事故の要因を狭く切りちぢめた「中間報告」 「聞き取り重視」を言い訳にした「責任追及」の欠落
12月26日、政府の事故調査・検証委員会の「中間報告」が公表された。関係者456人からの聞き取りを行ったとのことで、資料を含め700ページを越える膨大なレポートだ。だがそれは、以下の3点で根本的な欠陥を持つ。
(1) 事故原因を津波にしぼり、政府・東電の「想定外の事故」という言い分に半ば妥協している
(2) 政府の対応の混乱など事故拡大要因も列挙はしているが、全体的に要因分析が狭い
(3) 「聞き取り重視」という手法を隠れ蓑に、事故の責任問題に踏み込むことを回避している
実は私は、委員長が畑村洋太郎であることに関心をもち、「中間報告」の内容にそれなりの期待を持っていた。なぜなら仕事の関係で彼の著書『失敗学のすすめ』(注1)を読んだことがあり、参考になる点が多かったからだ。だが今回の報告は、彼の著書の内容も裏切っていると言わざるをえない。
●地震による配管破断の事実を隠ぺいした「中間報告」
事故原因に関しては、東電は「中間報告」発表を前にして、事故の直接的原因は13メートルに及ぶ津波だったと発表していた。これに対し委員会の大勢は地震説だったという(12/8、ルモンド紙)。吉岡斉委員は、「仮に津波への防御があったとしても、何も問題が起こらなかったと証明する事実は何もない」と述べている。また田中三彦委員は、事故現場の技術者の水位と圧力に関する生データをベースに、配管系の損傷と冷却水の喪失の可能性を主張していた(注2)。この「可能性」は、後に配管損傷レベルと冷却水喪失スピードのシミュレーションで確かめられた。保安院も「配管の損傷の可能性」を認めていた。ところがこの地震説は、「中間報告」公表の1週間前に「踏み込んだ判断を見送る」こととなり(12/19、中国新聞)、そして結局、なんらの判断も「中間報告」には見当たらないことになったのである。
いま電力各社からストレステストの報告が上がっており、年明けにはIAEAが来日してストレステストの判断を「オーソライズ」する目論見が進んでいる。また原発立地自治体の3月議会では、原発再稼働への判断が問われることになろう。そのタイミングで地震説が消え去ったことは、まさに「政治的判断」というしかない。「中間報告」では、スリーマイルやチェルノブイリの事故後のことに触れている。安全委員会は92年、「過酷事故対策」の導入を決めたが、発生の可能性は小さいと電力会社の自主対策に委ねた。地震などの「外的事象」は対策手法が未確立と、対象にさえしなかったのである。「中間報告」はそれを批判しつつ、再びこの轍を踏もうとしている。そして過酷事故を津波被害にしぼり、さらに「非常用冷却だけは守れるようにするのが工学的に適した設計」と問題を矮小化するのである。「中間報告」は、当事者の「(設計基準を越える自然災害を)想定しはじめるときりがない」という証言を採録しているが、それはエンジニアの「認識の甘さ」の問題ではない。その背後には、政府の原発推進の戦略、資本の原発の経済性確保の意図がある。地震説の放棄と矮小な工学論議は、「中間報告」の政治的・経済的そして技術的な屈服を象徴していると言わざるをえない。
●事故の要因を狭く切りちぢめた「中間報告」
委員会は原子炉自体の技術者を含まなかったことから、当初「事故原因にテクニカルに踏み込めるのか」という危惧が表明されていた。畑村氏の仕事も、技術そのものというよりは技術管理の分野に属する。それにもかかわらず私はさきほど、畑村委員長にそれなりの期待感を持っていたと述べた。なぜなら彼は、『失敗学のすすめ』のなかで「失敗原因の階層性」を力説し、下図(http://yo3only.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/28/failure.jpg)
のような概念を与えていたからである(P63)。それは事故の究明にあたり、個々人に責任や組織運営上の問題に止まることなく、企業組織・政府・社会システムにまで原因を深く掘る必要性を論じている。また「未知への遭遇」(地震・津波などによる過酷事故)に際しては、すべてを止めて一から技術開発をやり直すこと、またはすべてを放棄することを求めている。
このような概念は企業でいまかなり一般化されており、それにもとづき例えば技術開発の場面では通常、FTA (Failure Tree Analysis)という手法で事故要因の洗い出しと真因の究明が行われる(注3)。その全項目に対し是正措置が定められ、実行が確認されなければ対策は終了しない(注4)。ところが「中間報告」は、6つの層のうち「個々人に責任のある失敗」と「組織運営不良」のレベルを論ずるだけで、「企業経営不良」以上の層にはほとんど手をつけていない。そして地震については一方で「未知への遭遇」の層に棚上げしつつ、すべてを止めて一からやり直す、すべてを放棄するという義務をネグレクトしているのである。
●「聞き取り重視」を言い訳にした「責任追及」の欠落
この中途半端さはどこから来るのだろうか? 畑村氏は「失敗の当事者から話を聞きだし、その失敗を知識化するときのコツ」について、「一番大切なのは、聞き手がいっさい批判をしないことです」と述べている(P134~135)。原因の究明に当たり、この聞き取りの「コツ」は必要かつ有効である。だが是正措置の決定や実行(何故、誰が、何を、どこで、何時までに、いくらかけて)に当たっては、責任の所在が明確になる必要がある。この「下向」と「上向」のプロセスがなければ、実際に原発(とその事故)を無くすことができない。しかし委員会は、個々に問題を指摘するだけで責任の所在を明確にすることがない。そしてこれは、事故の要因を狭く切り縮めることと関連している。なぜなら失敗原因の上級階層において責任を追及することは、政治的・経済的・社会的な、歴史的に形成・蓄積された「力」を追及することになるからだ。また畑村氏の学問的な目的が「失敗を知識化する」ことであることにも関連している。それはせいぜい、個人や組織が二度と失敗を繰り返さないために参照するデータベースの構築にすぎず、そもそも責任概念や原発を無くす/無くさないという判断からは遠くにあろうとしているのである。
畑村創造工学研究所は「失敗知識データベース」を公開している(注5)。そのなかで「原子力」の分野では31事例があるが、その約3分の1にあたる10件が様々な要因による配管の損傷と冷却材の漏えいだ(そこからの2次災害の火災を加えると11件)。これだけの「知識化」が行われながら、「中間報告」から地震説が消え、配管損傷による冷却水喪失の推定を無視したことは、畑村氏の破産を意味している。
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「中間報告」は、ストレステストや再稼働の動きに対する闘いと並行しながら、徹底的に批判されていく必要があるだろう。私たちは、原発事故の原因と運動の課題を広く見極め、あらゆる責任者を継続的に追及することで、すべての原発の停止と廃炉を目指していきたい。次の闘いのヤマは来年の3/11、原発事故勃発の1周年の日である。
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(注1)講談社刊。最初はハードカバーで出版されたが、05年に文庫版が出た。引用は文庫版による
(注2)雑誌『科学』9月号、「福島第一原発1号機事故・東電シミュレーション解析批判と、地震動による冷却材喪失事故の可能性の検討」。なお『科学』9月号は品切れとなっている
(注3)関連して、http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-eeaf.html 参照
(注4)福島原発事故緊急会議では、いま反/脱原発運動の全課題を整理する(マトリクス作成)を行っているが、その前提となるのはFTAである
(注5)http://www.sozogaku.com/fkd/index.html 参照
たんぽぽ舎 「地震と原発事故情報 その285」より転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1770:120105〕