現状分析から見えてくること(二)

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
タグ:

3)「戦後体制脱却論」ともう一つの世界論

安倍首相の政治構想《主張》は当面するものとしては上のところで記したものだが、もう一つ見て置かなければならないところがある。それは戦後体制の脱却論である。戦後体制脱却論は左右の立場から現状批判として出てくるものであるが、現在は左の側のビジョンや構想が力を失っていて、むしろ右の側がその分だけ目立つようになっている。右翼や保守派の中にある戦後体制脱却論は少数派として存在してきたものだが、その内部でのリベラル派が退潮することで目立つようになってきた。それが安倍政権の脱却論が目立つ理由だが、ここでは左派の言動の現状も含めこれを検討して見たい。

安倍の戦後体制脱却論は基本的には戦後世界体制(米ソ支配→米の一極支配)からの脱却論であろうが、その世界体制からの脱却の根本的な理念を持ち合わせていない。国内的に戦後体制脱却→戦前体制復古(回帰)という方向を打ち出している。ただ、この二つとも矛盾に満ちたものであることをまず確認して置こう。戦後世界体制の脱却というときは世界間関係という側面と国家内関係という側面があるのだが、この両面から見て行かなければならない。この両面は相互に関係しているが矛盾的である。そこで世界間関係という点から見れば、戦後世界体制は第二次世界大戦の戦勝国を主導に出来上がった体制であり、ここでも二つの面を持っていた。一つは戦後の戦勝国である米ソの主導であり、もう一つは資本主義と社会主義の体制間対立という構造であった。いわゆる冷戦構造である。これはアメリカの勝利で冷戦構造はアメリカの一極支配になったわけである。そこでアメリカの世界支配との関係をどうなるかという点と、かつての『資本主義と社会主義』と言われたことがどこに行くのかの点が課題となる。戦後世界脱却というのはそれ故に、アメリカの一極支配からの脱却と言う点と、資本主義からの脱却というようになる。安倍内閣のこの面から戦後体制脱却論はアメリカ一極支配への従属だから、それにふさわしくはない。アメリカからの自立と東アジア共同体を含めた世界間関係の構造的変化を構想するほかはないが、安倍の構想は日米同盟というアメリカ追随であり、対中国を冷戦構造の再生として展開するだけで、何らの脱却論ではない。それに『資本主義の脱却論」はないわけだから、グロバリゼーションと新自由主義を追随していくだけである。ここで「もう一つの世界」という冷戦構造時の『資本主義か社会主義か』という枠組みを超える脱却論もない。アメリカ追随の日米同盟論と対中国脅威論の新冷戦構造の枠組みは旧態依然のものであり、何らの脱却論ではないのだ。アメリカからの自立と東アジア共同体を戦略にした「もう一つの世界」構想にしか戦後体制脱却のイメージはないはずだ。戦後世界体制のアメリカ一極支配、だがアメリカの衰退による体制の揺らぎがある。アメリカは対アジア戦略を軸にこの揺らぎの中で戦後体制保持を戦略的に変化させながらやっているのであり、安倍の日米同盟論の枠組み強化には何の新しさもない。アメリカの一極支配と支配力の衰退が、地域的な民族間の対立を喚起させるが、それに応じて東アジアでの民族間対立の激化に応じて民族主義的な強硬策を打ち出しているだけである。東アジア地域での国家間対立の激化は、結局のところアメリカのアジア戦略の手の内である。アジア地域での国家間対立を超えて行く展望とアメリカからの自立は重なっているのであり、それが「もう一つの世界」の展開にもなる。多分、ここで重要なのはアメリカの基軸通貨保持戦略とアジア戦略との関係である。(註3)

(註3)ブッシュのイラク戦争戦略が出来つつあったEUのユーロというドルに対抗する基軸通貨の問題が根底にあったことはよく知られている。アメリカにとって基軸通貨ドルの保持は至上命令である。金の裏付を持たないドルの増刷はアメリカの経済を支える不可避な条件である。アメリカが実体経済での衰退にもかかわらず、金融経済と軍事経済で自国経済を支え、それで世界に君臨できるのは基軸通貨ドルの存在のためである。実体経済の裏付けを失ったドルはドルの増刷による暴落(ハイパー・インフレ)の危機を持っている。これを防ぐのはアメリカ経済だけではなくドル経済圏を形成することである。日本経済や円を準基軸通貨としつつ経済的な日米同盟を形成することがそれであった。

アメリカの新アジア戦略はそこに隠された軸があり、円のつなぎとめである。円と元が基軸通貨ドルから離れることの危機感がここにあり、東アジアにおける政治的危機の演出はここに根があるのだ。尖閣諸島をめぐる日本と中国の政治的対立は日本と中国の通貨的接近を阻みたいアメリカに都合のよいものだ。ここをあぶり出して見て置かなければいけない。アベノミクスという金融緩和でのアメリカ追随はドルの暴落《ドル安》を救済する提携策でもある。

戦後体制脱却論を世界的な面からみると以上なのであるが、これを国内的な面からみる。ここには国際関係との相互関係とある程度の独自性がある。右翼や保守派の国内的な戦後体制脱却論は多分に矛盾に満ちたものである。ここでの大きな点は戦後体制がアメリカ占領軍の占領政策を媒介に出来たものであるということが大きな要因としてある。アメリカ占領軍の占領政策の残滓を振り払うということと戦後体制脱却ということの関連である。右翼や保守派はこの点については矛盾的な展開をしてきたといえる。この根本的な矛盾はどこからきているのであろうか。それは端的に言って戦後のアメリカの占領政策とその後の継続と言う問題である。アメリカ占領軍は日本の戦前の体制の改革を戦後改革としてやった。これは戦争を推進した日本の権力および社会の改革であり、俗に「民主化」と言われたものだ。

だが、この民主化を天皇は受け入れ、天皇は占領政策を肯定した。ここに戦後体制の矛盾の源泉は存在した。アメリカは戦後の日本統治のために天皇(天皇の官僚)を利用し、これは日本の独立後も継続してきたのである。官僚を通して戦後の日本を支配してきたアメリカは、名目は対等な日米関係としながら、日本を従属させる権力関係を温存してきたのである。他方で右翼や保守政治家は天皇を基盤に日本の自立を志向する部分を保存してきた。「民主化」を天皇(天皇の官僚)は受け入れることで従属を継続することと、天皇をシンボルとしてアメリカからの自立をいう矛盾を戦後の右翼や保守派は持ってきたのである。天皇をシンボルとして戦前への回帰をいう右翼は天皇制下の戦前への回帰をいうが、天皇自身がそれを半ば否定しているという矛盾に戦後はあった。

戦前への回帰を構想する右翼や保守派には根本にある天皇、あるいは天皇の官僚のアメリカとの関係の矛盾が存在しているのである。例えば、保守派の東京裁判の否定、戦後憲法の否定がその内容である。東京裁判史観からの脱却とか、自主憲法制定とかはその主張であった。これを右翼や保守派は政治理念の根底に置いてきたが、それはイデオロギー的な主張であり、戦後体制を前提に権力を保持してきた保守政治に矛盾するものだった。保守本流と呼ばれたハト派(リベラル派)が存在してきた。彼らは理念的な戦前回帰論を建前としては否定しなかったけれども、本音は戦後改革を受け入れその体制の護持をしてきたのである。保守派の内部の新米派と反米派、ナシヨナリスト派とリベラル派というように分類されてはきたが、実際のところ複雑で錯綜していたものだった。天皇あるいはそれに連なる官僚はある意味ではここでいうハト派であり、他方ではナショナリストに理念として利用される存在でもあった。

戦後体制の問題はアメリカ占領軍によって戦後改革ができあがったということだが、それを敗戦=占領=ナショナリズムの喪失という面で見てナショナリズムの回復=戦前回帰という方向を打ち出すのが一部の右翼であり、保守派である。だが、戦前の日本の国家権力の強権的で抑圧的な構造がこれで否定された面を天皇含め保守派は評価し受け入れてもきたわけである。明治以降のナシナリズムの否定の面をむしろ肯定するところを持った保守派も存在したのだ。

石原慎太郎のような戦後憲法の破棄をいうのは極端な部分だが、それへの批判は強いのもその現れである。明治以降の天皇を中心に据えた国体観で日本の国家精神への回帰という主張にたいして、このナシヨナリズムは普遍性を持たないとして保守派からも否定されてもきた。例えば、福田恒存は天皇統治が普遍性を持たないと批判していた。ただ、保守のリベラル派《憲法9条の専守防衛論的擁護派》は少なくなり、復古派が強くなる傾向に現在はある。戦後体制脱却論は保守派の中のリベラル派の退潮によって強くなるが、保守派の内部矛盾も強くなる。

ここで左派の問題を見てみよう。左派は戦後体制を受け入れながら、基本的には戦後体制の内部でのソ連派(社会主義派)に依存した。米ソ対立《冷戦構造》の中でソ連側につき、戦後体制のアメリカ側の修正《戦後改革の修正》に抵抗し、民主化を進めるという方向をとってきた。戦後改革を社会主義革命につなげる展開を志向してきた。だが、ソ連批判の広がりとその後の冷戦構造の崩壊は社会主義離れを生みだした。戦後体制をより民主化へという部分はその内部で二重に分かれた。アメリカによる戦後改革が国民と国家権力との関係で不十分であり、そこに軸をおいて敗戦革命が不在であることを補うことも含めてやろうとした部分が一つである。他方では戦後改革で形成された民主化の擁護を強調して行く部分である。大きな枠組みでいえば戦後民主主義の直接民主主義への深化をめざす部分とその擁護に固執する部分が対立したのである。

ここでの問題は左派が戦後体制の矛盾について、その国内構造について明瞭な認識と変革の構想を持ってはこなかったにあったといえる。世界的な戦後体制を米ソ関係の枠組みで考えるのか、その全体で見るのかの対立があったが、それ以上に空想的な国家ビジョン(暴力革命論やプロレタリア独裁論)を振りまわすだけで、憲法や戦後の国民の意識や課題に触れられなかったのである。

大衆的な運動の展開で戦後体制脱却を意識させるものを生みだした(例えば全共闘運動)が、それを国内の戦後体制脱却に結び付ける理念も構想もたなかったといえる。アメリカの戦後占領政策が戦前の日本の国家権力の進めた政治に対する批判として持った歴史的意味を左派はきちんと踏まえながら、それを止揚(否定)して行く構想を考えられなかったといえる。例えば、アメリカの占領政策としての東京裁判を僕らも批判すべきだ。だが、それは、戦前への回帰的な批判ではなく、現在のアメリカの戦争批判を含めてやるべきだ。占領政策で生まれた憲法《戦後憲法》を大日本帝国憲法に戻すのではなく、その国民主権的な契機を現実化し、日本の国民の真の憲法にすることだ。大日本帝国憲法に比して日本国憲法《戦後憲法》を段階的に評価しながら、国民と憲法の関係において日本の憲法の持つ欠陥や限界を超えるべき努力をすべきだ。

これらは戦後民主主義を真の民主主義に止揚していくことにほかならない。国民主権の実体化した憲法にすることであり、憲法に精神と魂をもたらすことである。アメリカの占領政策の残滓としてあるアメリカと組んだ官僚の権力支配を変えることでもある。僕らもある意味で戦後体制脱却論の立場に立っている。これは戦前への回帰ではないし、そういう反動ではない。戦後民主主義の批判でもその肯定的要素を含みながら否定であり、直接的でより実質的な民主主義の実現を目指すのであり、戦前的な強権体制への回帰ではない。

ただ、こういうことは言える。戦後体制脱却論の場合に政治的には過渡的なこととより本質的なことを区別しながら構想すべきだということだ。

戦後体制脱却、それを否定の否定として考える場合に未来的視座だけでは見えてこないということがある。戦後民主主義の直接民主主義による止揚というとき、例えば自己決定的な側面の深化として具体化されるが、この構想には歴史的なものの再生ということが同時的に必要である。例えば沖縄のことを考えればこれは明瞭である。あるいは東北のことを考えてもいい。そこにある共同的契機を再性することで民主主義に身体を与えて行かなければならない。ナショナリズムではなく、ネイションの形成ということをこうした歴史的なところで基盤づけることが必要なのだ。

戦後体制脱却の構想というとき、過渡的な理念や方向が必要であり、それは上記の直接民主主義の実現や憲法の擁護などをさしている。アメリカからの自立(従属からの脱却)と言ってもアメリカの戦後的一元支配の衰退の中で相互の自立や、尖閣諸島をめぐる日本と中国の紛争のようなものにしても民族主義的、国家主義的な解決ではなく、武力によらない解決を求めることだ。アジアでの共同関係を求めるにしても戦前の大東亜共和圏の復帰ではなく、東アジア共同体は新たな関係の構築をめざす。また、憲法問題も帝国憲法の復活ではなく、国民主権の憲法の実現を志向する。戦後民主主義の直接民主主義的な深化である。これらは過渡的な理念や方向であり、もっと深い歴史的な視座が必要でありそれも求める。例えば、天皇制に基づくナショナリズムに対して、沖縄や東北の民衆の共同性をネイションとして取り出すことでそれを相対化し、超えて行くものを提示するのである。このためには未来だけでなく過去にも目は向けられるのである。回帰的な議論を反動としてだけでなく、そこが人々のこころが動くところを見て、それに応えるものを創出せねばならない。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1259:130422〕