野田佳彦内閣成立とともに、普天間問題を軸とする沖縄の問題が、再び政治的争点として浮上してきたかの観がある。政権成立から1月も経たないころから、政権幹部や民主党幹部の沖縄訪問が相次いでいる。9月27~28日に斉藤勁官房副長官、10月11~12日に川端達夫総務相(沖縄担当相)、10月12~13日北澤俊美前防衛相、10月13日長島昭久首相補佐官、10月16~17日一川保夫防衛相、19~20日玄葉光一郎外相、といった具合である。11月になると前原誠司民主党政調会長の訪沖が予定されており、12月には、野田佳彦首相の訪問も検討されているという。
鳩山由紀夫内閣当時は、政権成立当初こそ、構造的沖縄差別の上に成り立つ対米従属的日米関係を多少なりとも対等なものに是正したいという鳩山の「国外、最低でも県外」という「思い」を実現することが政権の方針であるかのように見えたが、一月も経たないうちに訪日したゲーツ米国防長官に「現行案こそ最善」と一喝され、それ以後は、関係閣僚のバラバラで勝手な言動が相次いだ。その舞台裏の防衛、外務官僚や関係閣僚の言動は、ウィキリークスが明らかにした駐日米大使館公電に生々しく、具体的に描き出されている。さらに戦後60年余の対米従属的日米関係の中で思考停止状態にあったマスメディアからも「日米同盟を傷つける」と非難・攻撃を浴びせられた鳩山政権はあえなく挫折し、自公政権当時の日米合意に舞い戻って鳩山首相は、権力の座を去った。
鳩山政権の後を引き継いだ菅政権は、鳩山政権がアメリカに歯向かった罪滅ぼしでもするかのように対米従属的度合いを深めながらも、沖縄の問題に手を付けることはできなかった。突如としてTPP参加が政治的課題として登場してきたりしたのも、対米従属的態度を表明する代償行動としての側面を持っていたといえるだろう。
そんな中で、沖縄との接点を維持し、「普天間の辺野古移設」という日米合意を維持・前進させようとしたのが、北澤俊美現党副代表と前原誠司現政調会長である。鳩山政権から菅政権へと防衛相の地位を維持し、やがて落ち目になった菅首相を支えて存在感を示した北澤防衛相は、米軍再編交付金を使って名護市に圧力をかけたり、海兵隊の沖縄駐留の必要性を説くパンフレット「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」を作成して仲井真知事に手渡したりしている。なぜ「国外、最低でも県外」から辺野古に舞い戻ったのか説明を受けていない、と繰り返す知事への回答のつもりらしいが、「その内容たるや、米軍駐留の理由として「(沖縄は)朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に迅速に到達可能」と説明する一方で「部隊防護上、近すぎないことが重要」と…こじつけ的論法に終始」(10月25日、琉球新報社説)している。
野田内閣で防衛相の地位を離れた後も北澤党副代表は、離任挨拶と称して沖縄を訪れ、「どんな困難があっても(辺野古移設を)やり抜く」と、島袋吉和前名護市長ら地元の移設容認派を励ましている。かつて移設容認派であった知事が、知事再選を前に県民世論と歩調を合わせて県外移設派に転じてしまった現在、政府・民主党が最も頼りにできるのは、地元容認派である。
民主党内で地元容認派と最も太いパイプを持っているのは前原現政調会長で、彼はすでに鳩山内閣の国交相(沖縄担当相)当時から交流があり、菅内閣の外相を辞任した後も、自民党の中谷元、公明党の佐藤茂樹と共に「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の代表幹事として7月に沖縄を訪れ、どこが政権を担おうとも、超党派で辺野古移設を推進していくと強調している。彼らに尻を叩かれて、地元容認派は、「普天間移設と北部振興策は明らかにリンクしている」として「北部振興推進・名護大会」を開いたりしている(10月26日)が、完全に県民世論の大勢から浮き上がっている。
相次ぐ政府、民主党幹部の沖縄訪問のトップが斉藤勁官房副長官だったことは、野田政権が沖縄に対する姿勢を立て直し、沖縄のより幅広い立場の人々との接触を図ろうと試みていることを示している。斉藤官房副長官は、昨年11月の沖縄県知事選に際して、民主党執行部の規制に反して、現職の仲井真候補の対抗馬である伊波洋一候補支持を明確にした一人で、稲嶺名護市長とも旧知の間柄である。斉藤官房副長官は、知事や県議会議長だけでなく、稲嶺名護市長をも訪問し会談している。彼に引き続き、川端沖縄相、市川防衛相、玄葉外相なども名護市長を訪問している。ちょうど一年前、市長や名護市議会議長が上京した時、当時の枝野民主党幹事長や仙石官房長官が、「政治的パフォーマンスにつきあう必要はない」と関係閣僚や政府高官との会見を阻止していたことを思えば、掌を返したような豹変ぶりである。もっとも、こうした低姿勢振りの裏で、政府は、沖縄防衛局を使って、軍用地の返還問題を利用して名護市に圧力をかけ、地域の分断を図ったりもしている。
いずれにせよ、政府のあわただしい動きの背後にアメリカ側の圧力があることは間違いない。そしてその根底には、アメリカの財政破綻による軍事費の削減、直接的にはグアム移転経費(正確には、グアムを米軍事拠点として再構築するための経費)をめぐるオバマ政権(これも正確に言えば、これまで米軍再編計画を立案遂行してきたスタッフ)と議会の駆け引きがある。議会では、基地所在地域の意向(主として沖縄だが、グアムの一部にも強い反対がある)を無視して進められてきた米軍再編計画が、財政的にも困難になってきたとして、その見直しを求め、上院は、12会計年度分のグアム移転予算約1億5600万ドルを却下した(下院は認めているので、ここにもねじれがある)。米軍再編の見直しを要求する議会には、アメリカ側の財政破たんだけではなく、東日本大震災の復興に多額の資金を必要とする日本にも、これ以上の負担は要求できないという認識がある。
しかし、アメリカ政府は、米軍再編をパッケージとして捉える日米合意を根拠に、普天間問題の進展を示すことによって議会説得の材料にしようとし、日本政府もそれに同調している。しかもそれが政治的思惑によって誇張されて報道されたりもしている。ある種の情報操作である。
たとえば、9月21日の日米首脳会談で、普天間問題についてオバマ大統領が「結果を求める時期に近づいている」と強硬発言したとして大きく報道されたが、野田首相は、9月26日の衆院予算委で、「大統領本人というよりもブリーフをした方の個人的な思いの中から出たのではないか」とこれを否定した。であれば、そのことを米側に確認すべきだが、玄葉外相はその必要なしとしている。ブリーフをしたのは、これまでの日米合意の策定に深くかかわってきたキャンベル米国務次官補である。つまりは、政権にとっての政策的優先順位や、政策推進の中心的担い手もはっきりしないまま、「日米同盟の深化」や「普天間問題の進展」が語られ、既定方針の強引な推進が図られようとしているのである。
訪日したパネッタ米国防長官と一川防衛相の会談(10月25日)で明らかにされたように、政府は、鳩山政権以来宙に浮いていた環境影響評価書の年内提出によって移設計画の実施に着手しようとしている。仮に提出された評価書を無視して沖縄県知事が90日以内に意見書を提出しなければ、知事の意見はないものとして埋め立て申請を行う。知事は、すでに09年に提出された環境影響評価準備書に対して、約500件の疑問を提起しているから、これへの回答を検討し、不備や改善点を指摘することになるだろう。準備書段階では伏せられていた新型輸送機オスプレイの導入も問題になるだろう。
防衛省は、知事の意見を踏まえて評価書を補正するが、この評価書補正が不十分であっても、公告・縦覧によって環境影響評価(アセス)手続きは完了する。次は埋め立て申請である。当然知事は、環境影響評価に知事意見が十分取り入れられていなければ、これを認めることはできない。次に考えられるのは、県知事の公有水面埋め立ての許認可権限を奪って国に移す特別措置法の制定である。これは、すでに2005年に自民党内部で検討されていた案件である。自公政権が、90年代後半、沖縄の米軍用地強制使用反対の声を封殺するために法改正を行い、知事や市町村長など、地方自治体の首長の権限を奪ったことは記憶に新しい。一年前に菅首相は「(そのようなことは)全く念頭にない」と否定し、北澤防衛相も同調していたが、玄葉外相は、将来的選択肢としては否定していない(10月26日衆院外務委)。
野田首相や玄葉外相が国連総会に出席するために渡米し、首脳会談や外相会談をしていた同じころ、仲井真沖縄県知事は、ワシントンにおける講演で、「県外移設が最も合理的」と強調し(9月19日)、連邦議会上院では、レビン軍事委員長(民主)、マケイン共和党議員、ウェッブ民主党議員とそれぞれ面談して(9月20日)、辺野古移設の実現が困難なことを説明すると同時に、3議員が連名で5月に提案した嘉手納統合案も騒音問題で困難との見方を伝えている。
政府が沖縄に辺野古移設を押し付けようとして用いている手段は2つある。1つは、「普天間固定化か、辺野古移設か」という2者択一を迫る恫喝である。普天間「固定化」という言葉は、今年6月21日の日米安保協議会(2+2)の合意文書の中に初めて登場してきた。合意文書は、2014年という辺野古移設の従来の目標時期が達成不可能になったことを認めるとともに、普天間の固定化を避けるためには、この計画を14年より後のできるだけ早い時期に完了させることが必要だ、としている。
もう1つの手段は、今年度で期限が切れる沖縄振興特別措置法に代わる新たな振興計画の問題。沖縄県は、従来の国主体の振興計画に代わる県主体の振興計画を求めている。その中には、ひも付き補助金を一括交付金に置き換える要求も含まれている。新しい振興策をめぐる国と県の駆け引きからは、これを県内移設と結びつけ、県を懐柔しようという政府の露骨な意図も見え隠れしている。
これまで見てきたところからも明らかなように、いわゆる普天間問題の本質は、日米両政府が、いずれも直面する政治的経済的根本課題をそれぞれの立場から直視することは回避したまま既定路線を墨守し、その矛盾を沖縄にしわ寄せしていることにある。こうした政治的現実を、沖縄を越えて、日米両国の民衆がどれだけの広がりを持って認識しうるかが、今、問われている。
すでに、08年からアメリカの法廷でいわゆる沖縄ジュゴン訴訟が継続中である。また、沖縄の声をアメリカ市民に伝えるため、ヤマトと沖縄にまたがった沖縄意見広告運動が立ち上げられ、野田首相らが滞米中の9月21から23日、ニューヨークタイムス電子新聞に意見広告が掲載されている。10月には、米議会や市民に直接沖縄の声を届ける要請団を派遣するための「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」も結成された。今後も多様な運動が、普天間基地の閉鎖・撤去まで続けられていくだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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