昧であれば官僚制権力批判も曖昧になる。自民党のナショナリスト派は親米派として官僚制的権力と癒着してきた歴史がある。安倍や小泉と石原は自民党の同じ派閥に属し、日米同盟の推進派であった。その官僚批判の曖昧な点の一つに対アメリカ関係からきているところがある。そこはよく見ておいた方がいい。 (終わり)
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