石田隆至「西欧的近代化の限界とグローバルサウスの創新」:Chinadaily.com 英語論考の日本語版 Ishida Ryuji: The decline of the Western model and the rise of the Global South 石田隆至:西方式现代化已走到尽头,“全球南方”开拓全新道路

上海交通大学人文学院副研究員の石田隆至さんによる、Chinadaily.com に12月10日付で出た英語の論考は日本を含む「グローバルノース」「西側」の人々にとって必読ではないかと思い、日本語版を提供してもらいました。ここに転載します。

英語版はこちら:

The decline of the Western model and the rise of the Global South

中国語版はこちら:

西方式现代化已走到尽头,“全球南方”开拓全新道路石田隆至

石田さんのプロフィールはこちらです。

上海交通大学人文学院副研究員。明治学院大学国際平和研究所客座研究員のほか、NPO中帰連平和記念館理事。東アジアの脱植民地化と平和外交に関心を持つ。特に、対日戦犯裁判の比較の観点から、新中国の戦犯裁判の調査研究を続けてきた。共著に『新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践』(社会評論社、2022年)。

西欧的近代化の限界とグローバルサウスの創新

日本を含めた西側世界では、BRICSやグローバル・サウス(以下、GS)の連帯とその発展を、“既存の国際秩序やシステムに対する挑戦”と位置付ける傾向が根強い。これは、近代以降の世界の発展史を西側先進国の視線で捉えており、西欧出自の政治経済システムが機能不全に陥っていることは等閑視されている。世界史的文脈を踏まえるなら、現在のGSの取り組みは別の相貌を帯びてくる。つまり、近代化を主導した西側先進国を含めた世界全体が直面している困難な課題に、西側諸国以上に真摯に向き合っているのがGSであると捉える必要がある。

西欧発の近代化が、前近代社会には見られなかった経済的「豊かさ」をもたらしたのは確かである。第二次大戦後には西欧や日本で奇跡的といわれる高度経済成長を経験した。ただそれは、軍事的あるいは経済的に植民地化した「南」に犠牲を強いることで実現した「発展」だった。さらに、西側先進国自身も1970年代に入ると、近代化の推進が当初想定しなかった深刻な困難に直面した。

石油危機をきっかけとした世界同時不況は、戦後の高度経済成長が無限に続くものではないことを知らしめた。このことは、それまで経済成長を優先させ、消極的にしか対処してこなかった大気汚染や水質汚濁にも眼を向けさせるきっかけとなった。また、「北」を襲った不況は「南」への開発援助を萎縮させ、南北格差をより拡大させた。「南」の内部でも、資源保有国や新興工業国とそうでない諸国との間に「南南格差」が拡がった。不利な境遇に置かれてきた女性や民族的・宗教的マイノリティが対等な権利を求めるようになったのもこの頃である。ローマクラブが『成長の限界』(1972年)の中で、人口増による食糧不足,資源の枯渇,汚染の増大で遠からず人類は破滅的帰結を迎えると予測した直後のことだった。

 西側先進国の社会科学はこうした局面に無関心だったわけではない。とりわけ「近代化」あるいは「近代」という時代そのものを考察対象としてきた社会学者たちは、近代・近代化を批判・否定した先に脱近代(post modern)というまったく異なる時代が開けてきたとは考えなかった。むしろ、近代化の延長・徹底として新たな局面を位置付け、「高度近代high modernity」「後期近代late modern age」「再帰的近代 reflexive modernization」といった概念で理論化した。それは、近代化が一定の「成功」を果たしたが故に、近代化そのものを掘り崩すという逆説的な帰結を明らかにした。それでもなお、近代化以外の発展様式を見出せず、その内部にとどまって新たな局面に向き合おうとしているという自己分析を提示した。

ところが、西欧的近代化を主導した西側先進国、とりわけG7諸国は、「後期近代」が直面する地球レベルの危機を解決するよりも、経済や金融のグローバル化を推進して西側のための近代化を延命させる策を優先した。市場原理主義を世界の隅々まで浸透させた結果、先進国の多国籍企業は巨大な利益を上げる一方、各国内部、また世界レベルでの経済格差はさらに拡大した。また、いち早く産業革命を成し遂げた結果、酸性雨など地球環境破壊の深刻な影響を受けたEUこそ環境保護政策を重視したが、米日は経済成長を優先させて環境保護対策には消極的だった。

他方で、グローバル化の進展した1990年代後半以降は、中国をはじめとしたGSの経済成長が顕著に進んだ時期でもある。注目すべきは、GS諸国の発展様式である。

GSは、経済格差のグローバル化と地球環境の破壊という困難をもたらした責任はもっぱら西側先進国にあると突き放すのではなく、世界全体が共通して直面している喫緊の課題として向き合ってきた。途上国の「発展の権利」を振りかざして経済成長に偏重するのではなく、環境と格差の両方を同時に解決しつつ、経済成長を図る新たな発展様式を追求した。

つまり、西欧的近代化の過程で被支配、低開発の側に置かれてきた途上国の現在の取り組みは、既存の発展様式をそのままにして、主体-客体関係を逆転させることを目指すものではない。地球の隅々にまで西欧的近代化の影響が浸透した以上、構造のなかで優位にいた側も、劣位にあった側も逃れることができない地球規模の課題に正面から向き合い、新たな発展様式を模索しているのである。

中国もそうした取り組みに積極的な国の一つである。中国式現代化とは、西欧的近代化がもたらした世界的困難を自らの課題として克服しようとする創新的アプローチの総称といえる。

西欧起源の発展モデルが犠牲にしてきたGSの側から、世界のどの国にも必要となる新たな発展モデルを立ち上げようという挑戦が始まっている以上、先進国も一緒に取り組めば人類全体の発展に繋がる。

2024年11月のAPEC首脳会議で習近平国家主席が述べた言葉は、こうした文脈で捉える必要があるだろう。「中国は各国が引き続き中国発展“急行”に乗って中国経済と共に発展していくことを歓迎し、平和発展、互恵協力、共同繁栄の世界各国の現代化のために共に努力していく。」

ところが、西側先進国は、他者や弱者、あるいは環境を搾取しない経済成長を想起することができず、GSの取り組みを「挑戦」や「脅威」とみなしてきた。「後期近代」が西欧的近代の延長上にあるという概念の正しさを、彼らの認識そのものが証明している。

人類共通の惑星的課題に直面している以上、「南」「北」の分け隔てなく智慧や経験を共有し、協力し合って解決を図らなければ、新しい発展様式が確立する前に、人類や地球そのものが崩壊しかねない。中国が「平和的発展」を唱えるのはそのためだが、西側世界はやはり「覇権を求めない外交」や「他者を犠牲にしない発展」をイメージできないままである。

とはいえ、G7がどれだけGSを敵視し、挑発しても、現実としてはもはやGSの発展、成長を押しとどめることができない。ただ、私たちの現状認識や思考そのものが、西欧近代の「知」に枠付けされている。GSの志向する新たな発展モデルに、適切な概念と言葉を与えていき、それが何を目指しているのかを分かりやすく提示するための理論的創新が必要である。搾取や覇権を前提としない国際関係あるいは発展モデルを基礎付ける新たな“知”の体系、いうなれば「新たな地球平和のための学」を創造していくことが喫緊の課題である。

(転載以上)

石田さんの張 宏波さんとの共著書はこちらです。

「70年近く前に行われた新中国による日本人戦犯裁判は、その後の日中関係、とりわけ戦後日本社会の歴史認識あるいは自己認識を映し出す「鏡」であり続けている­­——。」

詳しくは社会評論社の紹介をご覧ください。

 
 
初出:「ピース・フィロソフィー」2024.12. 22より許可を得て転載

http://peacephilosophy.blogspot.com/2024/12/chinadailycom-ishida-ryuji-decline-of.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14019 241225〕