米議員がNATOの戦争犯罪を告発

 リビアの反政府勢力が首都トリポリの大半を制圧し、カダフィ政権の崩壊が目前に迫った今月22日、米下院のデニス・クシニッチ議員(民主党)は、「今こそNATOの役割と米国の介入主義の未来を再考すべきときだ」として、NATOの戦争犯罪を告発する声明を発表した(1)。その中でクシニッチ議員は、「リビア問題の交渉による解決は何か月もの間意図的に避けられ、その間NATOは国連安保理決議1970と1973に違反して、違法に体制変革を追求した」と指摘、NATOは安保理決議の命じる武器禁輸に公然と違反し、一般市民救済の名目で一般市民を無謀に空爆したと非難した。

 NATOは7月には病院を空爆したほか、テレビ局やラジオ局にも攻撃を加えて市民を殺害しており、8月初旬には潘基文国連事務総長もNATOの空爆で最大85人の民間人が殺されたことに懸念を表明し、他の国連当局者もNATOの国際法違反を非難している(2)。

 クシニッチ議員は、「NATOの司令官も国際法から免除されない。もしもカダフィ政権の高官が責任を問われるべきだとすれば、NATOの最高司令官も空爆による民間人殺害について国際刑事裁判所で責任を問われるべきだ」と指摘し、「さもなければ我々は新たな国際ギャング行為(gangsterism)を目撃することになるだろう」と警告した。

 しかし残念ながら、こうした国際ギャング行為は今回が初めてではなく、少なくともNATOによる旧ユーゴ空爆(3)以後、何度も目撃させられてきた。NATOのリビア介入戦争は、人道的介入を当初の名目に掲げた点においても、反政府勢力がNATO軍による空爆を要請した点においても、さらには反政府勢力の中にテロリストや犯罪者集団が多数含まれているように思われる点(4)においても、NATOの旧ユーゴ空爆と似ているように思われる。ただし、旧ユーゴ空爆が国連安保理決議のないまま開始されたのに対して、今回の対リビア戦争の前には安保理決議1970と1973があった点において、一見すると、安保理決議によって有志連合諸国の武力行使に「授権」がなされたと言われている1991年の湾岸戦争と似通っているように思われるかもしれない(5)。そこで、今回のNATOによるリビア空爆を安保理によって承認されたものであると誤解している向きも少なくないかもしれない。しかし、実際に安保理決議1970と1973を読めば、それが根本的な間違いであって、今回のようなリビア空爆がそれによって正当化されるはずがないことが理解されよう。

 それゆえ、クシニッチ議員がNATOのリビア空爆作戦を国際法違反であると断罪しているのは、国際法の観点から言えば、全くの正論であり、極めて当然のことなのだが、その根拠について、同議員は声明の中で説明していないので、ここで多少の解説を加えておくことにしよう。NATOによるリビア介入戦争の直前に採択された安保理決議1973(6)は、国連憲章第7章の下で行動することを明らかにしたうえで、即時の停戦と、民間人に対する暴力とあらゆる攻撃の停止を求め(第1段落)、民間人の保護、飛行禁止区域の設定、武器禁輸措置の実施、資産凍結などを求めている。国連憲章第7章は、平和に対する脅威や侵略行為などがあった場合に、強制的措置を発動することを定めているが、強制的措置には非軍事的措置(第41条)と軍事的措置(第42条)という2つの段階があり、後者は非軍事的措置では不十分であると判明したときに初めてとられることが規定されている。そのことを踏まえて1973決議を読めば、そこで規定されているのは、すべて第41条の非軍事措置だけであり、軍事的措置を承認したような条項はどこにも存在しないことは明らかである。湾岸戦争の際に安保理が有志連合諸国に武力行使を「授権」したとして有名になった文言、すなわち加盟国に対し、「必要なあらゆる手段を行使することを承認する」という文言は、今回の1973決議においても、2カ所(第4段落と第8段落)で使われているが、どちらの場合もその目的によって限定されているのである。すなわち、「攻撃の脅威にさらされている民間人居住地区と民間人を保護するため」(第4段落)、あるいは「飛行禁止区域の遵守を確保するため」(第8段落)という目的にとって必要な手段の使用を認めているにすぎず、「民間人を保護するため」に民間人の居住地区を爆撃してもいいとか、「飛行禁止区域の遵守を確保するため」NATO空軍はリビア上空を自由に飛行して空爆してもいいとか、武器禁輸を守るためにリビアの反政府勢力には自由に武器を提供してもいいなどという、とてつもない背理を安保理決議が承認しているわけではないのである。したがって、NATO軍の行動は、クシニッチ議員の言うように、安保理決議に照らしても明白に違反しており、武力行使の禁止という国際法の最重要の原則を蹂躙するものである。

 言うまでもないことであるが、NATOの国際法違反を指摘することは、カダフィ体制を擁護することとは何の関係もない。そもそも安保理決議の掲げた目的は、暴力の停止と民間人保護だけであって、リビアの体制転換など承認していない。それどころか、安保理決議はリビアの主権に対する強いコミットメントを再確認している。戦争を仕掛ける前の口実がいつのまにか変わってしまい、最後には体制転換にまで行き着いたのは、アフガニスタンやイラクへの侵略のときと同じである。クシニッチ議員も米国のリビア介入の理由について以下のような疑問を投げかけている。

・米中央情報局(CIA)はベンガジにおける反乱勃発に先立って、体制転換の計画に関与しなかったのか?
・CIAとその諜報員は内戦を扇動する役割を果たしたのか?
・米国は、体制転覆への参加を通じて、世界有数の原油資源を管理しようとしている国際石油企業の目的を助長していたのか?
・米国は、他の地域では米軍の介入・駐留・占領の口実としてアルカイダの脅威を利用し続けていながら、リビアに対する戦争の発端において、アルカイダのメンバーと連携していたのか?

 いずれにせよ、NATO軍の軍事行動が国際法違反であった事実は動かせない。しかし、なぜか日本のマスコミは、安保理決議の内容さえ正確に報道しようとしていないし、それどころか、国際法など存在しないかのように、あるいは、国際法が存在することを知らないかのように、こうした軍事行動と国際法との整合性を検証しようとさえしない。しかし、そもそも法が存在しないアナーキーな世界と、法は存在しているのに無法者が法を無視してやりたい放題している世界とは、規範的な意味合いは全く異なる。現在の国際社会は後者であって、前者ではない。
[註]
(1) http://kucinich.house.gov/news/email/show.aspx?ID=F3HQ774EW6NWK7Q6QYNH4JJZJM
(2) http://news.antiwar.com/2011/08/23/kucinich-nato-not-exempt-from-law/
(3) コソヴォにおける人道的破局を防ぐとの名目でNATOが1999年3月から6月まで旧ユーゴスラヴィア連邦共和国全土に対して行った空爆。この空爆が人道的破局を防ぐどころか、それを致命的に拡大したことについては、チョムスキー『アメリカの「人道的」軍事主義』現代企画室、同『新世代は一線を画す』こぶし書房、岩田昌征『二〇世紀崩壊とユーゴスラヴィア戦争』御茶の水書房などを参照。
(4) 当時のコソヴォの独立派(反政府派)の中心勢力であったコソヴォ解放軍(KLA)の犯罪については、Carla Del Ponte, Madame Prosecutror: Confrontations with Humanity’s Worst Criminals and the Culture of Impunity (Other Press)のほか、「ちきゅう座」に掲載された記事として、トム・ブルグハート(中山康子訳)「コソヴォ:ヨーロッパの麻薬国家」
https://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=515、岩田昌征「自国の利益が統治国の良心?!―コソヴォ戦争から見えるもの」https://chikyuza.net/archives/5468、同「欧州評議会・法人権委員会の「コソヴォ臓器摘出密輸出」調査報告書の背景」 https://chikyuza.net/archives/5969、同「コソヴォ生体臓器密輸出に関する欧州評議会議員会議の1月25日決議」https://chikyuza.net/archives/6358などを参照。また、次のYouTubeの映像では、CIAの元諜報員が、リビアの反政府勢力の主体は米国の資金提供を受けたアルカイダであり、彼らが難民たちに対して恐るべき悪行を働いていると証言している。http://www.youtube.com/watch?v=0yQaUhCCMeE
(5) 湾岸戦争においては、安保理が有志連合国に対して武力の行使を「承認する」という、国連憲章には全く規定されていない方式が採用されたが、このことが含んでいる国際法上の問題点については、松井芳郎『湾岸戦争と国際連合』日本評論社を参照。
(6) http://daccess-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/N11/268/39/PDF/N1126839.pdf?OpenElement

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1562:110825〕