米核戦略と放射線「科学」

 福島第一原発事故が起きて以後、御用マスコミが東電や政府のデタラメ発表を垂れ流しにしただけでなく、御用学者を次々に登場させては、「原発は制御されている」(全くされていない)、「水素爆発は起きない」(起きた)、「格納容器は健全性が保たれている」(破壊されている)、「圧力容器は健全性が保たれている」(亀裂が入っている)、「事故はレベル4だ」(当初からレベル7だった)、「直ちに健康に影響はない」(晩発性の被害は計り知れない)などなどと破廉恥な「安全デマ」をまき散らしたことは、実に醜い異様な光景であったけれども、莫大な原発マネーに群がり共利共棲を図る「原発ムラ」メンバーの原発産業生き残りを賭けたなりふり構わぬ悪あがきであると思えば、理解できないわけではなかった。しかし、一見したところ原発産業とどのように結びついているのか私にはよくわからなかった放射線医学や放射線防護学の「専門家」たちが、なぜ、緊急時作業員の被曝限度を100mSv(ミリシーベルト)から250mSvに引き上げたり、一般人の年間被曝限度を1mSvから20mSvに引き上げたり、100mSv以下では安全だ、などと、素人の私が聞いても異常としか思われない発言を繰り広げるのか、これまで疑問に思っていた。その疑問が、矢ケ崎克馬・琉球大学名誉教授の『隠された被曝』(新日本出版社、2010年)を読んで氷解した。

 その秘密は、一言でいえば、戦後の国際的な放射線防護基準が、米国の核戦略を有利に進めるために作成され、日本政府がそれに積極的に協力してきたことにある。マンハッタン計画の全施設と核物質を引き継いで1946年8月に設置された米原子力委員会(AEC)は原爆の人体への影響を研究するため、47年から48年にかけて広島と長崎に原爆傷害調査委員会(ABCC)を設置した。ABCCは被爆者をモルモットのように裸にして体の隅々まで調べるが治療は全く行わなかったが、その目的が、初期放射線の影響を調べ、「使える核兵器」の研究に資することであったことが、近年、米公文書により暴露されている。米国は、原爆が非人道的兵器であると非難され、使いにくくなるのを防ぐために、放射性降下物による内部被曝に関する指標を排除したり、2km以遠の市民を非被曝者とみなすなどして、被害を過小評価したのである。

 米国は1950年、国際X線ラジウム防護委員会を改組して国際放射線防護委員会(ICRP)を設立したが、ICRPが放射線防護に関する勧告を出す際の基になったデータこそ、内部被曝を排除して原爆被害を過小評価したABCC報告なのである。そのため、ICRP勧告は、矢ケ崎氏によれば、放射線が与えたエネルギー(吸収エネルギー)だけで被曝を評価する体系で、放射線が作用する具体的なメカニズムを一切捨象し、単純化・平均化を行い、外部被曝しか適用できないような基準で処理しているため、内部被曝の影響の特殊性と深刻さを無視しているという。

 ABCCは1975年、日米両政府が予算を折半して、放射線影響研究所(放影研)に改組された。放影研は1986年、原爆放射線量評価体系(DS86)を公表し、その第6章で、初めて放射線降下物の線量評価を行った。しかし、矢ケ崎氏によれば、DS86は、枕崎台風(1945年9月17日)の襲来以後に測定した放射性降下物の線量データを基にしていて、原爆投下初期の放射能状態を無視していることや、測定がガンマ線に偏っていて、線量の多いアルファ線とベータ線を無視していることなどから、放射性降下物による内部被曝を極端に過小評価したものになっているという。放影研はまた、チェルノブイリの事故後、事故の影響を過小評価した報告書を公表し、被曝者救援への阻害要因となっている。

 要するに、ABCCとその後身である放影研も、それらのデータに依拠するICRPも、内部被曝を十分に考慮せず、基本的には外部被曝しかカウントしないために、「数十グラムの劣化ウランを飲み込んでも癌などの疾病はあり得ない」と結論したり、小児がんによる死亡を放射線被曝の犠牲者にカウントしなかったり、癌による高い死亡率を確認しても「放射線による発癌とは確認できない」として因果関係を否定するなどして、原爆や核実験、原発事故等による被害を過小評価し、隠蔽する役割を果たしているのである。

 1991年、当時、放影研理事長だった重松逸造(DS86の監修顧問で元ICRP委員)が委員長を務める国際原子力機関(IAEA)の国際諮問委員会(IAC)は「チェルノブイリ事故報告」を公表し、その中で、「住民は放射線が原因と認められるような障害を受けていない。今後もほとんど有意な影響は認められないだろう。最も悪いのは放射線を怖がる精神的ストレスである」などというトンデモ報告を行った。放影研(DS86)、ICRP、IAEAの結びつきがよくわかる逸造、ではなく逸話である。

 IAEAは、1953年12月にアイゼンハワー米大統領が国連で行った「アトムズ・フォー・ピース(原子力平和利用計画)」提案に基づき、1957年7月に設立された国際機関で、5大国の核独占管理を前提とした原発推進機関である。2005年にノーベル平和賞を受賞しているが、同賞の受賞者には平和の推進とは正反対の「貢献」をした人物や団体が多い(稀に例外もあるが、2007~2009年の受賞者はとりわけ胡散臭い)。

 なお、アイゼンハワーの国連演説から3ヶ月後の1954年3月1日、米国がビキニ環礁で行った水爆実験により、マグロはえ縄漁船・第5福竜丸の乗組員23名が被曝したのをきっかけに、日本では激しい反米・反核世論が盛り上がった。こうした情勢を見て、対日心理戦略計画の見直しを図る米国務省の密使と、反米世論が共産化と結びつくことを懸念する正力松太郎・読売新聞社主の懐刀、柴田秀利(日本テレビ重役)の利害が合致、「原爆反対を潰すには原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、希望を与えるしかない」と考えた柴田の仲介で、正力松太郎と会談した米国の密使が正力に「原子力の平和利用」を訴え、以後、正力は「原子力平和利用」という名の原発導入事業に邁進していくことになるのである。以上の経緯については、1994年に放映されたNHKドキュメンタリー『原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~』に詳しい。
http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134&hl=ja#
ここでは、反核世論を潰すために、「原子力の平和利用」という美名の下で原発導入が図られたという構図が浮かんでくる。
 要するに、放射線防護の「専門家」の胡散臭さの原因は、アメリカの核戦略とそれを支える日本政府の意を受けた御用学者の体質にあったわけだが、もちろんこの分野でも、矢ケ崎氏をはじめ、沢田昭二名古屋大学名誉教授、肥田舜太郞医師らまともな研究者もいる。彼らの活躍もあり、2003年に始まった原爆症認定集団訴訟では、国は19回の敗訴を重ねている。また欧州では、ICRPモデルが低線量被曝の影響から市民を守ることができないと主張する科学者グループが、内部被曝を重視する最適な科学的枠組を用いて予防的アプローチをとるため、1997年、欧州放射線リスク委員会(ECRR)を設立した。第2次世界大戦後、放射線被曝によって死亡した人の数は、内部被曝を考慮しないICRPによれば117万人だが、ECRRは6500万人を超すと推計している。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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