第8回社会理論学会研究奨励賞受賞記念講演および社会理論学会第111回月例研究会

 

日時:2016年2月27日(土) 13:30~17:00

場所:渋谷区笹塚区民会館4階会議室3号

【会場案内】

渋谷区笹塚区民会館

〒151-0073 東京都渋谷区笹塚 3-1-9

案内図:https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kmkaikan/km_sasazuka.html

・区民会館は催し物に関する質問にはお答えできませんので、会場への電話問い合わせはご遠慮ください。

・会場は駐車場がありませんので、自動車での来場はご遠慮ください。

会場費:無料

タイムスケジュール

13:30~14:00 第8回社会理論学会研究奨励賞受賞式および記念講演

講演者:野尻英一(自治医科大学)「グローバリゼーションと構想力(仮題)」

14:00~14:10 休憩

14:10~17:00 第111回月例研究会

報告者:青木茂雄(元都立高校教員・全国教育法研究会)

報告タイトル:ルソーにおける“一般意志”(la volonté générale)と“政治体”(le Corps politique)─ 社会契約説の転回 ─

報告概要:

Ⅰ.はじめに ─ いまなぜ“ルソー”か?

(1)「国民主権(人民主権)」と「立憲主義」との相互関連性或いは異同性

① 「民主主義」に代わって「立憲主義」がキーワードとなっている状況

「明治憲法ですら立憲主義であった」という言説、が説得性を持つという状況

② 古い話だが、「民本主義」と「民主主義」の違いは《主権》の所在の違いであると、かつて教わった。

③「立憲主義」は《主権》の所在を問わないのか?「立憲主義」は政治体制の在り方とは別の次元の概念なのか?

(2)「国民主権(人民主権)」とは何か? そもそも《主権》とは何なのか?

① 《主権》とは、A一定の領域に及ぼす同一の統治権力、B国家意思の最終的な決定権、が国語辞書的な意味(例『広辞苑』)。しかし、これ以上の「法学的」定義があるか?

② 「国民主権(人民主権)」の場合の《主権》はBの意味。しかし、「国民」を単一のカテゴリーでとらえるとAの意味も付与される。この場合はむしろ「国家主権」に近い。ナチズムは「国民」を単一化した ─ “Ausgleich”。

③「国民主権(人民主権)」論は、国家意思の最終的な決定権が「国民(人民)」に所属するという教説。すると「国民(人民)」とは何か?「国民(人民)」の意思はどこに表示されるかという、お定まりの難問が生じる。

ここから《代表》(representative)論

→ そもそも「代表する(represent)」とは何なのか、それは可能なのか?

周知のようにルソーは「国民(人民)」の意思は《代表》されない、と説いた。

④「国民(人民)」 Volk, people, peuple, nation,

『社会契約論』において、ルソーはpeupleという語をあまり使用せず。

集団としての全体を指す場合は Corps 、peupleも

個別の人間を指す場合は 全体では multitude 個別では particulier

(3)「国民主権(人民主権)」原理は「基本的人権」の根拠たり得るのか?

① 「基本的人権」の有力な根拠は《自然権》である。それは、《主権》の原理とは無縁である、と考えるべきである。

「国民主権」のもとで個々の国民は「主権者」なのだからその権利は尊重されるべきであるという俗説は、《主権》の原理からの説明とはなっておらず、「民本主義」と同レベルである。

② 日本国憲法では「基本的人権」は「享有」されるものと規定しているから、暗黙にではあれ、“天賦人権論”に拠っている。しかし、これは“暗黙に(tacitly)”である。

③「人は生まれながら自由にして、且つ至るところで鎖につながれている」の『社会契約論』の衝撃的な冒頭の文章は、以下にルソーの高らかな“天賦人権論”の展開を期待させるが、その期待はものの見事に裏切られる。

④ ルソーは《自然権》の根拠となっている既存の《自然法思想》を攻撃している。たしかに『社会契約論』の副題は「政治的権利の諸原理」となっているが(初稿=『ジュネーヴ草稿』では副題は「共和国の形態についての試論」)、これは「政治的権利」なのであって、《自然権》的権利ではない。

⑤ ルソーによる「政治的権利」とは、《社会契約》ののちに成立した国家(civitas、

cité、 république、État)の中での公民(citoyen)の権利なのであり、場合によっては「一般意志」(la volonté générale)への絶対的服従(=自由のための強制)なのである。

⑥ しかし、ルソーは前著『人間不平等起源論』において自然的人間の本源的な自由を説いている。このこととの整合性はどう説明されるべきか。多くのルソー研究家を悩ましてきた最大の難点である。

⑦ ルソー的には、「国民主権(人民主権)」原理は「政治的権利」の説明原理とはなるであろう。しかし、《自然権》としての「基本的人権」の説明原理とはならない、と考えるべきである。

⑧ ルソーについてさらに言及するならば、彼の言う「自由」は権利としての「自由」ではなく、《事実》としての「自由」であり、むしろホップズなどの拠ってたつ自己防衛本能に近いものであろうか。

⑨ 或いは、「自由」の大海のなかの島のような《自然権》としての「自由」のイメージであろうか。吉本隆明的には、「共同幻想」の及び得ない領域としての本源的な「自己幻想」の世界、か。

(4)「立憲主義」は何により担保されるか?

① 「立憲主義」的思考の諸類型

A.憲法は権力者を縛るためのものである。

B.法令は憲法に従うものでなければならない。

C.憲法は基本的人権を保障するためのものである。

D.最高法規としての憲法を頂点として法体系は安定していなければならない。(=法的安定性の確保)

E.権力者の行動は国民の意思(=法)に従うものでなければならない。(=法の支配)② 大別すると

ア.社会契約説に基づくもの ACE

イ.統治論的観点からのもの BDE

③「立憲主義」の根拠としての《本源的権利》と《歴史的経験の集積》

日本国憲法の「前文」の意味 人類の知的達成と歴史的経験の集積

④ 明治憲法における「立憲主義」の担保

「告文」「勅語」「上諭」の位置付けとその意味

「上諭」

「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なり。朕及び朕が子孫は将来この憲法の条章に従い、之を行ふことを愆(あやま)らざるへし。」

※ 天皇に憲法遵守義務を課している → 美濃部達吉の抵抗の根拠

(5)ルソーにまで立ち帰ってみると、何が見えてくるか

以下、本論

Ⅱ.ルソー『社会契約論』に関する論戦 「ルソー問題」

(1)《individualistルソー》と《collectivistルソー》

(2)《individualistルソー》への保守派からの攻撃

(3)《collectivistルソー》へのリベラリストからの批判

(4)《collectivistルソー》の評価と継承

(5)《individualist=collectivistルソー》は有り得るか?

Ⅲ.『社会契約論』の構成

(1)衝撃的な冒頭 「人は生まれながら自由にして、且つ至るところで鎖につながれている」はいかにして生まれたのか

(2)「政治制度論」と「政治的権利論」

(3)『ジュネーヴ草稿』から『社会契約論』へ

Ⅳ.政治体論から社会契約論へ

(1)「政治体」と「一般意志」

(2)社会契約説導入の必然性

Ⅴ.《社会契約》とは何か?

(1)社会契約le Contrat Socialの“Social”とは何か?

(2)le Contrat SocialはConventionとどう違うのか?

ルソーの“Social”へのこだわり

(3)ascociationの萌芽

Ⅵ.「見果てぬ夢」とルソー

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