男の向こう傷―はみ出し駐在記(12)

クリーブランドにある従業員数十人の会社はいくつかのいい意味でいい客だった。先輩駐在員の話では、買収で事業を拡大してプロフットボールチームまで所有するまでになったコングロマリットの一部門で、オーナが息子に経営の実務を経験させるために買収した小さな町工場だった。

 

これといった特徴のない町工場、何をしたところで何がどうなるわけでもない。そのせいだろうが切羽詰ったようなところがない。仕事仕事の日本企業のサービスマンにはゆったりした会社だった。経営がゆったりしていれば従業員もゆったりしている。機械の修理に必要なものがあれば、助けが必要なら工場の責任者が即動いてくれた。新米サービスマンに経験をつませるにはもってこいの客だった。

 

親切なことに加えて事務の女性数名がまるでプレイボーイのピンナップガールと見間違えるほど綺麗だった。これも先輩駐在員の説明だが、ボンボン社長は工場の機械加工現場には興味がない。自分の事務所と自分が直接関係するところを綺麗に飾ることに関心がいって、事務の女性は綺麗どころを集めた。女性が綺麗だということは出張に来た技術屋経由で日本本社でも知られた話になっていた。

 

先輩駐在員の言う通り生産設備に投資をしているようには見えなかった。使われていた機械の多くが第二次大戦前後のもので、なかには戦時中の特別免税のプレートがついたままのものまであった。大事に使っているというより設備更新の出費を抑えてのことで、新しい機械はコストパーフォーマンスのいい日本の二社に限定していた。為替レートが一ドル三百六十円だったこともあり、七十年代の初頭日本の工作機械はお買い得だった。

 

最初の訪問はマシニングセンターの工具選択がずれてしまったという障害だった。今回は別のマシニングセンターのインデックステーブルの回転角度がずれてしまったという。なんでこんなところに障害がでるのか、機械をかなりの高速でぶつけてギアの歯が欠けてしまったとしか考えられない。交換するギア持って出かけた。

 

インデックステーブル、角度はずれてはいるがきちんと九十度ずつ回転している。ギアの歯が欠けたのではなく、歯の噛み合わせがずれただけでしかない。一度ばらして(分解して)、歯の噛み合わせを元に戻して組み直せば終わりだ。なんのことはない、ちょろい仕事だ。(知識も経験も足りない。そのとき噛み合わせがずれた原因をとは考えなかった。)

 

組立図を見れば、インデックステーブルを回転させるギアは一番下にある。どう考えても上からばらすより下からギアを抜いたほうが楽に見える。さっさとばらしてしまおうと、フォークトラックを持ってきてマシニングセンターのテーブルからインデックステーブルを吊り上げた。重さ百キロ、二百キロではない、かなりの重さがある。

 

フォークトラックの方向を変えて、吊り上げたインデックステーブルを機械の上から床の上の方に移動して、インデックステーブルの下に入って両腕を上げた状態で作業を始めた。ちょっと作業をしていたら両腕が疲れてしまった。しゃがんだ状態で目の高さあたりまでインデックステーブルを下ろして分解作業を続けた。

 

途中何度も組立図を見て、目の前のインデックステーブルが、持ってきた組立図に描かれているものと同じものであること、部品を外す手順が間違っていないことを確認しながら作業を進めた。あと、このリテーナ(ギアの抑えている部品)を外せばギアを外せる。

 

大きなマイナスドライバでリテーナを押し出した。リテーナが外れるのは予定通りだったが、それだけではなくインデックステーブルの上面のテーブルを残して本体が落ちた。しゃがんで作業していたので鼻の先をかすって両膝の上に落ちた。幸い後ろに飛ばされて下敷きにはならなかった。

 

インデックステーブルを上下ひっくり返して分解すればよかったのだが、その程度の基礎知識すらなかった。飛ばされて床に転がったまま立ち上がれない。工場中大騒ぎになった。周りにいた気のいい親父さん連中が、水に浸したぼろ布を額に当てて、骨折と思ったのだろう作業服のポケットというポケットにタバコを入れてくれた。

 

担架で救急車に担ぎ出された。ちょうど昼飯頃の時間だったのだろう、仰向けに寝かされて薄暗い工場から表に運び出されたとき、真上にあった太陽が眩しかった。運びこまれた病院で命にかかわる怪我でもないと判断されて廊下においておかれた。

 

地域の救急病院なのだろう、交通事故でだろうが血だらけなのがバタバタと運び込まれてくる。何時になったらオレの番なんだと思いながら、血だらけがかなりの早さで横を通り過ぎてゆくのを担架ベッドで横目に見ていた。数時間経って診察室に運び込まれた。医者がちょっとみて、立ってみろという。立てたし、びっこひきながらも歩けた。ただの打撲とちょっとした切り傷。歩くのがちょっと大変なだけで、怪我でもないしなにもない。

 

私物を整理しにタクシーで客に戻った。びっこひきながら帰って来たのを見て、親父さん連中がびっくりした顔から大事に至らないでよかったという安堵の顔になった。助けてくれたお礼をいいながら、ポケットに入っていたタバコを返して、もたもた歩きながらニューヨークに戻った。

 

やっとラガーディア空港まで戻ってきた。あとはシャトルバスでパーキングに行って、もうすぐ家だ。びっこひきながらやっと歩いている感じの東洋系に、なんの格好をつけるでもなく自然体で助けてくれるアメリカ人の素の親切に驚いた。パーキングのシャトルバスの停留場で降りようとしたら、運転手が「おまえの車はどこだ?」あそこだと指差したら、「そこまで行くからそこで座ってろ。」他の客もいるし、停留場でなければ停止できない規則もあるだろう。気になって後ろの客の顔をさっと見たが、何も気にしている様子がないどころか、何を気にしているという顔をされた。良くも悪くも何でもありのニューヨーク、田舎町ではない。

 

上げっぱなしの腕が疲れたのでしゃがんでの仕事にした。運よく飛ばされたので何もなく生活しているが、頭の上に落ちたら即死だったろうし、飛ばされなかったら車椅子の生活になっていた。

 

現場経験の全くないものをぽんと駐在にだして、遠目には見たことがあるという程度でしかない機械の修理、何が起きてもおかしくない状況に放り込まれて、何でもありのなかで事故だった。いつもトラブルの渦中に、それもしばしば自分で作ったトラブルで四苦八苦しながら何があってもあきらめやしない、何とでもしてやとうという気持ちだけだった。

 

多くの客先で朝から晩まで、しばし翌朝までなんとかしようとしたが終わらない。それを見て、Never give-up servicemanというニックネームをもらったが、何のことはない知識と経験に能力がないから時間ばかり経って要を得ないのがそう見えただけだ。

 

知らないことに手を出してれば事故ることもある。あって当たり前、ない方がおかしい。でも知らないことに手をださなければ、一生知らないままで終わる。知らないままで終わるはないだろう。たとえ事故ったところで、怪我したところで、だからどうした、なんとでもなるわって。

 

ええーぃ、おとこの向こう傷と言いたいが、なんとも格好の悪い、ない方がいい向こう傷ばかりで。。。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/

〔opinion5290:150412〕