リンカーンの病、理念なき「奴隷解放」宣言から独占資本の生い立ちまで・・
– ひとが心の病をあらわしているとかんがえられる根拠のひとつは、
そのひとの行動がそのひと自身にとって「何の利益にもむすびつかない」ところにあり、
またその動機・理由が現実から解離していることにあります。
それはもはや(心的病理の)「症状」とみとめられることになります。・・
– また、最近マスメディアでとみに喧しい「TPP」騒動ですが、
PR戦略に長けている米国だけあって、
「自由貿易協定」と耳に心地良いフレーズではやされるTPPやFTAだが、
その実態を冷静にしらべれば、
このたぐいの協定が赤頭巾ちゃんの「おばあさんに化けた狼」よろしく、とんでもなくルーズで
米国側がどこからでもつけ入ることのできる詐欺にひとしいものであることがあきらかに分かってくる。
にもかかわらず、強引にすすめようとかんがえるひとたちとは?、政治理念などどうでもよく
やはり根っから、米国政権に心的に密着し依存することに安心を得るタイプの人とみなされる。
ようするにずーっと抑圧(庇護も同意)されてきた自我の自立意識が未熟なように、いまだに
「理屈抜きにくっついていたい」欲求にどうしようもなく衝き動かされる日本的依存の典型のようにみえる。・・
さて、三回目になります「米国のものの考え方の起源」についての考察は
前回の独立戦争に次いで南北戦争に繋ります。
— 「南北戦争」(- 錦の御旗に使われた「奴隷制の廃止」)(「超・格差社会アメリカの真実」小林由美より)
「次にアメリカの経済地図を大きく変えたのが、1861年から65年にかけての南北戦争だった。」
「一部の過激派による「奴隷財産の無償放棄要求」は、
北部の低賃金労働を「paid slavery」((賃金奴隷)と非難していた南部の地主層を刺激し、
南部は連邦(ユニオン)からの脱退に傾いた。」・・・
– これは、まったく目糞鼻くそのいがみ合いであって、
南北双方ともに徹底して「自由・平等」とは無縁で酷薄なだけのの大資本家たちであったのだ。
そして、
「連邦の分裂回避を最優先した主流派は、エイブラハム・リンカーンの、
「連邦に留まるのであれば奴隷制の維持を認め、脱退するのであれば、
報復手段として、脱退した州の奴隷は解放する」という妥協案(いわゆる「奴隷解放宣言」)を支持し、連邦の分裂を防ごうとした。」
「つまり「奴隷解放」宣言は奴隷制の廃止を意図したものではなく、
南部を連邦に引き止めるための脅しにすぎなかったのである。」・・・
– わたしたちがリンカーンの政治駆け引き(=「奴隷解放宣言」)からあらためて知ることは、
奴隷の存在をアメリカ連邦の維持のための道具としてかれが利用したにすぎなかったことである。
開拓農民の子であったリンカーン大統領が
その貧苦のなかから学んだこと(あるいは何も学ばなかった証左)といえば、
奴隷制やpaid slavery などではなく、みずから権力をふるう政治家になることであった。
それによって何をするのかといえば、
祖父の仇のアメリカ・インディアンを抹殺するという
理性も理念もおよびではない、
生育歴のトラウマであろう暴力的バッドイメージの病理的現実侵犯に執着することであった。・・・
だがしかし
「南部は連邦から脱退して「南部連邦」を設立し、北部との間に武力衝突が始まった。」
「北部にとっての戦争目的は、当初は脱退した州をユニオンの支配下に戻すことだったが、
それは途中から「奴隷制の廃止」にすり替わった。
なぜ、戦争の名目がすり替わったのか。
理由は諸外国、特にイギリスが、「南部連邦」を独立国家として認知することを防ぐための
“ 錦の御旗 ”が必要なためだった。」・・・
– 南北戦争のはじまりからおわりまで、
このアメリカでは「奴隷(制)」について、支配の思想でしかかんがえられてこなかったことがよくわかる。
つまりは「奴隷という資産」であり、家畜同然の認知から一歩も出ることはなかったといえよう。・・・
「こうした北部の外交戦略は奏功して、南部はイギリスの支援を得られず、
単独の戦いをしいられることになった。」
南部のリー将軍がきわめて優れた軍人だったとはいえ、
生産力や戦費調達力のひらきは埋めがたく、
「4年間の長期戦の末に北軍が勝ったことで、南部は壊滅的な打撃をうけることになった。」
「南部は敗戦によって、戦場となった物理的な損害にくわえ、
奴隷財産の無償放棄、南北両軍の戦費、北部の再建資金を背負わされた。」
「解放された奴隷にたいしても、リンカーンはアフリカへの送還を試みたが、
結局北部は何の対策も講じなかった。
そのため廃棄された機械設備のように、
多くの黒人が家族も基礎教育も生活手段も住む場所も何もないままに、
壊滅的な打撃にあえぐ廃墟の中で放り出され、そのまた吹き溜まりにたむろすることになった。」・・・
– こうして家畜小屋から追いだされた(「解放」された!)奴隷たちが、
現在の米国での生活にいたるまでの五、六世代のあいだに、
どれほどの苦難があったかは想像に難くない。・・・
英国はカリブ海諸島の奴隷廃止時に奴隷所有者に2000万ポンドの損害補償金を支払ったが、
「アメリカ北部は、400万人の奴隷財産を放棄させるにあたって補償金を支払う気はなく、
結局戦争という強硬手段で廃止するに至った。」
「後から振り返ってみれば、経済的な側面だけみると、
奴隷を使ったプランテーションはいずれ機械を使った大農法に転換せざるをえず、
また急増する移民は無制限に労働力を供給したから
奴隷制はコストが合わなくなって遅かれ早かれ自然消滅したであろう。」・・・
– 南部では、奴隷は「資産」から「コスト」に勘定される時代が到来し、
もっと効率のよい機械にとって代わられ、社会に行き場のないまま使い捨てられ、
北部では、奴隷より「使い勝手のいい」「移民」という賃金奴隷が生みだされ、
ヨーロッパ産業革命時の暗黒の生活同様に、過酷な労働環境がシフトされたのだった。・・・
「南北戦争後、敗戦地から戦勝地への富の大移動で、南部の総資産がアメリカ全資産の12%に低下」
アメリカは南北戦後の「復興から半世紀にわたって高成長を続け、二十世紀初頭には英国、ドイツを抜いて世界一の工業国になった。」
「ただし移民の急増に負っていたため」一人当たりの生産性や所得はデフレで低下を続け、
結果的に「高成長の成果は再び“強盗貴族”の手中に納まることになった。」
「“強盗貴族”とよばれる階層は、南北戦争で鉄道、石炭、銑鉄、石油等、軍需物資の価格が高騰し、
戦争にかかわる金融も急成長した中で誕生した。 それが
J.P.モルガン(金融)、ロックフェラー(石油)、カーネギー(銑鉄)、J.グールド(鉄道)などで、
戦争がもたらしたチャンスをものにした若い企業家たちであった。」・・・
– ここでは著者はエコノミストらしく、「チャンスをものにした」とのべているが、
かれらはこの間の勝者側のなかの勝者という意味であり、 やがて
かれらの飽くことなき独占志向こそが現代アメリカにそのまま反映されていることがわかる。・・・
— 巨大資本による独占体制
「鉄道建設への投機ブームが1873年に弾け、株価が暴落したことに、モルガンは
競争が資源の無駄使いにつながると考え、競争を排除して秩序ある市場を作るべく、企業統合に乗り出す。
GEの創設(電機)、ハーベスター(収穫機)、ノーザン・セキュリティーズ(鉄道)、USスティール(鉄鋼)の創設。
USスティールは全米資産の4%を占める巨大企業となった。」
一方「ロックフェラーは、原油の栓の数まで記帳するコスト管理と、買収対象をきめると
その地域で石油をダンピングして相手側を破綻させた。その一方で、
パイプライン輸送の重要性にいち早く目をつけて巨大なパイプラインを建設し、
競合する鉄道輸送や他社のパイプラインをコスト的に不可能にし、
スタンダードオイル・トラストに資産・経営を集中させて、独占体制を築き上げた。」
– ここにおいては現在にいたる米国の独占資本の生い立ちが、
米国の金看板である「自由競争主義」とは真逆の「競争を排除して独占体制を築く」
反自由競争主義的な動機によっていることがあきらかになっている。・・・
「独立戦争時にかりそめにもレッセフェール(自由競争)を謳ったアメリカ資本主義は、ここでさらに
いわゆる“適者生存”という「社会ダーウィニズム」をその理念に取り込んでいった。
(語源は進化論を提唱した進化生物学者C.ダーウィンにちなむが、社会ダーウィニズムは
かれの学説を牽強付会に人間に当てはめたもので、本来のロジックと一致しているわけではない。)
それは、環境に適合している者だけが生き残るのが自然の摂理であり、生き残れないものを助けようとするのは摂理に背くことで、道義的にも正しくないというロジックである。」
– 社会ダーウィニズムは過大な富と軍隊を持った者のつごうのいいロジックである。
それはいわゆる社会進化論が強大国が弱小国を支配下に置くことをも正当しようとする
植民地主義の擁護のためにもつかわれてきた。
またいっぽうでは優生学とも通底するために人種差別を正当化するロジックにもなった。・・・
だがしかし「現実のアメリカ巨大資本は、レッセフェールではなく国家財産の賦与や流用から生まれ、
競争を排除して独占体制を敷くことによって蓄積された。」
「当時のアメリカを訪れたフランスのクレマンソー首相は、
「アメリカは、途中で何の文明も構築することなく、“未開から”“退廃”へと一挙に歩を進めた。」 と語った。」という。・・・
(このあとは次回につづきます。)
ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsu より 転載.
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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