現実を直視しよう-もんじゅについて-山崎さんの文章です

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 たんぽぽ舎が、読み合わせ会員に限定配布している「原発いっしょになくそう よせあつめ新聞」に隔号連載されている「今月の原発」の文章を転載します。(No389-「5月前半号」掲載)

ご参考になれば幸いです。

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 ……車の運転を教えるのにブレーキの踏み方を教えていないに等しい。

そんな教習所では免許を取るどころか路上教習にも出られないだろうが、「もんじゅ」の場合はそのまま高速道路を運転させているようなものである。

 教育体制はずさん、技術レベルも低く、このまま運転を続けるなど言語道断。直ちに運転を止めるべきだ。

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☆☆★現実を直視しよう★☆☆

《たんぽぽ舎 山崎久隆》

資源問題と「もんじゅ」

 「もんじゅ」の運転開始に伴い、報道で取り上げられる機会も増えた。

 NHKクローズアップ現代など、多くの報道番組では「もんじゅ」の目的を「プルトニウムサイクルの確立による先端エネルギー技術の開発」としている。もちろん原子力長期計画や原子力研究開発機構(位下機構)の主張がそうなっているからなのだが、クローズアップ現代のように時間をかけて報道している番組をのぞきほとんどはその定義づけに何の注釈も加えないため、あたかもそれが事実であるかのように表現されている。

 「高速増殖炉」の意味は、「高速中性子を核分裂反応に利用しながら、炉心燃料とブランケット燃料部でウラン238をプルトニウム239に変化させ、核分裂を起こしたプルトニウムよりも多くのプルトニウムを蓄積する炉」である。このうち「プルトニウムの増殖」については掛かる時間を無視してトータルで1倍を超えると増殖したとするので、たとえ100年掛かろうとも1.0倍を超えれば良いことになる。そのため、非現実的な想定がまかり通っている。

 壮大なウソの羅列の前に、一般には「もんじゅ」は危険でも必要なものと捉えられている現実があるが実際には危険な上に無駄なのだ。

 「もんじゅ」が作り出すプルトニウムは、核分裂を起こしたプルトニウムの2倍になるためには90年かかる。二倍かかる時間のことを「倍増時間」という。最も楽観的な計算でも45年というから、ほとんど炉心寿命ほど動かしてももう一つの炉心を作る能力はほとんど無い。しかも炉心を作るためには使用済の燃料を再処理し、プルトニウムを取り出さなければならず、そのための再処理施設が必要なのだが、その施設は現在存在しないし、計画中のRETF(リサイクル機器試験施設)も、高速炉常陽と「もんじゅ」のブランケット燃料という、核分裂をしている炉心ではなくその周辺燃料の再処理をするための試験施設であり、「もんじゅ」や常陽以外の原子炉の燃料を再処理することも出来ない。

 理屈と現実の間には大きな溝があるのは常のことだが、高速炉は核融合炉と同様に困難を極め、最終的には実現しないだろう。

 高速増殖炉に発電能力をつける場合、現状ではタービンを回す他はないので、水系統が必要だ。これにより危険性が急激に高まってしまう。

 ナトリウムと水を、薄い金属を介して接する構造をとらざるを得ないため、水とナトリウムの反応事故が軽水炉にはないリスクとなってふりかかる。

 これを回避できない限り、ナトリウム炉を量産することなど到底不可能なのだが、見通しも全くない中で高速炉が軽水炉に取って代わるなどと勝手に想定されている。

 少なくても資源的に何らかの意味がある規模まで高速炉を造るとしたら現状の比率を維持するためだけでも400基以上の高速炉を建設しなければならず、3割や4割といった主力電源となるためには2000~4000基は必要となろう。それ自体が経済的にも到底不可能な上、毎年どこかでチェルノブイリ原発事故に見舞われるかもしれないリスクを抱える。そのようなものが資源対策になるはずはない。

トラブル続き

 動き出した「もんじゅ」では、早速いくつものトラブルに見舞われている。その中でも制御棒の挿入方法を運転員が知らなかったという事態まで起きている。

 5月10日夜、調整用制御棒は最終段階で3ミリを残して停止していたが、これを全挿入させようとした運転員は、挿入ボタンを何度も「短く」押したが制御棒が入らないためいったん作業を中断した。しかしこの制御棒は、挿入ボタンを「長押し」すれば挿入できたのだという。この操作方法を運転員が知らなかったために起きた事件だが、制御棒挿入方法をちゃんと教えていないのに運転を再開したことに驚愕の言葉以外何を言えばいいのだろうか。

 車の運転を教えるのにブレーキの踏み方を教えていないに等しい。そんな教習所では免許を取るどころか路上教習にも出られないだろうが、「もんじゅ」の場合はそのまま高速道路を運転させているようなものである。

 教育体制はずさん、技術レベルも低く、このまま運転を続けるなど言語道断。直ちに運転を止めるべきだ。

点と線と面

 自然災害は大きくは、点と線と面にわけることが出来る。

 たとえば地震は、大きなものであってもその被害は点として現れる。四川大地震などは広い面積が被災したように感じられるかもしれないが、一様に揺れたように見えても実際には揺れの大きさは地質や地盤により異なり、大きな被害が出る場所は点の集まりと言える。密度が高ければ面的な被害になり、密度が低ければ特定の家屋や構造物の被害となって現れる。また、耐震性の悪い構造物に大勢の人がいれば大変な惨事になるが、これもまた点で起きることであり、十分な耐震性を持つ建物が隣にあったとしたらそちらは被害なしということもあり得る。また、どんな巨大地震であっても被災地域の人々が全滅することはなく、最悪のケースでも死者数は数パーセントの水準だ。

 一方、津波などは線的被害をもたらす。一定の高さの津波が一様に海岸線を襲うとき、標高との兼ね合いで海岸線に平行に被害地域が伸びる。川があればそれをさかのぼってやはり線的に被害地帯が伸びる。

 大津波だと内陸深くに津波被害が広がるが、日本で観測される津波の多くは30メートル程度、最大では80メートル程度だから、標高が100メートルを大きく超える内陸地域に被害はあまりないことになる。津波災害の直撃を受ければ幅数キロにわたり被災者の数十パーセントの犠牲者を出すこともある。これが線的被害の特徴だ。

 面的被害とは、火山の噴火災害に伴う火砕流が典型的である。

 雲仙普賢岳などの火砕流を見れば分かるとおり、一定の面積が全滅する。火砕流被害を免れるにはその場を離れるしか方法がない。

 世界で最も巨大な火砕流災害は、鹿児島沖の鬼界カルデラによるもので、約7300年前に発生し、本州まで達し九州地方と四国地方の縄文文化を消滅させたと考えられている。これが面の災害であり、破局噴火は数千年に一度しか起こらないとしても発生したら一地方を全滅させるほどの災害を招く。

 面的被害のもう一つの特徴は影響が長期間続き、居住不能になることさえあることだ。火砕流ではないが噴火の影響により三宅島にはまだ居住制限区域がある。火砕流におそわれた地域は数年ものあいだ近寄れないこともある。また分厚い堆積物に覆われてしまい再建も不可能となる場合もある。環境や植生をも大きく変えてしまう。それが面的災害の特徴でもある。

 原発や再処理工場の災害は、小規模ならば点の災害にとどまるが、最悪の場合は面の災害となる。チェルノブイリ原発事故を見ても分かるとおり、広大な面積が居住も生産活動も不能となるような災害は、日本のような狭い国にとっては特に致命的だ。

 原発の破局事故は滅多に起こらないとしても、一度起きてしまえば何世代にもわたり影響を受ける。その様は破局噴火と同様だが、破局噴火を阻止することは人間には出来ない。しかし、原子力破局事故はいくらでも避けることが出来るのである。

 人間が作り出したもので面的被害を引き起こすものは核兵器と原子力施設しかない。そのような破局災害を引き起こすものを使い続けなければならない理由はない。

 リスクを冒して原子力施設を動かして作れるのはたかだか電気だけなのだ。そして電気を作る方法は他にいくらでもあるのだ。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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