少し報告が遅くなりましたが、→先に予告しましたように11月14日、ベルリンで班忠義監督を迎えた映画『ガイサンシーとその姉妹たち』の上映会が行われました。
緊急に準備し、予告は一週間前になりましたが30名を越える参加があり、上映後の監督との質疑応答も盛り上がり、大変に印象深い上映会となりました。
以下簡単な報告です。
まず、班監督より、背景となる中国山西省の時代的背景の解説が行われました。また日本軍の慰安所制度は監督の見方でがは5段階あり、一般によく知られている韓国・朝鮮人女性が強いられた「慰安所」と、日中戦争最前線での 小部隊による犯罪は、もはや「慰安所」などとはいえない性暴力の文字どおりの強姦所であったことなどが述べられました。
上映の後に、監督との活発な質疑応答が行われましたが、主に監督の映画を作る長年の苦労と体験に関する質問が多くありました。10年もかけての努力があります。日本ではいまだにほとんど知られていない過酷な史実の体験者の、それも被害者と加害者の証言には非常な力があります。
ところが監督の苦労話は、ユーモアに溢れており会場を沸かせました。「内容に政権の宣伝がまったくないので、中国では上映がいまだにできない」あるいは「日本でも上映には気を使かうことが多い」といった深刻な問題も、ベルリンの関心の高い雰囲気のせいでしょうか、皮肉たっぷりに話され、ここでは苦労がふっ切れて解放されたような話しぶりでした。 「この映画の周りにも大きな『壁』があるのです」という監督は、その『壁』のなくなったベルリンのリベラルで史実を真剣に直視する空気を吸ってすっかり元気が出たようです。巧みな表現でした。歴史認識の壁は強固なものです。
古い歌曲にもある「ベルリンの空気・→Berliner Luft(ここは20年前のベルリンフィルの小沢征爾指揮)」とは今も健在であるだけでなく、むしろ強くなっています。かつて19世紀末にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世を笑いとばした→オペラの主題歌は、ナチスさえも弾圧できずいまだにベルリン市民の「非公式の讃歌・市歌」です。班監督はこの雰囲気を敏感に感じ取ったようです。このようにしてかつての日本の侵略地で生まれた、班忠義と小沢征爾は加害と被害の壁を越えて、今ベルリンの空気の中で出会ったようです。予告にも書きましたように、班監督は、現遼寧省撫順の生まれの労働者の子弟であり、小沢征爾はすぐ近くの瀋陽(旧奉天)生まれの満州侵略者の子弟です。ふたりの芸術家はこのようにして彼らの作品で歴史の壁を越えて出会ったようです。
今回は、日本語バージョンの上映会となりましたが、それでも20代、30代の若い世代の中国人やドイツ人も熱心に参加し、その多くが感想のアンケートにも答えたとのことです。もしドイツ語版が準備できれば、間違いなく大きな映画館で上映できる作品であることは間違いありません。 また監督が現在取り組んでいる次の映画に期待する声も多くあり、それへのカンパを呼びかけたところ、予想を越える金額が寄せられたとのことです。
この作品のインパクトの大きさがベルリンの自由の空気に触れて現れたといえましょう。
班忠義監督に筆者からも感謝致します。次の作品が完成すればまたベルリンを訪問されるでしょう。その日が近いうちに来ることをお待ちしています。
この映画に関しては、その背景と体験を詳しく述べた同名の→監督の著作があります。今回この作品をご覧になった方も含めて、また関心のある方も是非、梨の木社に注文して読んでください。日本軍の性暴力の貴重な記録です。産經新聞と読売新聞の若い記者たちには特に読んでいただきたい本です。
初出:梶村太一郎さんの「明日うらしま」2014.11.26より許可を得て転載
http://tkajimura.blogspot.jp/2014/11/blog-post_26.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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