八十年代も末、小型乗用車でアメリカ市場を席捲したこともあってだろう、合弁相手の車載用電装品の大手メーカでは、取締役から平社員まで誰も彼もが自信に満ち溢れていた。欧米メーカからの技術導入からはじめて、追いつき追い越せと息せき切ってやってきて、ついには互角以上の競争をするまでになった。自信をもって当たり前、もつなとは言わない。ただそれがいきすぎれば傲慢になってしまう。
部外者に口外するようなことではないはずなのに、ある日なにがきっかけなのか分からないが、その会社の事業部部長が寂しそうに話しだした。いくつもの事業所で、守衛と従業員の態度があまりに礼を逸していて問題になっていた。海外からのVIPの来社が多いこともあって、さすがに本社の守衛所では、驚くようなことはなくなったらしいが、いくら注意しても工場の守衛所では来社する人の立場で守衛の態度が極端に変わってしまう。スーツを着てそれなりの身なりの人にはまだフツーの態度なのだが、作業服を着た一見して下請け業者と見える人には、まるで昔の官憲のような態度で言葉遣いまでが違って困っている、と最後は愚痴のようになった。
資本比率では対等だが、ビジネスの性格上明らかに米国側のこっちが上の立場の合弁会社の一社員として、あるプロジェクトの実証試験で、その会社の工場で十日ほど作業することになった。現場作業で使用するPCや書類が多すぎて手では持ちきれない。計器類も含めてトランクに積み込んでいった。入門時の守衛の態度にむっとしたが、一日の現場作業を終えて出門するときは、全員車から降ろされて車内とトランクを調べられた。まるで窃盗容疑者扱いだった。それほどまでに物騒な工場なのかと心配になった。ちょっとトイレにいったスキにPCでも持ってかれた日には目も当てられない。
本社の四階か五階の会議室を使うことが多かったが、簡単な打ち合わせには受付のすぐ脇にあった広い商談スペースで済ませていた。何時行ってもかなりの数の業者が打ち合わせをしていた。机と机の間隔が狭いうえ、パーティションもないから隣の話が聞こえてくる。誰もが周りを気にしながら小声で話していることもあってか、隣の話が気になることはなかった。
ただ何度か隣から嫌な話というか嫌な話し方が聞こえてきたことがある。聞き耳をたてるつもりもないし、そんな余裕はないから細かなことは分からない。聞きたくなかった話の一つは、どうも機械部品の精度が問題になっているようだった。五十後半か六十をちょっとでた、話し方からして社長と思しき人が部下と一緒に平身低頭して説明を繰り返していた。相手は大手電装品メーカの社員で、どう見ても二十代半ばがいいところの若手社員だった。繰り返される説明から問題の原因は町工場側より若手社員のちょっとした指示のミスにあるのが分かる。公平に話を聞けば、誰が聞いても非は若手社員にあるとしか思えないが、強圧的な言葉で問題の原因は若手社員の指示を理解する能力のない町工場側にあると言い張っていた。一日も早く部品を持って来いとほとんど命令口調で、彼らの言い方で言えば、協力会社を指導していた。立派なご指導の最後はまるで脅迫だった。プロジェクトの遅れをどうしてくれる。外注先としての評価を下げることになる。
年がいっているから偉いとか、年配者には礼をとか言う気もないが、少なくとも相手は、たとえ零細企業であっても一国一城の主、それを学校出て何年も経っていない一社員に過ぎないのが何様のつもりだ、会社の代紋を笠に着るにもほどがある。
電装品メーカの協力を得て新製品を開発していた。当時、ハードウェアをうまくコンパクトにまとめる技術は圧倒的に日本が優れていた。そこからハードウェアの開発を電装品メーカに委託して、米国側はソフトウェアの開発に専念することにした。優れているといっても車載用の経験しかない。産業制御機器に関しては素人、経験もなければ知識もない。そこで米国側から日本側に設計基準から検査基準いたる全ての技術を提供した。
電装品メーカの技術陣が産業用制御機器のモジュール間の通信に光通信を持ち込んだ。配線も楽だし、電磁波ノイズにも強い。いい事だらけの方法にみえた。開発が進んでプラットフォームの検証実験の段階になってみんな驚いた。モジュール間の通信に驚くほどの電磁波ノイズがのっていた。テストを繰り返しているうちに、原因は光通信に使っているコンポーネントの問題ではなく、電装品メーカが特注してつくった光通信ケーブルにあることがはっきりした。考えられる対策をこうじてみたがうまく行かない。新たにコストが発生するから、できればしたくなかったが、光通信ケーブルの仕様を変更するしかなかった。
日米の担当者で対策を話し合う会議に、電装品メーカが光通信のコンポーネントを提供している某大手重電メーカの担当事業部のかなり上の営業と営業技術を、彼らの製品の問題でないことがはっきりしているにもかかわらず呼びつけた。三者で話したが、ここでは技術的な詳細検討ができない。開発から製造、品質管理までの全ての技術陣がいて、全ての技術資料が手の届くところにある―東京にある重電メーカの担当事業部で会議をしようということになった。
電装品メーカの担当技術部隊から調達部隊に某大手重電メーカにこれこれの理由で訪問することにしたと連絡した。即、調達部隊のトップから訪問はまかりならんとストップがかかった。ストップの理由は、そのお偉方によると、「わが社は、某重電メーカからは毎月十億円単位の製品を購入している最重要顧客だ。最重要顧客が、名古屋近郊から東京の一部品納入業者に障害対策のために出張するのは許可しない。部品納入業者は、トラブル対策にために必要な人員と資料全てを電装品メーカに持参して会議なり作業をしなければならない」
このストップに米国側はただただ呆れるしかなかった。日本側は米国側に対するメンツがつぶれ、Reasonableでない自社の文化を(多分、多少は) 恥じた。多少恥じるまでがそこにいた人たちの限界だった。ことの大小はあるが、似たようなことを彼らも日々繰り返していた。
問題は、守衛さんの横柄な態度でもなければ、二十代の若い従業員の身勝手な言いぐさでもない。就職してほんの数年のうちに自省や自戒という人として欠かせないものを失うことが、その会社の一員になる必須条件だったし、今も変わっちゃいないだろう。手を抜けるだけ抜いて実務を相手に押し付けて、言ってみれば人様の利益を搾り取っての超優良企業。その誇り高き従業員、自省や自戒の気持ちをまがりなりにも持ち続ける人はそこでは生きられない。
親会社の大成功に引きずられるかたちで自動車電装品メーカとして世界を制覇したという自信を持つのは結構だが、それが高じて上から下まで吝嗇で傲慢であることが従業員の証のような企業文化が問題だということに気が付かない。その文化を創ってきた歴代経営トップに問題の根源がある。
「衣食足りて礼節を知る」というのもあるし、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というものある。格言や言い伝えの常で、そうあってほしいと念じるまでのことで、現実は真逆のことが多い。礼節を欠くことで衣食足りて傲慢に輪がかかる。
仕事で十年以上つきあった。なかには逢えてよかったと思う人もいた。日当たりのよくないところで徒長しない人に親近感を覚える。
2022/3/30
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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