田中正司先生(横浜市立大学名誉教授、ちきゅう座初代運営委員長)の訃報に接して

著者: 合澤 清 あいざわきよし : ちきゅう座運営委員長
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昨(1月31日)夕、内田弘先生よりのメールで田中正司先生が1月26日にお亡くなりになられたということを初めて知った。
田中先生は大変筆まめな方で、こちらが年賀状や暑中見舞いなどを出すと必ず丁重なご返事が返ってきた。それもしばしば便箋数枚に書かれたもので、私の様な筆不精な者は大いに恐縮するばかりでした。今年の賀状のご返事を頂けなかったので、もしかしてお身体の具合でも悪いのではないだろうかと気になっていた矢先の報であった。
田中先生と始めてお目にかかったのは、確か1998年だったと思う。当時関わっていた「フォーラム90S」という運動体の催しで、名古屋大学の水田洋先生などと一緒に壇上に立たれてご専門のアダム・スミスについてご報告されていたように記憶している。
その日の飲み会で先生と親しく口をきくことが出来、気安い方だと思った。その数カ月後に私が主宰している「現代史研究会」での「共産党宣言150年記念」講演会に、再度水田先生とご一緒に来て頂いた。確かその時だったかに、「現代史研」の顧問になって頂き、それ以来ずいぶんお世話になってきた。
先生の印象は「非常に剛直な方」であったと思っています。また実に律儀で、責任感の強い方だったとも思います。
研究会の顧問になって頂いてからもそうでしたし、特にこの「ちきゅう座」立ち上げのための準備会や、最初の運営委員長への就任、爾来4年間にわたる運営委員長としての活躍、様々な問題事項が噴出する中で、頑としてその節を曲げない剛毅さは、非常に頼りがいのあるイメージをわれわれの中にとどめていると思います。
先生がちきゅう座にかかわるようになられたのは、既に80歳を過ぎてからのことでしたが、そこからパソコンをお買いになり、ちきゅう座の画面はもとより、メールも読めるように勉強されたということを聴きました(残念ながら返信は出来ませんでしたが)。
ご専門のジョン・ロックやアダム・スミス研究に関しては素人の私ごときが何ら口をはさめる余地はありませんが、お亡くなりになる直前まで、スミス研究をもう少し深めたいと願っていたようですし(昨夏の手紙)、ジョン・ロックに関しても、「なれ合いの議論ではない、本格的な論争」をやりたいと言われていました。「自分がそれでつぶされても本望だ」という気迫のこもったものでした。
ここではほんの少しだけ、先生の印象を書いて筆を置かせていただきますが、出来れば仲間たちと改めて先生を偲びたいと考えています。
先生のご冥福を心からお祈り致します。
2020年2月1日