<岡田一郎:社会理論学会事務局長>
日時:2015年11月7日(土) 14:00~17:00
13:10より編集委員会・理事会があります。(参加者は事前に昼食を済ませておいてください)
場所:渋谷区笹塚区民会館4階会議室3号
【会場案内】
渋谷区笹塚区民会館
〒151-0073 東京都渋谷区笹塚 3-1-9
・区民会館は催し物に関する質問にはお答えできませんので、会場への電話問い合わせはご遠慮ください。
・会場は駐車場がありませんので、自動車での来場はご遠慮ください。
案内図:https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kmkaikan/km_sasazuka.html
会場費:無料
報告者:堀内健司(成蹊大学大学院)
タイトル:国威宣布の宸翰における「世界」像と日本像
―船中八策・大政奉還の上表などを踏まえて
報告概要:明治天皇が「五箇条の誓文」を新日本の国是として日本の神々に誓ったのと同じ慶応四年(一八六八)三月一四日、明治新政府は新日本の決意表明を、天皇が自ら書いた文書(宸(しん)翰(かん))の形式で発布した。いわゆる「国(こく)威(い)宣(せん)布(ぷ)の宸翰」(「国威宣(せん)揚(よう)の宸翰」・「億(おく)兆(ちょう)安(あん)撫(ぶ)の宸翰」)である。「五箇条の誓文」と「国威宣布の宸翰」という二つの宣言には、当時の日本人の「世界」像ならびに世界の中の日本像があらわれた。そこには、いかなる特徴がみえるのであろうか。この宸翰の書き出し「朕(われ)幼弱を以て猝(にわか)に大(たい)統(とう)を紹(つ)ぎ、爾(じ)来(らい)何を以て万国に対立(たいりゅう)し□列(れっ)祖(そ)に事(つか)へ奉らんやと朝(ちょう)夕(せき)恐(きょう)懼(く)に堪(たえ)ざる也」にある、「何を以て万国に対立し」の一節を軸にして、幕末維新期の指導者と知識人を中心に、日本人の「世界」像と日本像を探る。
具体的には、慶応三年(一八六七)六月九日に長崎から京都へ向う船中において、土佐藩を脱した坂本龍馬が、土佐藩の重役である後藤象二郎に示した「新政府綱領八策」(いわゆる「船中八策」)のあとがき「以上八策は方今天下の形勢を察し、之を宇内万国に徴(ちょう)するに、之を捨てて他に済時(せいじ)の急務あるべし。苟(いやしく)も此(この)数策を断行せば、皇運を挽回し国勢を拡張し万国と並立するも亦(また)敢て難(かた)しとせず」や、同年一〇月一三日、徳川幕府第一五代将軍の慶喜が京都の二条城で諸大名に案文を示し、あくる日に朝廷へ呈した「大政奉還の上表」の一節「従来之(の)旧習を改め政権を奉帰(きしたてまつり)広く天下の公議を尽し□聖断を仰ぎ同心協力共(とも)に皇国を保護仕(つかまつり)候(そうら)得(え)ば、必ず海外万国と可並立(ならびたつべく)候(そうろう)」などを例に挙げて考えていく。
幕府・新政府を始めとして、幕末維新期の指導者や知識人の「世界」像と日本像を多く取り上げてくらべることで、そこにはいかなる相違があり、またどこまで通じ合っていたのか、「江戸」から「明治」へ受け継がれた面と改められた面が浮き彫りになり、幕末維新期における日本人の「世界」像と日本像の諸相が明らかになるであろう。
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