痛んだ紙幣と歪んだ硬貨―はみ出し駐在記(31)

日本ほどではないが、自動販売機(以下、自販機)の先進国、ちょっとしたところには置いてある。私生活ではたまにタバコぐらいだったが、客の工場ではしばしば自販機が食べ物の全てだった。作業の目処が立たないため、昼食や夕食に外に出てゆく余裕がない。口に入れられるのは自販機のジャンクフードや飲料だけになる。好き嫌いや美味い不味いではなく、それしかない。コーラなどの飲料はまだしもジャンクフードは、どれもこれも、これでも食い物かという代物だった。特に缶詰のスパゲティやチキン&ヌードルスープは、食べる度に、なんでこんなもん食べなきゃならないんだと言いたくなった。他に選択肢がない。飢えを凌ぐためだけで、こんなものをフツーに思うようになったら終わりだと思いながら食べた。

 

フツーなのはコーラだけだった。炭酸とシロップの割合がずれていても、コーラの味に大きな違いはない。朝から晩(しばし翌朝)までコーラばかり飲んで、何度か下痢をした。コーラで下痢はないと思うのだが、他に思い当たるものがなかった。

 

自販機で使えるのは一ドル、五ドル紙幣に、五セント、十セント、二十五セントの硬貨だった。ジャンクフードは量が少ないこともあって、何度もあれやこれや選らんで食べるが、選んだところでどれも不味い。朝食を食べたきりで、翌朝の二時三時まで作業をしていることも多く、土日で回復した体重がみるみる落ちていった。体重計に乗らなくても、ベルトの穴が一つ、また一つと右側にずれてゆくので分かる。

 

自販機は怪しきは“はねる”ように設計か調整されていた。銀行から引き出した紙幣はきれいなのだが、つり銭でもらった紙幣は、しばしここまで使い潰すかと思えるほどしわくちゃで痛んでいた。硬貨はちょっと見た目には分からないが、平らな面に乗せてみれば反っているのが分かる。このくしゃくしゃの紙幣と反った硬貨には泣かされた。

 

紙幣を平らに延ばして自販機に入れるのだが、吐き出される。再度しっかり延ばしては挿入を試みる。何回かやっているうちに運がよければ通って、めでたくコーラを手にできる。これがちょっとしたジャンクフードだと二ドル五十セントだったり、タバコだと四ドル以上した。二十五セント硬貨四枚より効率がいいので、できるだけ一ドル紙幣を使おうとした。紙幣がなければ硬貨に切り替える。四ドルを二十五セント硬貨で入れようとすると、4 x 4 = 16、十六個の二十五セント硬貨を通過させなければならない。

 

十六個の反っていない二十五セント硬貨、あるようでない。硬貨をジャラジャラさせながら、そっと入れたり、ピュッと押し込むようにしたり、いろいろ工夫をしながら入れて行くのだが、反ったやつが引っかかる。硬貨を全部吐き戻して、多分これがダメなやつだろうとめぼしをつけて、ズボンの後ろのポケットに入れてしまう。また硬貨を入れ始める。この入れては詰まって、吐き出して、また入れてを何度も繰り返して、やっとお目当てのタバコなり食べ物を手に入れる。

 

朝でも夜でも、ガススタンドでタバコを買って、お釣りを出来だけ多くの硬貨でもらうよう工夫をしていた。くしゃくしゃになった一ドル紙幣より、歪んでいるかもしれない二十五セント硬貨の方が使える可能性が高い。くしゃくしゃの一ドル紙幣が使えないと一ドルまるまる使えないが、二十五セント硬貨なら四個全てが歪んでいることはない。悪くても三個か二個は使える。硬貨をジャラジャラしながら、あっちの自販機に行ったり、こっちの自販機に行ったりで一日中ジャンクフードで終わる。使える紙幣か硬貨がなくなれば、食べ物も飲み物も手に入らなくなる。

 

なぜこんなにも紙幣が痛んで、硬貨が歪んでいるのか。いくつかの理由が思い浮かぶ。まず、工員など現場作業をする人たちに財布を持つ習慣のない人たちがいる。これは結構多くて、ジーンズのポケットに押し込んだ紙幣を引っ張りだす。これで紙幣がしわくちゃにならない方がおかしい。硬貨の反りは洗濯機のせいとしか考えられない。アメリカの洗濯機でも洗濯物に応じて洗い方の強弱を選択できるが、日本の洗濯機に比べると総じて力が強い。日本製の柔いシャツなどは襟の角の傷みが早い。強力な洗濯機でジーンズのポケットから出てきた硬貨がかき回されて、ドラムにひっかかって歪む。

 

くしゃくしゃの紙幣があまりに多いので、紙幣の紙の質の問題かと思ってアメリカ人にそう言ったら、それは流通期間が長いからで、紙の質ではないと言い返された。言われてみればその通りで、日本では痛んだ紙幣や硬貨を早めに引き上げているだけで、どっちも素材としての質に大きな違いがあるとは思えない。

 

これも対費用効果を考えてのことなのだろう。痛んだ紙幣や歪んだ硬貨で人が困って苦情が出てくる。少々の苦情ぐらいは計算済みで聞き流す。もうこれ以上聞き流せない、流せば自分たちの立場に影響がでる状態になって、そして予算があって始めて対策が講じられる。低下し続けるドルの価値を体現するかのようなしわくちゃの紙幣に歪んだ硬貨、ガルブレイスが描いた豊なはずのアメリカ社会の疲弊を象徴していた。

 

p.s.

1) ATMを普及させるために紙幣の流通期間を短くしたのだろう。昔のようには、くしゃくしゃになって痛んだ紙幣を目にしなくなった。

2) 日本とアメリカで紙幣の枚数の数え方に違いがある。アメリカでは紙幣の枚数を数えるときに、右利きであれば数える紙幣を左手にもって、一枚一枚右手に持ってゆく。これを見てアメリカ人が不器用なのだと思った人がいた。一枚一枚右手に持ってゆく理由は、アメリカの紙幣はどの額面でも色も大きさも同じで、注意しないと見分けられないことにある。酔っ払ってチップに一ドルと思って、十ドル、二十ドル紙幣を出してしまうことがある。後になって財布の中の勘定が合わない。一ドル、二ドルは誤差だが、十ドル、二十ドルの違いは分かる。どこで使ったのか覚えてない。確かなのは酔っ払っていたということだけ。

3) ユーロは視覚の不自由な人にも見分け易いようにデザインされている。ちょっと大げさだが、紙幣に社会が反映されている。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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