社会有から再私有化へのrestitutionはうまくいくだろうか?―旧ユーゴスラヴィアの現状

ベオグラードの週刊誌ニン(11月4日)の5ページにわたる特集記事「ヨーロッパの命令による正義」、日刊紙ポリティカ(11月11日)の記事「憲法裁判所が再私有化モデルを決める」と小論文「脱国有化は財政問題ではない」に共通するテーマは、再私有化である。英語でいえばrestitution、つまり「正当な所有者への返還」である。社会主義の所有原理である社会有≒国有から資本主義の私的所有への転換を私有化と呼び、その構成部分をrestitutionと呼ぶ。私(岩田)は、再私有化と表現することにしている。

自主管理社会主義ユーゴスラヴィアの所有原理は、ソ連・東欧の集権制社会主義の国有を否定して、社会有―労働があらゆる社会経済的権利の基礎となることを保証する所有制―を採用していた。そこから私有制への移行は、直行的には行かず、社会有を国家的所有に戻し、その国有財産を私有化することになる。(「私有化のための国有化」:『20世紀崩壊とユーゴスラヴィア戦争』pp.132-138、御茶の水書房、2010年を参照)。ところで、①国有財産の歴史的起源が社会主義革命以前の私有財産の国有化にあるものと、②社会主義時代の投資建設の結果として成立したものとでは、所有制転換における社会的紛争の複雑度が全く異なる。

②の場合、私有化方式の在り方如何によって、例えば、国有財産有償払い下げ、バウチャー(私有化切手)発行、国有企業の株式会社化とその株式のバウチャーによるか、現金による販売、等々によって、私的所有者=資本家になれた社会集団と、なれなかった社会集団の間の不平等、私的資本家階級内の特権的オリガルヒ=タイクーン集団と、普通の資本家層の間の不平等のような社会問題と社会的対立、すなわち私(岩田)が「階級形成闘争」と規定した社会的紛争の在り方如何が異なる。鋭い対立ではあるが、そう複雑ではない。

①の場合、旧所有者の正当な所有権を証明できる旧社会の(しかし今や新社会としてカム

バックした)所有権文書が提出できれば、原理的に複雑な問題はない。事実として、一財産に複数の権利者があって、半世紀の間に死亡しており、それぞれの子孫が多数名乗り出て、権利を主張し合って裁判闘争になることもあろう。事実上の複雑さである。

③の場合がありうる。すなわち、実際の国有財産は、①と②に明確に線引きして分類でき

るものではない。小さな自動車修理工場を国有化して、社会主義的工業化の結果、近代的工作機械工場に発展したような①と②の融合したケースが多いだろう。

以上のような私のまえがきを念頭において、以下のニ記事と一論文の要約を読んでほしい。

ジゥルジェ・ニンコヴィチ(2001年の法務副大臣・弁護士)の小論文―2001年6月にDOS(セルビア民主反対派)法務省は、脱国有化を基本原則とし、できる限り元所有者へ返還し、それができない場合適正な現物的保証をすること、かつ国家の現金を補償に使うのはナンセンスであり、同じ価値の別の国有財産を元所有者の同意の下に引き渡すことを定めた再私有化法案を完成させていた。ところが、2001年9月に、脱国有化問題は、財務省の所管に移された。法律家が驚いたことには、財務省は財産返還=再私有化に取り掛かるのではなく、それらの価値評価と脱国有化コストの見積もりをし始めた。脱国有化コストとは、主に補償であり、そんなことは不可能だ。1946年から1958年に私有財産の収奪と国有化に関する諸法律が採択された。それらの多くには補償の規定があった。しかし当時、金銭的補償は実行されなかった。今日、かかる金銭的補償はもっと困難である。国家債務はすでにしてあまりに巨額であるから、元所有者への現物変換が筋である。

M.アヴァクモヴィチの記事―特定領域における再私有化、すなわち「教会と宗教団体の財産の返還に関する法律」が2006年以来施行されており、現在、その法律の合憲性・違憲性が憲法裁判所で争われている。年末までに判決が出る予定という。同法によれば、現物返還が原則とされ、それが不可能な場合、部分的返還と国債や現金による補完が許されている。違憲の判決が出た場合、国家は現物返還、価値(金銭と有価証券)補償、両者のさまざまな組み合わせを選択できる。「再私有化ネットワーク」なる市民団体は、憲法裁判所の判決待ちを現物返還を先延ばしにする口実に過ぎないと批判する。「ネットワーク」によれば、かつて奪われた私有財産の97%は国有財産となった。そのうち90%は森林、農地、建設用地であって、国家予算に大きな負担なく旧所有者に返還できる。それなのに国家が現物返還に乗り気でないのは何故か。「ネットワーク」は言う。公共企業や地方公共団体がそんな土地・建物を無償で誰かに使用させたり、あるいは地代・使用料を受け取っても然るべき予算収入に組み入れていないことがばれてしまうからだ、と。

ドラガナ・ペヨヴィチとカタリナ・ペレラドヴィチの特集記事―ヨーロッパ委員会の報告は、セルビアとBiHが財産返還プロセスを開始していない最後の旧社会主義国だという憤慨が存在する、と記録している。また駐ベオグラード・アメリカ大使メリー・ウォーリクは警告して語る。セルビアは投資家を招き寄せるために再私有化法を採択すべきだ。なぜなら、投資先の土地の私有権者が誰かがはっきりしていないと投資家は大変困るからだ。どれほどコストがかかろうと、別の問題がどれほど重要であろうと、また如何に資金不足であろうと、EU加盟申請がデマゴギーでないとすれば、再私有化プロセスを開始すべきであろう。

現在のセルビアの支配エリート内に明瞭な合意がある。再私有化はなるべく少ない規模で、なるべく遅く行う。時間が経つにつれて、再私有化されるはずの財産は溶けてしまうからだ。再私有化財産の溶解に特に働く二法律がある。私有化法は産業基盤を再私有化対象から排除している。計画化と建設に関する法律は、建設用地の旧所有者が建設用地上の物件の所有者でもあるという希な場合を除いて、建設用地を再私有化対象から除外する。「再私有化ネットワーク」は、政府内の個人的利益と政権に近いタイクーン的人物による私物化こそがセルビアにおける再私有化=元所有者への現物財産返還が遅れる唯一の理由であると非難する。政府筋の再私有化反対論の論拠で最も有力な二論拠は、40億ユーロから2000億ユーロと見積もりの大きな幅があるが、再私有化の高コスト、そして新旧所有者間の裁判争いの多発である。

上記のアメリカ大使の再私有化推進論を読んで想い起した私(岩田)の個人的体験がある。何年何月のことか忘れてしまったが、ポーランドのワルシャワに滞在していた時、アメリカ大使館の前で10数人のデモを目撃した。別に政治的意図のデモではなかった。アメリカ大使館の建物・土地、あるいはどちらか一方の旧所有者一族が亡命先の外国から帰ってきて、旧財産の返還を要求していたのである。アメリカ大使館の方は、誰も応対に出ていなかった。ニンの特集記事に言う新旧所有者間の争いのケースなのであろう。

私の私有化論とそれに関連する再私有化回避論は、すでにして1995年の論文「党社会主義の自崩と資本主義化」(『社会主義崩壊から多民族戦争へ』御茶の水書房、2003年)で議論してある。参照されたい。

東ヨーロッパやバルカンの再私有化要求の強さを見て、私は戦後日本の財閥解体や農地解放へ思念が及ぶ。今日の体制転換の価値基準によれば、解体も解放も私的所有者の同意なしの、適正な額の補償なしの私的所有権の侵害・収奪である。財閥家族や地主家族の圧倒的多数にとって正当な私有権の侵犯である。ところが、独立回復当時も、あるいは長期自民党政府崩壊の今も旧所有権=財産権の回復要求が旧財閥家族や旧地主家族から力強く怒りを込めて提起されることはなかった。大きな社会問題にならない。何故だろう。

第一に、日本人の私有権概念は、ヨーロッパ人のそれほど絶対的・根本的な社会規範ではなく、大状況的規範である。

第二に、同じ私有権の侵害であっても、アメリカが行えば正当な歴史的行為であり、社会主義・共産主義体制が行えば、不当な歴史侵犯である、というイデオロギーが強くあるからかもしれない。もしも、アメリカやEUが要求しなかったら、半世紀前の旧所有者の現物返還要求がこれほど強くなったであろうか。半世紀間農業とは全く無縁の生活をしてきた、例えばIT技術者である旧所有者の孫へ農業高校の実習農地が返還されて、農業高校生は農作業の実習ができなくなり、農業に関心のない孫は、その土地を雑草の支配にまかせるといったようなことが起ったであろうか。純利得をした者は、弁護士だけ。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
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