目前の東京オリパラ、開催すべきか、それとも中止すべきか。

(2021年5月25日)
 都議選が間近になってきた。ちょうど1か月後の6月25日告示で、7月4日が投開票だ。コロナ禍のさなかの東京オリパラは7月23日に始まるが、この開催を実行するのか、それとも中止するのか。都民の最大の関心事に、各党はどういう方針を持っているのだろう。

 共産党だけは明確だ。この1月以来、国会でも、都議会でも、機関紙でも、「今夏の東京五輪は中止し、コロナ収束に全力を」と言い続けてきた。論拠としては、(1) 世界のワクチン接種のスピードが集団免疫獲得にはとうてい間に合わない。(2) 我が国の医療体制の逼迫が許さない。(3) 各国のコロナ蔓延の事情の差が、「フェアな大会」開催を不可能としている、というもの。

 それに対して、他の政党は方針がはっきりしない。与党の都ファは、何の意思表示もしておらず、お粗末極まるとしか言いようがない。小池百合子の顔色を窺っているだけ。実は、都議会自民党も公明党都議団も同じ。目前のオリンピック、やるのかやらないのか方針がない。どれもこれも、政党としての体をなしていない。政策理念も立案能力もないと言わざるを得ない。ひたすらに世の風向きを眺めてなびこうという姿勢なのだ。

 都ファや自公が世の風向きを見ているだけというのなら、今夏の東京五輪開催はもう無理、中止は確定と言って良いのではないか。東京オリパラ2020は儚い夢と散ってしまったか。

 おや、そうだろうか。私は、東京オリパラは強行されると思う。どのような形でも開催に漕ぎつけると思ってるよ。なんと言っても、カネづる、カネ絡み。

 ウーン、私も結局は開催になると思うんだが、開催実行への意志的なものは感じない。むしろ、後戻りできないまま、ずるずるとショボい大会になるんじゃないのかな。

 しかし、5月17日発表の朝日新聞世論調査結果は、五輪「中止」43%、「再延期」40%と、合計83%が今夏のオリパラに反対じゃないか。毎日新聞5月23日世論調査では、「菅政権のコロナ対策を評価しない」が69%にも達している。これを受けて菅政権の支持率は31%、不支持率が59%だ25日東京新聞世論調査では、菅内閣支持率16.1%にもなっている。これで、オリパラ強行できるわけがない。

 五輪「中止」や「再延期」も、内閣支持率の低下も、そんなに固まったものだろうか。コロナ次第、ワクチン次第のような気がする。新規感染者数が減少し、ワクチン接種進展を見通すことができるようになれば、容易に逆転するのではないか。とりわけ、ワクチン接種を済ませた人が、コロッと意見を変えることになるだろう。

 今、菅政権の延命はワクチンの接種状況にかかっている。無理をしてでも、高齢者への接種を7月中には終えようとしている。しかし、それができたところで、65歳未満の人には未接種で、結局はオリンピックに間に合わない。そんな状態で、大きく都民の意見が変わるだろうか。

 世論を刺激しているのが、IOC幹部の発言だ。ジョン・コーツ副会長の「緊急事態宣言下でも東京五輪は実施する」はひどい。バッハ会長の「東京大会を実現するために犠牲を払わなければならない」というのも物議を醸している。これに、反発する国内世論が東京オリパラ開催返上となるのではないか。

 そこまでの期待は、甘いように思う。五輪「中止」も「再延期」も、その大半は「できればやるべきだが、残念ながら今夏は無理だろう」というものだ。根底には、平和の祭典としてのオリンピックの意義を認めている。安全にできるものなら開催が望ましいというのだから、コーツやバッハの発言への大きな反発は期待しにくい。

 メディアも開催慎重論から脱して、中止論を語り始めている。5月23日の信濃毎日の社説が明確に「中止」を打ち出した。本日の西日本新聞社説も、「開催の理念はどこへ」と問うかたちで、信毎に続いている。

 なるほどそのとおりだ。そもそも東京五輪・パラリンピックの開催の理念とは何か。それを問い直さねばならない。僕は、「コロナ禍の今、中止もやむを得ない」という論調に、違和感がある。コロナ以前の東京オリパラ招致のときから、反対だった。コロナの蔓延があろうとなかろうと、オリパラに肯定すべき理念などない。むしろ、オリンピックとは有害なもの、危険なものなのだ。

 私は、オリパラが危険で有害とまでは思わない。国際交流の必要性も、平和の祭典としての意義も認める。しかし、コロナ拡大のリスクを冒してまでの開催の必要性や意義があるかと言えば、否定せざるを得ない。それでも強行するという当事者の姿勢には、首を傾げざるを得ない。

 「その理由は三つある。まずカネ、次にカネ、そしてカネ」だ。オリンピックは商業主義に絡めとられ、利権と結び、際限のない金食いイベントとなり、歪んだ再開発の舞台にもなっている。その上、堕落した政権の浮揚策ともなり得る。こんな汚いイベントは、コロナのリスクがなくても、私は反対だ。

 僕は、オリンピックとは国威発揚の舞台であり、為政者が国民を統合する手段になっていると思う。また、ナショナリズム涵養の装置としても、有害で危険なものと思う。また、今回の「東京」五輪は震災復興を阻害した、日本とりわけ東北の被災3県に背を向けたものとなった。コロナ以前に、もとから危険で有害なものだった。

 その東京オリパラ、このままだと開催になだれ込むことになる。カネが絡んでいる以上、そういう力学が働くのだと思う。

 むしろ、中止には、大きなエネルギーが必要だが、そんなものは期待できないということではないか。おそらくは、もう引き返せないところまできているのかも知れない。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.5.25より許可を得て転載

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