白居易(白楽天)露烏戦争を諫める――プーチン露国の動員態勢の乱れに寄せて――

 『朝日新聞』(9月30日)「天声人語」に「反戦歌を口ずさむことが増えた。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースに日々接するうちに。」とある。その反戦歌は、米国のフォーク歌手ピート・シーガーの曲「腰まで泥まみれ」だ。<僕らは首まで泥まみれ、だが、隊長は言った「進め!」>「天声人語」話者は、このベトナム戦争時の「隊長はプーチン大統領そのものである。」と記す。
 
 私=岩田は、8世紀後半から9世紀始め、中唐の詩人白居易、字は白楽天の「新豊折臂翁 新豊の臂(うで)を折りし翁(おきな)」にうたわれた情景を想ふ。反戦歌であり、戦争政策批判詩である。
 日本文芸史には明治の与謝野晶子「君死に給ふことなかれ」に至るまで、残念ながら反戦歌・反戦詩はなかったのではなかろうか。そこで、私が東洋文明の代表的反戦詩だと考える白居易の「新豊折臂翁」を以下に断片的ではあるが紹介しておきたい。

 30年前、旧ユーゴスラヴィア内戦が激しかった頃、私=岩田は次の如く書いた。
 ――旧ユーゴスラヴィアの悲劇の原因は、本文で説いた如く、単純ではなく、複合的であり、その究明は、情動を排した理性的アプローチを必要とする。しかしながら、責任について言えば、二共和国のトップリーダーであるスロボダン・ミロシェヴィチ※とフラニュ・トゥジマン※※は、そこから逃れようもない。まさしく、1200年昔、白楽天が反戦詩「新豊折臂翁」で非難した「恩幸を求めんと欲して辺功を立つ、辺功未だ立たざるに人の怨みを生ず」天宝の宰相楊国中にあたるであろう。――
 ――皇帝主権時代の宰相は、主権者皇帝の弱い部分(皇威発揚欲求)に喰い入って、「恩幸」を求め、人民主権時代の大統領は、主権者民衆の弱い部分(民族主義情念)に入り込んで、「恩幸」を求める、と言えようか。――(岩田昌征著『ユーゴスラヴィア 衝突する歴史と抗争する文明』(NTT出版、1994年・平成6年、p.117)

 露烏戦争に関しても、旧ユーゴスラヴィア内戦について記したと全く同じ事を言いたい。露西亜国プーチン大統領も烏克蘭国ゼレンスキー大統領も悪名高き楊国中にあたる、と。
プーチンは当然としても、なぜゼレンスキーも?!と疑問がだされるだろう。
 ゼレンスキーは、2019年烏国大統領選挙に出馬した当初は、開元の宰相宋開府の「辺功を賞せず武を黷(けが)すを防(ふせ)ぐ」流に公約し、かくしてウクライナ語話者とロシア語話者の双方から大量票を得て大統領の地位を獲得した。公約実現に生命をかけると思いきや、あっと言う間もなく、その公約を棄て去った。
 私=岩田は、ゼレンスキー大統領のかかる残念な変身の背景に現代資本主義市民世界に充満する思想大変調がはたらいていると考える。すなわち、自由民主主義の原理主義的驕慢化が権威指導主義の歴史主義的愚昧化を牽引する、そんな思想乱調である。北米西欧・日本の市民社会は驕慢化に甘く、愚昧化を糾弾する。

 露国の部分的動員令による混乱は、新聞テレビで報道される。烏国の全面的総動員令の現状は無事平穏であるかの如く、全く報道されない。これは、自由民主主義の原理主義的驕慢化のささやかな実例であろう。
 1200年、あるいは1300年昔、唐王朝首都長安の東の新豊県、徴兵名簿に名が載った24歳の青年が大石で臂を打ち砕き、徴兵を逃れ、80余歳になった老翁の人生を肯定し、その口を借りて、国家の戦争政策を弾劾する唐朝高官詩人の精神元気は、今現在、自由民主主義の驕慢化と権威指導主義の愚昧化とを共に討つ。

 最後に白居易の詩の一部を引用しておく。

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   夜深(よふ)けて敢えて人をして知らしめず
   偸かに大石を将(も)て鎚(たた)いて臂(うで)を折る
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   臂折りてより来来(このかた) 六十年
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   今に至るまで風雨陰寒の夜
   直ちに天明に到るまで痛みて眠れず
   痛みて眠れざるも
   終に悔いず
   且つ喜ぶ 老身 今独り在るを
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   老人の言
   君(きみ) 聴取せよ
   君(きみ)聞かずや 開元の宰相の宋開府
   辺功(へんこう)を賞(しょう)せず 武(ぶ)を黷(けが)すを防ぐ
   又(ま)た聞かずや 天宝の宰相の楊国中
   恩幸を求めんと欲(ほつ)して辺功を立つ
   辺功未だ立たざるに人の怨みを生ず
   請う問え 新豊の折臂翁に

    出典:『中国詩人選集12 白居易 上』(髙木正一 注)岩波書店 による

 ※  セルビア大統領     プーチンに当たる
 ※※ クロアチア大統領    ゼレンスキーに当たる

               令和4年神無月1日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12426:221003〕